臥雲辰致と臥雲義尚。その類似点は、①イノベーションの力、②没頭する力、③寺の坊主の面影

石上 扶佐子

2019年10月10日 22:00

昨日の朝、夏物仕舞いの洗濯をしていたら、スーツのポケットから、カメラのレンズのキャップが出て来ました。
 しまった!
 共用で使用しているカメラのキャップが見当たらなくなったのは、私のせいだったのです。
 早速昼前、キャップを届けに臥雲さんの事務所へ行くと、いつもの麗しき女性の代わりに、男が三人いました。打ち合わせが終わった所みたい。
 何となく同席し、昼弁など食べながら盛り上がったのは、臥雲辰致(たっち)さんのことでした。
 臥雲辰致は、江戸末期に生まれ、臥雲寺の住職を務めたのち、明治6年に「ガラ紡」を発明した、臥雲義尚さんのひいお祖父さんです。
 高校の教科書に紹介されており、一昨年のセンター試験にも登場しています。
 ガラ紡は、明治10年の、第一回内国勧業博覧会で最高賞に輝き、明治14年の第二回内国勧業博覧会でも、改良品が機械部門最高賞を受けました(今回第一の好発明として)。
 これにより明治15年には、制定されたばかりの藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を受け、明治天皇は2度も長野県で辰致に会いました。
 第三回内国勧業博覧会では、臥雲辰致の発明品を見るために、豊田佐吉が遠州から家出をしています。25才年下の佐吉は、辰致のガラ紡の前で数時間も動かず、穴のあくほど見続けて学び、やがて、豊田織機を発明しました。
 臥雲辰致の時代はまだ整っていなかった特許制度が、豊田佐吉の時代から有効になったので、臥雲辰致は、生涯の殆どを財とは無縁で過ごしましたが、豊田佐吉は、数十の特許を取りまくり、トヨタ自動車の基盤を作りました。
 臥雲辰致は、他にもすこぶる優秀な測量器や、養蚕で使う蚕網織機を発明しています。生業を助けたい一念からの発明は、国勢を左右する要となりました。
 「臥雲辰致のイノベーションへの情熱は、義尚にも引き継がれているよね〜」
 「辰致が、少年時代から、家業の足袋織りを助けたいと、織り機の発明に没頭していた事も、没頭する少年と言う意味では、似てるよね〜(義尚さんは政治と野球に没頭)」
 「19歳で寺へ出され、そこで勉学に励み、立派な住職になった辰致の面影は、義尚にもある」云々(うんぬん)。
 写真は1が辰致さん、2が義尚さん。


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