2021/11/30
市長記者会見の日。
①コロナ新規感染者は46日連続ゼロ。ワクチン2回接種者は85 %に達し、10代も70%が2回了です。
オミクロン株については、よくわかってはいませんが、予防のためにも、3回目のワクチン接種を速やかに進めます。
②明日から来年3月下旬まで『松本市冬割りキャンペーン』を実施します。市内宿泊で、3千円割引と市内飲食観光用の松本コイン2000円。対象は、長野県内の人と、FDAの利用者です。
松本コインは、簡単に使用でき、非接触型のキャッシュレス決済です。1円単位で使用出来、事務費がかからない為に採用しました。
アプリをダウンロードし、QRコードを読み取る仕組みです。
松本市役所での支払いやMウィングでの支払いも、来月より、ペイペイやラインでキャッシュ決済が出来るようになります。令和4年秋から、本格的にキャッシュ決済にしたいと思っています。既に長野市では行われています。
記者の質問に答えて
③山雅の降格は極めて残念です。私も、大事な試合を見に、相模原へ行って来ましたが、セットプレーからの失点では、『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』を感じました。
山雅は坂の上の雲としてJ1に登り詰めてから10年、方向性を上手くつかめなかったのではないか、と。新たな体制を組み、松本らしいチームとしてのスタートを願います。大分トリニータが復活を遂げている前例もあるので、市民と共に、出来るだけのバックアップをしたいと思います。
④ワクチン3回目接種は、12月10日から相澤病院、中旬から信大付属病院などの医療従事者、高齢者は1月から。
⑤一昨日の多事争論会は、若い人にも参加してほしいと思い、土曜日の午後に開催しました。こういう会での発言が、高齢者中心になって来たので。
アルプス公園は、アウトドアや新しいレジャーの発展を考え、若い世代に喜んでもらい、この街で暮らしてもらえる視点を伝えて行きたいです。
(写真1は、今日の市民タイムス1面。昨日の議会開会挨拶のポイントがよく解かります。2は今日の記者会見で)

①コロナ新規感染者は46日連続ゼロ。ワクチン2回接種者は85 %に達し、10代も70%が2回了です。
オミクロン株については、よくわかってはいませんが、予防のためにも、3回目のワクチン接種を速やかに進めます。
②明日から来年3月下旬まで『松本市冬割りキャンペーン』を実施します。市内宿泊で、3千円割引と市内飲食観光用の松本コイン2000円。対象は、長野県内の人と、FDAの利用者です。
松本コインは、簡単に使用でき、非接触型のキャッシュレス決済です。1円単位で使用出来、事務費がかからない為に採用しました。
アプリをダウンロードし、QRコードを読み取る仕組みです。
松本市役所での支払いやMウィングでの支払いも、来月より、ペイペイやラインでキャッシュ決済が出来るようになります。令和4年秋から、本格的にキャッシュ決済にしたいと思っています。既に長野市では行われています。
記者の質問に答えて
③山雅の降格は極めて残念です。私も、大事な試合を見に、相模原へ行って来ましたが、セットプレーからの失点では、『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』を感じました。
山雅は坂の上の雲としてJ1に登り詰めてから10年、方向性を上手くつかめなかったのではないか、と。新たな体制を組み、松本らしいチームとしてのスタートを願います。大分トリニータが復活を遂げている前例もあるので、市民と共に、出来るだけのバックアップをしたいと思います。
④ワクチン3回目接種は、12月10日から相澤病院、中旬から信大付属病院などの医療従事者、高齢者は1月から。
⑤一昨日の多事争論会は、若い人にも参加してほしいと思い、土曜日の午後に開催しました。こういう会での発言が、高齢者中心になって来たので。
アルプス公園は、アウトドアや新しいレジャーの発展を考え、若い世代に喜んでもらい、この街で暮らしてもらえる視点を伝えて行きたいです。
(写真1は、今日の市民タイムス1面。昨日の議会開会挨拶のポイントがよく解かります。2は今日の記者会見で)


2021/11/29
連載76。小説『山を仰ぐ』第3の1―10
(前回は、前年の秋の木曽洗馬押し出しに、洗馬にいて、米のない窮状を見ていた正彦の母かくの話しでした。まだ、続きます)
洗馬宿の旅籠屋、吉丸屋の丸山左源太さんと、笹屋の伝左衛門さんは特に、この事に心を痛めていてねえ。近隣の庄屋や村役人に相談もし、木曽路の各宿場と寄り合いを重ね、打開策を探っておったですよ。
お二人は、私の実家にもよく見えたでね。面倒見のよい優しい人で、米を売って欲しい一心で、忙しく駆けずり回り、松本平の米穀商や酒屋や質屋、村役人に掛け合っていたですよ」
「しかし、刻々と値上がりする米を手放さず、自分の蔵にため込むばかりの所が多かったのですよね」
私も知っていることを言いました。かく様のお話に、参加したかったのです。
「そうせ、糸さ。小さいのに、よく知ってるだいね。旅籠屋の左源太さは、いつも言っておったじ。
『米を平素の値段で売って欲しいだけなのせ。「売ります」という証文を書いてもらい、確実に荷送りをして欲しいだけなのせ』とね。
でも、欲深でため込んでる所は、どこも、相手にしてくれなんだからね。
旅籠屋(はたごや)の左源太さや伝左衛門さは、中山道沿いの宿場の衆、村の衆とも、どうしたら良いか、随分話し合っていたずら。どうしたら米や穀類を売ってもらえるか、とねえ。
私が呼ばれたくらいだから、洗馬には苦しい空気が立ち込めていたけど、皆、どうすりゃいいのか分らない、迷いの時期が続いていたのせ。
(次回、連載77に続く。
今日は、松本市12月定例市議会開会の日で、市より35件の議案が提出されました。会期は今日から18日間。冒頭、開会の挨拶と議案提出理由を、臥雲さんが述べました。写真は本会議場へ向かう臥雲さん)

(前回は、前年の秋の木曽洗馬押し出しに、洗馬にいて、米のない窮状を見ていた正彦の母かくの話しでした。まだ、続きます)
洗馬宿の旅籠屋、吉丸屋の丸山左源太さんと、笹屋の伝左衛門さんは特に、この事に心を痛めていてねえ。近隣の庄屋や村役人に相談もし、木曽路の各宿場と寄り合いを重ね、打開策を探っておったですよ。
お二人は、私の実家にもよく見えたでね。面倒見のよい優しい人で、米を売って欲しい一心で、忙しく駆けずり回り、松本平の米穀商や酒屋や質屋、村役人に掛け合っていたですよ」
「しかし、刻々と値上がりする米を手放さず、自分の蔵にため込むばかりの所が多かったのですよね」
私も知っていることを言いました。かく様のお話に、参加したかったのです。
「そうせ、糸さ。小さいのに、よく知ってるだいね。旅籠屋の左源太さは、いつも言っておったじ。
『米を平素の値段で売って欲しいだけなのせ。「売ります」という証文を書いてもらい、確実に荷送りをして欲しいだけなのせ』とね。
でも、欲深でため込んでる所は、どこも、相手にしてくれなんだからね。
旅籠屋(はたごや)の左源太さや伝左衛門さは、中山道沿いの宿場の衆、村の衆とも、どうしたら良いか、随分話し合っていたずら。どうしたら米や穀類を売ってもらえるか、とねえ。
私が呼ばれたくらいだから、洗馬には苦しい空気が立ち込めていたけど、皆、どうすりゃいいのか分らない、迷いの時期が続いていたのせ。
(次回、連載77に続く。
今日は、松本市12月定例市議会開会の日で、市より35件の議案が提出されました。会期は今日から18日間。冒頭、開会の挨拶と議案提出理由を、臥雲さんが述べました。写真は本会議場へ向かう臥雲さん)


2021/11/28
連載75、小説『山を仰ぐ』第3章の1-9
(前回は、山麓線の途中で広げたおこひる(お弁当)を食べながら、正彦の母が、昨年の木曽洗馬騒動の様子を話し始めました。騒動の前に、洗馬の村衆が口々に言っていた言葉です)
『松本藩では、米穀の村外売渡し禁止のおふれが出たと聞くが、そりゃ、ひでえことせ。ささらほさら(踏んだり蹴ったり)さね』
『藩は何をこいで(言って)いるかいね、そんなんじゃなく、藩で持ってる米を安く売ってくれるよう、お願いをしてくだされ』
『どうでもだめなら、近隣の宿や、村衆や、伝馬が集まって、数でもって交渉しなきゃならないずら』
『ひもじくて、もう生きられんのせ、世均しが必要だじ、世直しをせにゃならんずら、そうだだ?』とね。
ひっ迫した空気の中、本洗馬の実家では、炊き出しの準備が必要だったの。
なのに、当主の私の兄は、藩や近隣の村との交渉で忙しく、兄嫁は、心労と気鬱で伏せしまったのせ。
炊き出しの采配を取るために、武居家に嫁に出した私を、昨年の盆の終わりに、一時呼び戻したというわけせ。
糸さには、もうらし(可哀そう)かったけど、私は大そう役に立ったのせ。うちへ来る人は皆ひもじかったでしょ、私も食べられる材料を工面し工夫して、毎日の炊き出しに励みましたよ。
(次回連載76に続く。
写真は、今朝の市民タイムス2面。昨日の『多事争論会』の記事です。2時間の発言の主要部分を、よくまとめています)
(前回は、山麓線の途中で広げたおこひる(お弁当)を食べながら、正彦の母が、昨年の木曽洗馬騒動の様子を話し始めました。騒動の前に、洗馬の村衆が口々に言っていた言葉です)
『松本藩では、米穀の村外売渡し禁止のおふれが出たと聞くが、そりゃ、ひでえことせ。ささらほさら(踏んだり蹴ったり)さね』
『藩は何をこいで(言って)いるかいね、そんなんじゃなく、藩で持ってる米を安く売ってくれるよう、お願いをしてくだされ』
『どうでもだめなら、近隣の宿や、村衆や、伝馬が集まって、数でもって交渉しなきゃならないずら』
『ひもじくて、もう生きられんのせ、世均しが必要だじ、世直しをせにゃならんずら、そうだだ?』とね。
ひっ迫した空気の中、本洗馬の実家では、炊き出しの準備が必要だったの。
なのに、当主の私の兄は、藩や近隣の村との交渉で忙しく、兄嫁は、心労と気鬱で伏せしまったのせ。
炊き出しの采配を取るために、武居家に嫁に出した私を、昨年の盆の終わりに、一時呼び戻したというわけせ。
糸さには、もうらし(可哀そう)かったけど、私は大そう役に立ったのせ。うちへ来る人は皆ひもじかったでしょ、私も食べられる材料を工面し工夫して、毎日の炊き出しに励みましたよ。
(次回連載76に続く。
写真は、今朝の市民タイムス2面。昨日の『多事争論会』の記事です。2時間の発言の主要部分を、よくまとめています)

2021/11/27

今日は多事争論会でした。勤労福祉会館で。テーマは『アルプス公園』です。
アルプス公園の、北南エリアについて、歴史や現状や展望の説明が市長からあった後、会場やズーム参加者からの意見や質問や、市からの説明で、時間超過です。
今話題のアルプス公園キャンプ場についての意見も沢山ありました。キャンプ場反対意見も沢山、賛成意見も沢山。
(出た意見の概要は、また後で。私は今、町会の役員会中。こちらも意見噴出で、延びています)
(今日は会合が3つ。○午前中は、町会公民館女性館長研修会。Mウィングで小松芳郎先生のお話し❣、○午後は上記の会、○夜は町会役員会。
9時に帰宅し、和服を脱ぎ、晩ご飯を食べたら、気が抜けて、多事争論会のメモ2時間分を読む気力が失せました。なぐり書きだから、判読が大変なのです。
報告は、明日の新聞に任せようかなぁ〜。
私の感想は、思っていた以上に、キャンプ場新設に期待する声、賛成の意見が多かったな、です)



2021/11/26
連載74。小説『山を仰ぐ』第3章の1-8
(前回は、中山道と善光寺街道の交差点の洗馬が、いかに輸送の要所で、この近辺がいかに米を必要としていたか。なのに、米は高騰し買い占められていた、、、でした。山麓線を北上する一行は神社で休憩を取ります)
田多井の神社は、去年、正彦さんが小田多井の村を見下ろしていた場所、初めて智恵さまのお名前を聞いた場所でした。
今年も、智恵さまの生まれた、小田多井村が見えます。立派な屋敷林があるので分ります。小田多井の村から北へ十四町(約1、4キロ)のお寺も見えました。去年、教えてもらいましたので。
その向こうには拾カ堰。堰の威力を示すように、堰の手前も向こうも新田が拡がっています。わずかに色づいた稲穂の海に風が渡り、さざ波が流れていきます。ひまわりの群れが、今年も笑いながら踊っていました。
筵(むしろ)を敷き、おこひるを広げながら、かく様がお話をして下さいます。
「去年のお盆は、もうらし(気の毒)かったねえ。山の神社の祭りを見れなんでね。今年は是非見ておくれやね。
そうそう、去年の木曽洗馬押し出しの話しをしようね。
洗馬宿はただでさえ人通りが多く、少し離れてはいるけれど、本洗馬の実家も普段から出入りの多い家だったがね、米がなくなり、困り果てた人が多い時分には、さらに来客が多くなって、皆さん、口々に言っておられましたよ。
『へえ、何とかならねえかいな。わしら、米を買うしかない者は、いったいどうしたらいいずら』
『神林の豪商信濃屋の野口庄三郎は、材木で儲けて、蔵を二十も建てただいね。その蔵には、米が沢山貯め込まれていると聞くだが、さあ、なんとか、いつもの値段で、売ってくれねえだかや』
(次回、連載75に続く。
写真は2年前の『ニューヨーク日記』。家の前の孫2人。)

2021/11/25
連載73。小説『山を仰ぐ』第3章の1-7
(前回は、山麓線の途上、正彦が、前年の、木曽洗馬押し出しの原因を、解説していました。糸が相槌をうちます)
そうです。京から来れば、洗馬は木曾谷の終わり、平らの初めの大きな町で、木曽と松本を繋ぐ要(かなめ)の場所です。
「木曽は山国なので米が出来ず、松本平の米が、洗馬を経由して運ばれていました。中山道沿いの、この一帯の米の需要は大変なものです。
外国との交易が始まって以来、輸出のために生糸や茶が品薄になり、価格が上昇し、他の生活必需品の値もウナギ昇りでした」
それは私も知っています。買うことが出来なくなった、と母さんがぼやいていましたから。
「慶応になってから、米は特に値上がりを重ね、去年は、八年前の五倍の値をつけていました。春の日照りによる不作でさらに高騰し、豪商や酒造り屋、質屋などによる、米の買い占めが横行して、米の不足は深刻だったのです」
ほんとにそうです。ご飯は蕎麦や稗(ひえ)や粟(あわ)の割合が、日毎に多くなりましたもの。
「洗馬は、松本平の入り口、木曽路の入り口です。母の実家は大きな農家ですが、本洗馬で庄屋をし、造り酒屋をし、酒を入れる焼きものも作っていました。器は洗馬焼きと言われています。
大きくて人の出入りが多い家で、連日、各方面からいろいろな相談があったと聞いてます。
そうだ、もうすぐ田多井の神社だから、おこひる(お昼ご飯)にしましょう。去年も一休みしたでしょ。
そこで、母さまに聞いてみたらどうでしょう。昨年の打ちこわしの時には、母さまは洗馬の実家にいたのですからね」
(次回、連載74に続く。
写真は、昨日の『ニューヨーク日記』の一場面。子供のお友達家族と、うちらの家族が、キッチンの中で、料理をサカナに、おお盛り上がりでした)
(前回は、山麓線の途上、正彦が、前年の、木曽洗馬押し出しの原因を、解説していました。糸が相槌をうちます)
そうです。京から来れば、洗馬は木曾谷の終わり、平らの初めの大きな町で、木曽と松本を繋ぐ要(かなめ)の場所です。
「木曽は山国なので米が出来ず、松本平の米が、洗馬を経由して運ばれていました。中山道沿いの、この一帯の米の需要は大変なものです。
外国との交易が始まって以来、輸出のために生糸や茶が品薄になり、価格が上昇し、他の生活必需品の値もウナギ昇りでした」
それは私も知っています。買うことが出来なくなった、と母さんがぼやいていましたから。
「慶応になってから、米は特に値上がりを重ね、去年は、八年前の五倍の値をつけていました。春の日照りによる不作でさらに高騰し、豪商や酒造り屋、質屋などによる、米の買い占めが横行して、米の不足は深刻だったのです」
ほんとにそうです。ご飯は蕎麦や稗(ひえ)や粟(あわ)の割合が、日毎に多くなりましたもの。
「洗馬は、松本平の入り口、木曽路の入り口です。母の実家は大きな農家ですが、本洗馬で庄屋をし、造り酒屋をし、酒を入れる焼きものも作っていました。器は洗馬焼きと言われています。
大きくて人の出入りが多い家で、連日、各方面からいろいろな相談があったと聞いてます。
そうだ、もうすぐ田多井の神社だから、おこひる(お昼ご飯)にしましょう。去年も一休みしたでしょ。
そこで、母さまに聞いてみたらどうでしょう。昨年の打ちこわしの時には、母さまは洗馬の実家にいたのですからね」
(次回、連載74に続く。
写真は、昨日の『ニューヨーク日記』の一場面。子供のお友達家族と、うちらの家族が、キッチンの中で、料理をサカナに、おお盛り上がりでした)

2021/11/24
今日は忙しいので、これ。2年前の今日の投稿です。
今日は、中2男子の友人家族6名と、中1女子のお泊り友達1名の、合計7名のお客様をお迎えして、12人のお食事会でした。
午後、まだ時差ボケ中の娘の運転で、ハイウェイを時速130キロでぶっ飛ばすこと30分、ウェストチェスターの中心部の、日本食ショップへ買い出しに行き、メインメニューの手巻き寿司の準備をしました。
料理はパパが唐揚げ担当、ママが寿司担当で(写真1・2)、私はテーブルセットの助手。
お客様が到着すると、皆様台所に雪崩れ込み、主人夫妻の料理を見学しながら、ひとしきりのおしゃべりタイムでした。台所に10人がひしめき、料理の作り方をツマミに、盛り上がって、、、。
そして出来上がったのが写真3。ビールで乾杯し、4時間近い語らいの時間がスタートしました(写真4)。
子供たちの席は別でリビングに。中2男子は、久々に顔を合わせた転校前の親友と一緒で、楽しそう♥。
夜10時半にお開きで、時差ボケママはベッドへ直行。パパが片付けの食器を洗っています。私も今から合流しま〜す❣


2021/11/23
連載72.小説『山を仰ぐ』第3章の1-6
(前回は、松本藩の隣りの諏訪高島藩が、第二次長州征伐に参加しなかった事を正彦が言っていました。正彦の話が続きます。聞き手は、幼なじみの河澄糸です)
「徳川慶喜さまが将軍になり、和宮さまの兄の孝明天皇がお亡くなりになったのが、去年(1866年)の師走、年の暮れでした」
はい、そうです。それで、正彦さんは、その、木曽洗馬徒党を、どのように、、、
「昨年の夏、洗馬宿に集合して始まった徒党は、まず、地勢が重要な要素です。
松本を南北に貫く街道が、善光寺街道(北国西街道)で、この道を松本から南に下ると村井宿、郷原宿、洗馬宿があります」
はい、分かります。うちらの野麦街道は東西の道で、東の終点が松本の善光寺街道でした。飴市の場所です。
野麦街道の波多と、松本と、善光寺街道の終点の洗馬は、三角形の各点なので、波多と洗馬は三角の一辺になり、近いのです。
「南北の善光寺街道は、洗馬宿で中山道に合流し、中山道を洗馬宿から西へ行けば木曽、京都へ。東に行けば江戸で、洗馬宿には伝馬貫目改所もあります」
そうです、洗馬宿は、中山道と善光寺街道が交わる、活気のある町です。
「中山道の洗馬宿、本山宿、木曽路一帯の街道筋には、旅籠屋(はたごや)が多く、荷物を運ぶ伝馬の人たちも大勢働いています。
昨今は政治向きが大荒れで、京都から江戸へ、江戸から京都への往来が激しく、街道の賑わいは引きも切らさずなのですよ」
(次回、連載73に続く。
写真は、二年前の今日、ニューヨークの家族のために私が作った晩ご飯)
(前回は、松本藩の隣りの諏訪高島藩が、第二次長州征伐に参加しなかった事を正彦が言っていました。正彦の話が続きます。聞き手は、幼なじみの河澄糸です)
「徳川慶喜さまが将軍になり、和宮さまの兄の孝明天皇がお亡くなりになったのが、去年(1866年)の師走、年の暮れでした」
はい、そうです。それで、正彦さんは、その、木曽洗馬徒党を、どのように、、、
「昨年の夏、洗馬宿に集合して始まった徒党は、まず、地勢が重要な要素です。
松本を南北に貫く街道が、善光寺街道(北国西街道)で、この道を松本から南に下ると村井宿、郷原宿、洗馬宿があります」
はい、分かります。うちらの野麦街道は東西の道で、東の終点が松本の善光寺街道でした。飴市の場所です。
野麦街道の波多と、松本と、善光寺街道の終点の洗馬は、三角形の各点なので、波多と洗馬は三角の一辺になり、近いのです。
「南北の善光寺街道は、洗馬宿で中山道に合流し、中山道を洗馬宿から西へ行けば木曽、京都へ。東に行けば江戸で、洗馬宿には伝馬貫目改所もあります」
そうです、洗馬宿は、中山道と善光寺街道が交わる、活気のある町です。
「中山道の洗馬宿、本山宿、木曽路一帯の街道筋には、旅籠屋(はたごや)が多く、荷物を運ぶ伝馬の人たちも大勢働いています。
昨今は政治向きが大荒れで、京都から江戸へ、江戸から京都への往来が激しく、街道の賑わいは引きも切らさずなのですよ」
(次回、連載73に続く。
写真は、二年前の今日、ニューヨークの家族のために私が作った晩ご飯)

2021/11/22
市長記者会見の日。
①コロナ新規感染者は34日間連続でゼロ。
②ワクチンもほぼ85 %が接種終了です。
1、2回目がまだの方は、協立病院と市立病院で接種可能ですが、混雑も予想されます。県の合同庁舎での接種に空きがあるので、そちらのご利用もおすすめします。
○12月議会に提出する議案(補正予算)の主なものは
③8月の大雨被害での上高地線に関する、復旧工事の費用と、代行運行バス費用。
④子供の医療費無料を、15歳から18歳に引き上げる費用。これは令和4年度から始めたいので、補正予算で計上しました。
子供への支援はこれまで以上に力を入れ、結婚、出産、就学とそれぞれの分野で拡充していきますが、これは、高校生年齢への支援です。
⑤都市計画法に基く信大キャンパス内の駐車場に関するもの。市街化調整区域というのを設けているのは(県内で)5市町村です。松本市では、調整区域を地域の実情に合わせて柔軟に考えて行きたいと思っています。
⑥松本城を、来年2月の週末(金・土・日)(3日×4週)にナイトツアーとして、天守の夜間登城を行います。ライトアップした城を天守から見、市職員がガイドします。12月からは、レーザー〇〇で(カラーの)ライトアップもします。
寒い季節ですが、これのために松本に宿泊する方、街を歩く方が増えれば幸いです。
⑦今週の土曜27日午後3時から、勤労福祉会館で、多事争論会ごあります。アルプス公園がテーマです。是非、ご参加ください(ウェブも可)。
(今日の私のPCは、マイクがハウジングして、予算の金額などが聞き取れなかったので、簡単な報告になりました)

①コロナ新規感染者は34日間連続でゼロ。
②ワクチンもほぼ85 %が接種終了です。
1、2回目がまだの方は、協立病院と市立病院で接種可能ですが、混雑も予想されます。県の合同庁舎での接種に空きがあるので、そちらのご利用もおすすめします。
○12月議会に提出する議案(補正予算)の主なものは
③8月の大雨被害での上高地線に関する、復旧工事の費用と、代行運行バス費用。
④子供の医療費無料を、15歳から18歳に引き上げる費用。これは令和4年度から始めたいので、補正予算で計上しました。
子供への支援はこれまで以上に力を入れ、結婚、出産、就学とそれぞれの分野で拡充していきますが、これは、高校生年齢への支援です。
⑤都市計画法に基く信大キャンパス内の駐車場に関するもの。市街化調整区域というのを設けているのは(県内で)5市町村です。松本市では、調整区域を地域の実情に合わせて柔軟に考えて行きたいと思っています。
⑥松本城を、来年2月の週末(金・土・日)(3日×4週)にナイトツアーとして、天守の夜間登城を行います。ライトアップした城を天守から見、市職員がガイドします。12月からは、レーザー〇〇で(カラーの)ライトアップもします。
寒い季節ですが、これのために松本に宿泊する方、街を歩く方が増えれば幸いです。
⑦今週の土曜27日午後3時から、勤労福祉会館で、多事争論会ごあります。アルプス公園がテーマです。是非、ご参加ください(ウェブも可)。
(今日の私のPCは、マイクがハウジングして、予算の金額などが聞き取れなかったので、簡単な報告になりました)


2021/11/21
連載71。小説『山を仰ぐ』第3章の1―5
(前回は、木曽洗馬押し出しの、原因の一つにもなった、長州征伐について、正彦が語りました。正彦が続けます)
「面白ことがあるのですよ。二度目の長州征伐の時、薩摩藩は幕府軍に参加しませんでした。すでに去年の初め、密かに薩長同盟が結ばれていましたからね。でも、参戦しなかった藩がもう一つあるのです。どこだと思います?」
さあ、、、、と考えたところで、私に分るはずもありません。
「お隣の高島藩です」
「えっ、どうして?」
お隣ならお友達かもしれません。松本藩は、高島藩に同調しなかったのでしょうか。
「高島藩主の諏訪忠誠さまは、幕府の要職を歴任された方ですが、その頃は老中をされていました。忠誠さまは『今は国内で戦さなどしている場合ではない、長州出兵は反対じゃ』と主張し、老中職を罷免されました。それで『長州征伐は断固反対』ということで、参加しなかったのです。なんか、楽しい話でしょ」
誠に、正彦さんは楽しそうでした。私はもう少し、複雑でしたが。だって、将軍さまの命令を、無視していいものでしょうか。
「幕府が、皇女和宮さまの夫の、将軍家茂さまの死を公表し、長州への遠征を中止したのが、昨年の葉月(八月・旧暦)ですから、洗馬の打ちこわしと同じ頃ですね」
おお、やっと、木曽洗馬押し出しの話しになりました。去年の夏の事です。慶応二年(1866年)の文月(七月)、私らが初めて岩原を訪れた、ほんの少し後のことでございます。
(次回、連載72に続く。
写真は、静岡の孫2人。大工の娘が、父を手伝い自邸を建てています。写真の右上はその両親)
(前回は、木曽洗馬押し出しの、原因の一つにもなった、長州征伐について、正彦が語りました。正彦が続けます)
「面白ことがあるのですよ。二度目の長州征伐の時、薩摩藩は幕府軍に参加しませんでした。すでに去年の初め、密かに薩長同盟が結ばれていましたからね。でも、参戦しなかった藩がもう一つあるのです。どこだと思います?」
さあ、、、、と考えたところで、私に分るはずもありません。
「お隣の高島藩です」
「えっ、どうして?」
お隣ならお友達かもしれません。松本藩は、高島藩に同調しなかったのでしょうか。
「高島藩主の諏訪忠誠さまは、幕府の要職を歴任された方ですが、その頃は老中をされていました。忠誠さまは『今は国内で戦さなどしている場合ではない、長州出兵は反対じゃ』と主張し、老中職を罷免されました。それで『長州征伐は断固反対』ということで、参加しなかったのです。なんか、楽しい話でしょ」
誠に、正彦さんは楽しそうでした。私はもう少し、複雑でしたが。だって、将軍さまの命令を、無視していいものでしょうか。
「幕府が、皇女和宮さまの夫の、将軍家茂さまの死を公表し、長州への遠征を中止したのが、昨年の葉月(八月・旧暦)ですから、洗馬の打ちこわしと同じ頃ですね」
おお、やっと、木曽洗馬押し出しの話しになりました。去年の夏の事です。慶応二年(1866年)の文月(七月)、私らが初めて岩原を訪れた、ほんの少し後のことでございます。
(次回、連載72に続く。
写真は、静岡の孫2人。大工の娘が、父を手伝い自邸を建てています。写真の右上はその両親)
