安曇野のおぐらやま農場で、ご飯を作っています。
 今回のウーファーさんは4人。
 シンガポールからの男性は、コンピューター関係の技術者を早期に退職して、世界巡りの途上です。
 マレーシアの元キャビンアテンダントの女性は、初めてのウーフ訪問地に、この日本のおぐらやま農場を選んでくれました。
 彼女はコロナ前にも、ここでの滞在を予約していましたが、空港へ着いたら「コロナにより6時間前に、渡航禁止になりました」と言われて泣いたそうです。3年半ぶりに望みを叶えました。
 21年間のアテンダント勤めを退職しての、冒険の旅の初まりです。
 ドイツからの青年は21歳。ドイツの北の山岳地帯から。おじさんの家が牛を飼っていて農業が身近な、たくましく優しい青年です。オフ時間は、食堂で日本語の勉強。ピアノも上手です。この家の台所のことは、なんでも教えてくれます。
 オーストラリアからのプリンセスは大学を卒業し、就職は決まっていますが、その前に日本を中心にあちこち周るそうです。お母さんが日本人なので、日本語が上手。
 食卓は英語と日本語。通じない分だけ、聞き直したり、誰かが説明してくれたり、ジェスチャーが登場したりで、楽しいコミュニケーションが生まれます。
 今回は、日本在の中3男子が、本格的に英語で会話に加わっています(写真を撮られることは、まだ恥ずかしがっていますが)。

 昨年の10月末に、ゲストハウスをやるべく現在の家を購入し、引っ越しをし、手探りで準備を進めていましたが、いろいろあって、本格的開店が伸びております。
 年末年始の東京滞在(父の家)が思いの外伸びたこと。
 松本にもどり、急ぎ開店の申請手続きや立ち会いをしてもらった翌日、父の訃報が入り、再び東京で、葬儀や事後処理や家の片付けに追われたこと。
 春めいた頃に松本に戻り、大車輪で準備をして何とかゲストハウスの開店にこぎつけ、令和5年5月5日(語呂が良いでしょ❣)に開店届けを出しました。
 さぁ、と張り切っていたら、翌朝、ニューヨークの娘から電話があったのです。
 「あたし、乳がんらしい、、、。まだ、検査中だけど」
 あら〜大変。ゲストハウスどころではなくなって、
 乳ガンとは何であるか?
 治療は何が良いのか?
 アメリカで検査や治療はできるのか? 
 日本でするなら何処が良いのか? 
 最短の治療開始を可能にするために準備する書類は?
 などの調査勉強に忙殺される日々。
 6月の終わりには渡米し、とりあえずは何もかもが、全て最善に推移しているのを確認して安心しました。
 帰国後の体調不良もほぼ目処がつきつつあれば、心に掛かるはゲストハウスの開店でありますが、実は、9月に安曇野のおぐらやま農場へ3回、合計14日間手伝いに行くことになりました。
 なので、ゲストハウスの本格的復活開店は、9月28日木曜日からとなります。よろしくお願い申し上げます(毎週水曜日は定休日)。
 営業許可の関係で、調理をして食事を提供することができず、原則は素泊まりですが、調理をしない即席食材の組み合わせなら提供できます。例えば
◎朝食セット、500円
◎夕食セット、700円。
 レトルトカレー、パックご飯、スープまたはみそ汁、サラダ(パックのハム、チーズと野菜)など。
 他にも、弁当持ち込みや、自炊もできます。テイクアウトの宅配店や、近くにスーパー、ラーメン屋、ファミレスもあります。
 ごひいきのほど、よろしくお願い申し上げます。
 
『ゲストハウスきもの』
〒390-0803 松本市元町3-2-24
電話 080-6034-1971
Eメール fusako.ishigami@gmail.com
フェイスブック連動のメッセンジャーでの連絡が一番早くて簡単です。

 写真1は、ずっと玄関に格納してある看板。写真2は、ゲストハウスのご案内です。写真3はやっと読了した「クラウド会計ソフトやよい」の入門書。今日か明日に「やよい」を申し込んで導入するつもりです。私にできるか、不安も。
 写真4は、事務所(兼私の部屋)の机です。

 ニューヨークの最後は、マンハッタンを歩きました。
 同行者たちは、月に一度くらい、家族でマンハッタンをブラブラし、買い物や食事を楽しむそうです。今回はグランマも一緒なので、まずは観光スポットへ。
 写真1は、ロックフェラーセンターの近くの広場で。
 写真2は、カーネギーホールの隣りの、付属レストランでランチを済ませた後。
 写真3は、ハドソンヤードエッジの101階にあるパークレストランで。ここはニューヨークの新名所だそう。ビールをのみキャビアを一皿頼んでシェアしました。眼下に広がる高層ビル群と、ハドソン川の出口には自由の女神が。
 一行4人(パパとママと高1女子とグランマ。高2男子は風邪を引いてお留守番でした)が最もエネルギーを注いだのが、東京に住むいとこ(私からみたらこれも孫たち)へのお土産探しです。
 リクエストがあったので、全員超張り切ったのです。
 マンハッタンのどの店に行くかを念入りに調査し、最も有名な(たぶん)お店を目指して一目散に真夏のストリートを歩きました。
 大きな店内は、おもちゃがギッシリで、4人でゾロゾロと、一階から三階まで隈なく、行ったり来たりしながら品定めをし、ある時は手分けして探し、また合流して、どれが良いかを協議して、意見調整。
 帰国する私が飛行機に持ち込める荷物は制限があるので、それも加味すると、一点決めるのも大変。二人の姉妹におもちゃとお菓子、そのママにぬいぐるみ2つを何とか選びだして、マンハッタンでの最大の仕事が終わりました。
 その夜、グランマ、ママ、ミアの女3代はセントラルパークに面したホテルにお泊まり。翌朝は、3人でセントラルパークを散策しました(写真4と5)。
 朝ごはんを食べ、私はそのまま空港へ。娘と孫はお買い物を楽しんだそうです。
 私は娘の看病に行ったつもりでしたが、そういう感じではなく、実際に娘家族を見、大きな安心を得て帰ってきました。
 帰国した私は、日本の暑さにバテています。

マイクさんは、コミュニケーション学の学者で大学教授です。
 学校では人気の先生ですが、家では、小鳥の世話や、子供たちの送り迎えや、買い物や、料理や皿洗いに大忙しです。
 アメリカは国民皆保険ではないので、加入している保険の種類(値段)によって、受けられる医療が格段に違ってきます。   
 保険会社の許可がなければ、病院は治療を開始しませんし、各種検査も保険会社の許可が必要です。
 マイクさんが勤務先で加入していた保険は、極めて優秀な医療保険だったので、その妻はアメリカで最高(額)のがん治療を受けることができました(現在進行中)。
 この医療の恩恵は、今回の事があって初めて判明しました。飛行距離14時間の外国に暮らす、大切な家族の安心と安全は、私にとっては最高に嬉しいことです。マイクさんへの感謝は尽きません。
 娘や孫たちを守ってくれているマイクさん、ありがとう❣。
 写真1、2は、小鳥に餌をやるマイク。3は、庭に立っているポールに吊り下げられている2つの餌箱で、ここへの補給もパパ。4は、餌箱に集う小鳥たち。ソマーズの最後の夏でした。


ニューヨークはマンハッタンの、とある(高級?)美容室で、十数年ぶりに髪を切りました(支払い+チップは、付き添いの娘持ちで。ありがと)。
 イケメンの男性美容師さんにお任せしたら、こんなんになりました。
 今回の海外遠征は、出発の前から、様々なチェンジの波の押し寄せを感じていましたが、髪のカットは一つの象徴でもありました。
 ミサでよく、神父さまが
 「今日、また、新しい人に生まれ変われますように」とお祈り下さいますが、私も、そんな気持ちでした。
 昨日までのことをやめて(嫌だと思っていたことはもう忘れて)、今日、新しいもっとステキな人に生まれ変わり、新しい日を生きることは、神が望まれていること。
 私もそんな風に歩んで行きたいと思った、マンハッタンの午後でした。



年子で生まれた兄と妹は、日本で生まれ、幼少期を秋田で過ごし、小学校へ上がる頃アメリカに渡りました。
 今では兄と妹も、家族のために晩ご飯を作る事ができるティーンエイジャーです。
 多くの時間を共に過ごした仲良し兄妹は、よく喧嘩もしましたが、そのお陰で、人間を深く見る目を獲得しました。
 とりわけ、コロナの時代と重なった10代の初めは、苦しいことも多かった分、大きく成長したことに驚きます。
 二人は、すでにもう、どこへ出しても恥ずかしくない、賢く優しく強い品性を備えています。
 写真は、コロナから家族を守った、ソマーズの家の庭で、くつろぐパパと子供たち。

写真1と2と3は、バンクーバーへ旅立つ朝のパパと娘です。ママは当面撮影禁止なので、アップできません。
 パパも娘も白い大きなビニール袋を持っているのは、「しばらくひとりになるグランマが、重たいゴミを出すのは大変だから」と言う配慮です。ありがとね。
 写真4はキャンプへ行く朝の高3男子。パパが遠くの北の森へ送って行きました。
 すでに皆、無事に帰って来て、またにぎやかな日常の始まりです。

アメリカの家族が、ソマーズの丘の上の家に引っ越してきたのは、4年前のコロナ前のことでした。
 私が新居を訪問して帰国した直後から、往来ができなくなったのです。
 日本のTVニュースでは、死者続出のニューヨークからの報道が相次ぎ、よく「さぞや、ご心配でしょう」と声を掛けて頂きましたが、私は安心していました。
 あの、丘の上の家に家族4人が隔離されているかぎり、コロナからは免れるであろう、と。
 この、三年間の安心は誠に貴重で有り難く、避難場所を用意し、コロナ前に家族をこの家に導いてくださった神に強く感謝しています。
 さて、ちょうどコロナが終わった所で、娘家族は元のママロネックに戻ることになりました。
 ソマーズの家を3年半ぶりに訪れてみると、今去ろうとしているこの家への感謝の気持が湧いてきます。
 その思いをしみじみと味わうには、この間のひとり暮しは最良の時間でしたね。
 多くの時間を読書ですごし、そこら辺にあった日本語の本を5冊読み、いづれも、この時のために用意された神さまからのプレゼントのように思われました。神さま、ありがと。
 写真1は、ふと気が付くと夜の8時40分。外にはまだ明るさが残っていました。
 写真2の、このベランダの椅子でも、長い間本を読んで過ごしました。写真3は、雷が鳴り夕立に見舞われたので、家の中に避難してパチリ。
 写真4は、寝室の窓辺からの眺めです。夕暮れ時は街灯が灯り、特に綺麗。
 写真5は、同じ窓辺の朝の風景。写真6は、その窓辺が激しい雨にしぐれた午後。
 ソマーズの、別れが切ない丘の家の思い出です。


写真の豪邸に、私は一人で住んでいます。5泊6日の予定で。
 なぜなら、ここの住人が皆いなくなってしまったからです。
 ママは仕事で、パパと高2女子は旅行で、共にカナダのバンクーバーへ。高3男子は、遠くの森のキャンプへ。
 残りの私と猫2匹が、ここで静かに暮らしています。
 今月1日にニューヨークのソマーズに着いた時には思いもよらないことでしたが、人生には想定外のことが起きますね。
 ここにきてすぐの頃、森の中の共同水道タンクに穴が空き、14時間水が出ないという事態が発生したので、一人の留守番は心細くて戸惑いました。
 しかし、猫どのを預かる大切なミッションを理解し、いざ、突入してみれば、なんと、これは天国以上でありました。
 窓外はどこを見ても、目もくらむような瑞々しい緑、全館冷房は24時間78度に保たれ(日本温度では何度か分からないですが)、静かで。
 冷蔵庫や食料棚の整理をしたり、本を読んだり、とろとろ眠ったり、裁縫をしたりしています。
 今日は2週間に一度の「お掃除3人組レディー」が来る日なので、緊張して1日待っていましたが、ついにお見えになりませでした。バンクーバーに問い合わせて事情を聞いてもらったら、「忘れていた」そうです。
 あら〜〜。楽しみにしていたのにねぇ。しかたなく、私がお掃除しました。適当に。
 すでに3泊4日が過ぎ、残りはたったの2日。残念です。
 写真は、この家を売るために撮影したもの。住みながら、家族皆で必死に片付けをしたかいがあり、広告を出してすぐに売れたそうです。(次のママロネックの家の都合で、引っ越しはひと月後)。
 アメリカでは、抗がん剤治療は日帰りなので、抗がん剤を打ちながら引っ越し準備をし(引っ越しをし)、5泊6日の海外出張をこなし(準備が大変だった❣)、その旅行の帰りがけに病院へ寄って、第4回目の一番きつい抗がん剤を打って帰って来るという、この家のママって凄くない?
 一応は、ママのサポートのつもりで、はるばるニューヨークへ来たグランマですから、ママの帰宅後を注視しなければ。
 最後の写真は、今の私の部屋です。部屋主が2週間のキャンプへ行っているので。

写真1は、作詞作曲を学ぶデイキャンプへ通うミアです。
 そのキャンプの最終日に発表会があり、ミアたちの歌が、一等賞をもらいました(動画)。
 歌詞は、1番が子供の情景で、ミアはウクレレを弾きながら歌います。2番はウクレレをギターに持ち替えて、ティーンエイジャーの情景。3番は老人ホームのお茶の時間の情景です。要約すると、
 
 森の中を子供が走る。
 足の下には葉っぱと風。
 湖の水に子供が映る。

 パーティーで踊る人たち
 赤、橙、黄色の空にはやがて星が見える。
 鏡に映る私。

 老人ホームのお茶の時間。
 大切なメモリーがお茶碗の中に映っている。
 過ぎてきた一生が辺り一帯を照らしている。

  写真3は、一等賞の賞状をもらっている時。ママも兄のヒロ君も一緒でした。



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