連載72.小説『山を仰ぐ』第3章の1-6 
 (前回は、松本藩の隣りの諏訪高島藩が、第二次長州征伐に参加しなかった事を正彦が言っていました。正彦の話が続きます。聞き手は、幼なじみの河澄糸です)

 「徳川慶喜さまが将軍になり、和宮さまの兄の孝明天皇がお亡くなりになったのが、去年(1866年)の師走、年の暮れでした」
 はい、そうです。それで、正彦さんは、その、木曽洗馬徒党を、どのように、、、
 「昨年の夏、洗馬宿に集合して始まった徒党は、まず、地勢が重要な要素です。
 松本を南北に貫く街道が、善光寺街道(北国西街道)で、この道を松本から南に下ると村井宿、郷原宿、洗馬宿があります」
 はい、分かります。うちらの野麦街道は東西の道で、東の終点が松本の善光寺街道でした。飴市の場所です。
 野麦街道の波多と、松本と、善光寺街道の終点の洗馬は、三角形の各点なので、波多と洗馬は三角の一辺になり、近いのです。
 「南北の善光寺街道は、洗馬宿で中山道に合流し、中山道を洗馬宿から西へ行けば木曽、京都へ。東に行けば江戸で、洗馬宿には伝馬貫目改所もあります」
 そうです、洗馬宿は、中山道と善光寺街道が交わる、活気のある町です。
 「中山道の洗馬宿、本山宿、木曽路一帯の街道筋には、旅籠屋(はたごや)が多く、荷物を運ぶ伝馬の人たちも大勢働いています。
 昨今は政治向きが大荒れで、京都から江戸へ、江戸から京都への往来が激しく、街道の賑わいは引きも切らさずなのですよ」

 (次回、連載73に続く。
 写真は、二年前の今日、ニューヨークの家族のために私が作った晩ご飯)

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石上 扶佐子
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