甥っ子の披露宴の家族のテーブルで、超おいしい料理をパクつきながら、ぽろり、と聞いた話。
 私の次男家族が、遠州森に土地を買い、家を建てるそうです。もう、土台の工事は終わりました、そうな。
 三男家族も、世田谷に家を建てるそうです。土地は決まったのだと。
 妹夫妻が三浦で探していた終の棲家も、ついに見つかり、購入しました、と。
 あらら、皆さま、おめでとう。何と嬉しいことでしょう。
 ゼロ金利政策のおかげでしょうか。
 翻って、わが身を見るに、この歳までとうとう、持ち家を持たずじまい、です。
 「家が無いのは、自由でいいのよ」とは、負け惜しみのいつものセリフ。
 「女三界に家なし」で、幾度も泣いたくせに。
 家・土地なしで生まれ、ずっとそのままで、自分の家・土地には憧れてきたけれど、でも、托鉢僧のように生きているなら、
 「家がないのは、自由でいいのよ」は、一方の真理かも。
 人は、いつか、どこかへ、行くのですから。

 11年前の今日、娘が平安神宮で挙式した折、式の前の「両家の顔合わせ」という儀式の時でした。
 新郎側の来日外国人10数名(家族と友人達)は、全員きれいに正座して、真直ぐ横一列に並んでいました。
 日本人側の列では、正面に一番近い私が、正座出来ず、留め袖姿なのに、足を大きく崩して、なんか、だらしのない花嫁の母。
「もう歳だから、治りません」と医者から見放された膝痛の真っ最中で、膝は腫れて、2倍程の太さに。
 先日、留め袖を着ていた妹が、やはり膝痛腫れだったので、子供の結婚や出産の頃って、親が一番大変な時かも、と思いました。
 あれこれ努力し、2年程して膝痛が消えた時、私は以前より、少し健康になっていました。
 さて、今回の膝痛は、ある日、無理に正座をして、ぎぎぎー。
 それからの日々はまさに、春を待つ「三寒四温」そのもので、暖かい朝の喜びと、また訪れる寒さに失意、の繰り返しです。
 でも、「三寒四温」の方向は、暖。
 「正座」で痛めたのは、元の骨筋が「正」ではなかったということで、今痛いのはきっと「正」になるための、リハビリなのでしょう。

 国費留学生として、昨年の秋に来日したスリランカの若者9名は、日本各地の国立大学に配置になりました。
 各地に散らばるその全員に「春の京都旅行」を呼びかけ、計画を練り、予約をし、実現にこぎつけたのは、ラヒルです。
 ラヒルはスリランカの日本語大会で第一位、南アジアの日本語大会でも第一位の人だから、日本旅行の案内の適任者かも。
 その彼が、京都旅行のためのカバンを借りに来てくれ、ついでに、昼ご飯も食べてもらって、またおしゃべり。
 私が、明治神宮での甥っ子の(日本式)結婚式の様子と、一人暮しの父の(現代日本の社会的)介護体制について、身振り手振りの熱演で説明し、ラヒルは、スリランカの結婚式の様子と、毎日の祈りについて、話してくれました。
 スリランカでは、儀式や行事の時、お坊さんや修行した人たちが、水がめを囲んで一晩、幸いの念を送りつつ、お祈りをし、
翌日、その水を近所の人皆で、分かち合って飲むそうです。
 ラヒルの母上は教えてくれました。
「お祈りした水は、美しい力のある水に変化するので、健康と幸福にとって大切なものです」。
 ラヒルは毎朝毎夕、小さな仏像の前で、ろうそくに火を灯し、感謝と、愛する人たちの守りのお祈りを欠かしません。
 この水の話を聞いて、遅ればせながら「食前の祈り」や、キリスト教でいう「聖別」の意味が分かりました。
 昨日教会で、よくよく見たら、ミサの後半、液体(たぶん、ぶどう酒)と、薄くてぺちゃんこで丸い小さな食べ物(たぶん、最後の晩餐でキリストが分かち与えたパンに擬したもの)が置いてある中央の台の周りを、司祭が、煙の出るカンテラのようなものゆらゆらさせながら、何かを祈りつつ、ぐるぐる回っていました。
 毎回のことですが、その後、会堂の全員が中央の通路に並び、司祭から祝福を受けつつ、そのパンをいただくのです。
 でも、それは、カトリックの洗礼を受けていないと貰らえません。
 洗礼、ということが、一つの聖別なのかも。
 カトリックの洗礼を受けると、
あの素敵な白いベールも、被ることができるのです。

 父と過ごし、我が行く末を、考えざるを得ない気持ちで、帰信の途に就いたのは、一昨日のこと。
 が~~んと鳴っていたのは。
「私は、最後まで、主の御業の役に立ちたい」という気持ち、で、信仰があって、ほんとに助かった、とも思いました。
 聖書の言葉を、杖にすることができる幸い、も思いました。
 夕方、家につくと、シルバー人材センターの、地区役員の方が、
来年度の会費の徴収に、ご来訪。
 私は「家事援助」という仕事種で、登録しているのですが、今年度は、一度も仕事をしていませんでした。
 私が、そのことを、つい、口を滑らせたので、地区役員の方が
「仕事は待っていては、いけない。どんどん電話をして、仕事を回してもらわなければ」と、アドバイスを下さいました。
 ええっー!!
センター本部の人は「仕事があれば連絡する」と言っていたので、こちらから電話するなど、思いもよりません。
 それに、登録はしたものの、いろいろ忙しかったので、仕事の依頼がないのは、幸運でもありました。
 さて、その夜、旅の荷物もほどかぬままに、考えこんだのは、人として、どちらが、全うな道だろうか?
 センターにしょっちゅう電話をして、仕事を探すべきか?
 仕事の依頼のないことも幸せと思って、今までどうり、電話などしないでいるべきか?

 明治神宮で挙式をする妹の息子(甥っ子)のために上京したのに、思いがけず、自分の息子たちとその家族にも会い、びっくりでした。
 はぁ、親族の結婚式って、こういう事なのね。
 甥っ子の新婦さんが美しいのは、言わずもがな、うちのお嫁さんたちも輝くように美しく、孫たちも可愛いかった!
 車いすの父の付き添いは、私の役割だったので、父が常時必要とするティッシュの束と、使用済みティッシュを入れるビニール袋を持っての移動でした。
 父の靴を履かせようとかがみ込んだ時、私は車いすの父の膝に、ティッシュの束と、ビニール袋をのせました。一時置き場として。
 かがみ込む私の頭上で、父がなにやら言っていましたが、
 私としては「ちょっと待って」という気分。「今、忙しいのよ」。
 と、そこへ突然、父の雷。
「ティッシュを、袋に入れとけ、って、言ってるだろっ!!!」
 人前もあるし、私は慌てて身を起こし、父を見ると、父は自分の膝の上のティッシュを掴んで、袋に入れていました。
 どうして、初めから、自分でしないのかしら。
 父の家に4泊して、今朝は最後の食事、
ヤマザキの芳醇の厚切りトーストが食べたい、という言うので、店が開くのを待って買いに行き、こんがり焼いた一枚をお皿に。
 父は「俺は半分しか食べない」と憮然として言い、パンを半分にしろ、と暗黙の指示。
 気づかぬふりで、私がコーヒーや苺の用意にかまけていたら、自分できれいに半分に切って、食べ始めました。
 でも、むくれてて、口をききません。
 何故自分でやらず、そんなに威張るのか、何故たやすく怒鳴るのか。
 むくれるなんて、もしかしたら、それが、あの人の愛し方なのか。
 人生の謎は、深まるばかりです。

「木ごころ工房」は、大工の次男が棟梁の工務店です。

木ごころ工房、松村寛生。

 石場建て・伝統工法・大工手刻み。
天竜杉・桧をふんだんに使った住宅が浜松市で上棟中です!
構造見学会も近々開催予定。

 前日との温度差20度Cという、昨日、
小雨からみぞれに変わった畑の中の道を、傘をさし、膝痛の足をひきずるように、とぼとぼと、温泉へ向かって歩きました。
 心に迫るは、一つの言葉。
「私、こんなこと、していて、いいのかなぁ~~、、、」
 途中「田園遊歩道」の看板があり、「文学の小道」という表示があったので、山道を少し上りはじめ、出会った人に道を尋ねたら、山の恵みの「タダの温泉」を教えてくれました。
 「こんな、みぞれの寒い日は、散歩はよしとけ」と。
 ありがた~~~く、タダの温泉に、3時間もいて、膝を温め、雪に変わった畑の道を、また帰ってきました。
 夕暮れ近く、降りしきる雪と、畑に積り始めた雪とで、外は無彩色の、幻のような世界です。
「私、こんなこと、していて、いいのかなぁ~」、、、、。
 しかし、温泉効果は、胸中に進歩をもたらし、
「これは、きっと、神様がくれた時間」、と思えました。
 家にたどり着き、何気なくONにしたTVの画面で
「山に入れば、生きられる」というような言葉を聞き、
「神さまがくれた今日」を思いました。

 「農場少年」の、あれこれの場面を思い出しながら、今夕、我が菜園の、土おこしの続きをしました。
 今日は暖かでしたが、一昨日の朝は、まだマイナス7度C。
 その寒い朝の7時過ぎ、女鳥羽川の土手風に凍えながら、私は急ぎ足で、中学校へ向かいました。
 「農場少年」の朗読の前に、図書館で、
このシリーズの本5冊を、借りたかったので。
 「大きな森の小さな家」から始まるローラの物語は、9冊の本になっていて、5冊が福音館から子供向けで出ています。
 このシリーズは自分が読み、子供たちや孫たちにも読みました。
 なんと嬉しいことに、長男は、
 「僕が農夫になったのは、かあさんが「農場少年」を読んでくれたから」と言ってくれました。望外のお言葉に、感謝。
 彼は今、幸せな農夫です。
 信大に留学していたオレゴンのライター、ローラは、開拓の時代のこのシリーズが大好き、オレゴンのローラのママとパパも、同じく大好きで、初めての女の子に、ローラという名前を付けたのだそうです。
 ローラのご両親からローラへ、私から息子へ、孫へ
 太平洋を挟んでも、同じ物語が読み継がれていました。
 中1のクラスで尋ねたところ、この物語を知っていたのは一人。
 10分の朗読の時間では読み切れず、残念に思っていた「農場の少年」の幾つもの場面が、今夕の我が菜園に、現れて来たようです。
 それは、信州の春の香りが、
あの物語の中の春と、似ているからなのかも知れません。

私が作ったおひなさま。アメリカの孫に。

 「譜面台のある窓」という物語を思い出したのは、ヴァイオリンを構えて、譜面台の前に立つ人、を見たからです。
 その方は、まずエルガーの「愛のあいさつ」を、次にヴィターリの「シャコンヌ」を弾きました。
 それから、いくつもの名演奏があり、最後は「チゴイネルワイゼン」という、心を込めたコンサートでした。昨日の「福祉ひろば」でのこと。
 私の持っているCD、ヴァイオリン「バロック・ソナタ集」では、
 タルティーニの「悪魔のトリル」、
 コレッリの「ラ・フォリア」、
 ヴィターリの「シャコンヌ」、 
 ヴェラチーニの「ヴァイオリン・ソナタ」を、グリュミオーが弾いています。
 地区ひろばでのミニコンサートも、そのシャコンヌで、この曲は私の息子練の習曲でもありました。
 「譜面台のある窓」は、若草が萌え出た、早春の丘の上の、古い小屋に暮らす、母と少年の物語です。
 小屋の大きな窓のそばには、譜面台が置いてあり、ヴァイオリンを構えた少年が、弓を熱心に動かしていました。
 その窓からは、丘を下るなだらかな小道と、丘のふもとの池と、池を囲む竹林が見えるのですが、遠景に雪の連山があってもいいな、と今日思いました。
 「福祉ひろば」の窓から、北アルプスの白い稜線が鮮やか見えていたので。

< 2016年03>
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