連載34。小説『山を仰ぐ』第2章の2-1

 山麓線を北へ進み、西山が道の端まで迫る小さな峠を越えると、視界が急に開けます。山すそがのびやかに広がり、広がりは丸くて大きな陽だまりのようでした。その明るさの上に、三角錐の端正な山がそびえています。
 緑で塗り込められた、くっきりとした三角形!。
 目が吸い寄せられて見とれていると、籠担ぎの若衆が教えてくれました。
 「寺山ですよ。武田の殿様の頃は、山頂近くにごっつい岩原城があったと聞きます」
 そうですか。今はお城は見えません。でも、中腹に大きなお寺が見えます。
 「あの立派なお寺は安楽寺です。三百五十年も前からあるときいていやす」
 私が心の中で質問しただけなのに、ちゃんと教えてくれた籠の兄さん、ありがとう。
 そうですか。あれが、正彦さんのお友達がおいでの安楽寺ですね。
 「すそ野近くにあるお寺が大同寺で、こっちは千年にもなる古い修業の寺です」
 列の先頭の正彦さんが、振り返って叫びました。
 「次の道祖神の辻を、山側へ曲がります」
 中村の道祖神は双体道祖神で、男女2人の神様が仲良く寄り添って立っておられました。二人で並んで立っているのが嬉しくてたらまない、という風に。
 うらやましいです。うらやましいと思うのは、自分がなりたいってことだから、努力しなさい、って母さんが言ってました。

 (次回、連載35に続く。 
 写真は10年前の秋田で)

連載33。小説『山を仰ぐ』第2章の1-8

 正彦さんは、手を大きく右から左へ廻して、堰が流れていく方向を示します。
 「堰の効果はすごいのですね。上波多村のうちの父さんは、三溝村の正彦さんの父さまや、下波多村の波多腰六佐さまと、波多に堰を引く相談をしています」
 あら、私、正彦さんの話の堰にからめて、なかなか良い応答ができました。
 「そうですね、波多に堰を引くのは長年の夢です。私も力になりたいと思っています」
 まあ、なんと! 正彦さんはまだ若いのに、そんな風に思っているのです。
 私だって、きっと力になります!
 「ここは田多井ですが、東に下ると小田多井という村に出ます。ここと拾カ堰の中間の場所です。
 ほら、お寺が見えるでしょう。あの寺は堀金ですが、あそこから十町(約1.1キロ)程南が小田多井です」
 正彦さんが指さした先を見ると、はい、見えます。田園の只中の集落が。大きな屋敷も2,3軒見えます。屋敷林が立派なのでそれと解ります。背後の神社で蝉がまた、一斉に鳴き出しました。
 「今日これから赴く山口家の伯父さんが言うには、あの小田多井村の丸山家はなかなか気骨のある庄屋で、小田多井が新田であるにも関わらず、村の衆と心を合わせ、主権や自治を堂々と主張して良い村を築いているそうです」
 はあ、そうですか。こうなると、私では、うまくかみ合えません、、、。
 「岩原の山口家の隣りに、安楽寺という大きい寺があるのです」
 はい、それなら知っています。松本の殿さまが、お参りに来るお寺ですよね。
 「その安楽寺に小田多井村の出の若いお坊様がいるのです。今日の山口家の盆の法事に、お見え下さるといいのですが。智恵(ちえい)さまと言います」
 はあ、さようでございますか。正彦さんはお坊様とどんなお話しをされるのでしょうね。
 かく様も真喜治さまも籠担ぎの男衆もお目覚めで、支度が整ったようでした。あと一里、私たちは山麓線を北へ進みます。真夏の太陽がほんの少し西に傾いた頃でした。

 (次回、連載34に続く。今日で第2章の1が終わり、次回から第2章の2です。下記のブログのカテゴリー『山を仰ぐ』に、初め(8月19日)から連続で掲載しています。http://fusakoblog.naganoblog.jp/
 写真は今日の市民タイムス。昨日の記者会見の中のコロナ関連部分が上手くまとまっています)


市長記者会見の日。
 ①今日のコロナ感染者は2人、直近1週間では11人、前週の半分以下で、レベル2になりました。
 市民病院のコロナ枠36床を16に減らします。抗体カクテル療法の6床はそのまま。
 10月1日からは回復期とし、引き続き感染防止に努め、密を避け首都圏への往来は出来るだけ控えて頂きたいです。
 ②ワクチン接種は、11月20日には、希望者全員(市民の80%と推定)が完了します。
 記者の「急速に感染者が減ったのは何故か?」の質問に答えて
 ③○ワクチン接種が進んでいること、
○(感染者の半数を占める20歳代以下の)若い人はあまり重症にならないこと、
○抗体カクテル療法を取り入れたこと、
○病院関係者や医師会の皆さまと協力して対策が出来たこと、が大きいです。 
 波は繰り返すので(年末の)第6波に備え、感染予防を継続し、社会・経済活動はあまりブレーキを踏まないでやって行けるようにしたいです。
 支援はと問われ、
 ④昨日の議会で補正予算が可決され、経営の厳しい事業者に10万円の給付が実現しました。
 消費促進の案件も成立し、今後もさらに、迅速に、支援策を打ち出せるようにしたいです。
 ⑤市の保健所で預かっている21頭の犬の、引き取り申し込みは10月1日〜11日で、市のホームページをご覧下さい。
 説明会をし、お試し飼育をして決めます。愛情を注いで頂きたいと願っています。
 ⑥ふるさと納税の返礼品は今まで24品目でしたが、171品目に増やしました。
 前市長はふるさと納税の制度に反対の立場から、(外からの納税額よりも、松本市民が他市へ納税する額のほうが多くても致し方ないとして)最低限度の取り組みでしたが、
 私としては、
○現在この制度がある以上、(制度は改善されましたし、自治体としての節度を持ち)
○税収を上げるためにも、
○地場産業を活性化するためにも、
○松本市の良さをアピールするためにも、この制度を活用したいと思っています。
 返礼品は今までは農産物だけでしたが、これからは松本の○農産物○食品○楽器○工芸品他を揃え○宿泊券や○旅行クーポン○結婚式の写真サービス○高齢者の見守りサービスなども入っています。
 申し込みの入口も一箇所から複数になりました。
 質問に答えて
 ⑦市立病院が波田の駅前と決まり、駅前にあるスーパーと駅と病院の間が雨に濡れず、高齢者にも安全に歩ける歩道の整備をしたいと思っています。
 線路を挟んで波田支所のエリアとも、近くの小、中学校のエリアとも動線を確保したいです。
 ⑧記者の質問「昨日の議会閉会挨拶での発言、『今回の県議補欠選挙では、新風を吹き込み、松本市のために力になる人材に期待している』との発言は議員へのメッセージでしょうか?」に答えて。
 今回市議の中から、小林あや議員と、青木崇議員とが立候補すると聞きました。松本市の立場を理解していただいているお二人には、松本の課題解決に努めてもらうことが出来ると期待しています。
 (写真は、去年の今日9月28日、9月定例市議会を終えた臥雲さん)



9月定例市議会閉会の日。
 補正予算他、各委員会に付託されていた20件の案件の審議の報告があり、可決、承認、採択されました。
 他に議員さんから国などに提出の意見書などの提出や、〇〇?が。
 以下は、臥雲さんの閉会の挨拶の要約です。
 ①22日間の審議の末、市の原案どりに可決して頂いたことに、厚く御礼申しあげます。 
 ②コロナ第5波がようやく収まり始め、今月末には緊急事態宣言も解除の見込みです。
 松本市は、各医療機関の役割を明確にし、抗体カクテル療法を導入し、入院や療養を短期間で終了出来ることに努めてまいりました。
 11月中に、80%の方のワクチン接種が終了します。これからは、一定の感染者が出ても、社会・経済を回していける体制をつくります。地域経済を下支えする政策に努力します。
 ③昨年の3月(旧市長時代の最後)に白紙撤回された新市民病院の建設案が、(その後議論を重ね)建設用地が決定する段階まで来ました。今後は用地の安心安全に十分配慮して、5年後の開設を目指します。
 駅前が西部地区の賑わいの中心になるよう、準備を進めて参ります。
 ④次の衆院選・県議補欠選から、若者や高齢者の投票率を上げるために、バスを使い、移動期日前投票所を設けます。
 ⑤県議補欠選挙では、新風を吹き込み、松本市の課題解決に力になってもらえる人の出馬を望みます。
 ⑥変革を大胆に推し進め、松本市のシンカに尽力して行きますので、引き続きご協力を賜わりますようお願い申し上げます。
 (写真1は今日の臥雲さん。2はロビーでくつろぐ傍聴者たち)

連載32。小説『山を仰ぐ』第2章の1の7

 風呂敷を広げ、私は茄子のおやきやキュウリ漬や沢庵を並べます。
 「さあさあ、冷たい水で喉を潤した順に、おこひるを摘まんでくれましょ」
正彦さんがまず手を伸ばし、一同も続いて一心に食べ始めました。
 「真喜坊はちょっとお昼寝をするから、皆さんも休んでいきましょ」
 お腹がいっぱいになると、私たちは木陰の草に寝転びました。男衆も離れた所で横になっています。
 お宮の空気はひんやりと冷たく、杉木立が私たちを囲んでいます。葉影が揺れ、陽射しが揺れ、その奥の空の青も揺れていました。
       
 うたた寝をしていたのでしょうか。
 我に返って身を起こすと、神社の敷地の端に立って東を眺めている正彦さんが見えました。
 何を見ているのでしょう。
 私はそっと起きあがり、そっと歩き、正彦さんのそばに立ちました。
 「糸さですか。疲れてませんか」
 正彦さんが声を掛けてくれます。
 なんて嬉しい!
 山麓線に面し、山裾に張り付いている神社であっても、平らの向こう側、東山のふもとを流れる犀川の低地からみれば、かなりの高さがあるのでしょう。
 ここから東を望めば、緩やかに下る扇状地がひろがり、緑の海に稲穂のさざ波が光っていました。
 「拾カ堰ができたおかげで、、、 ほら、見えるでしょう、犀川とこの場所の中程に、一筋の水路があるのが。あれが拾カ堰で、松本近くの奈良井川から水を引いています。
 二十年前に出来た拾カ堰のおかげで、この扇状地に稲が育つようになりました」

 (次回、連載33に続く。
 写真は2年前(2019 年9月25日)市長選に立候補を表明した記者会見で、リクエストに応えて壁の前に立った臥雲さん)

連載31。小説『山を仰ぐ』第2章の1-6

 私の家も野麦街道沿い上波多村の庄屋でしたので、時代の変化は感じておりました。家の出入りや村の寄り合いも増えました。
 「まったくもって、困ったもんせ」
 父さんの呟きは増え、母さんが仏壇の前で手を合わす時間も長くなったのに、私はまだまだのん気な野うさぎでした。山や川には面白いことが溢れ、家の中にはやる事、教えてもらう事が山程あったからです。
 そんな夏の数日、この旅でかいま見た正彦さんの姿に、私は心底驚くことになりました。
 「岩原の山口家まではあと一里ほどになりましたが、ここらで一息入れましょう」
 先頭を歩く正彦さんが振り向いて言い、一行は道沿いの神社の境内に入りました。
 「母さま、真喜坊も、早めだけど、おこひるを食べ、木陰で一休みしましょ」
 籠を覗き込みながらの正彦さんは、身内の方に言う時は、親し気な言いようです。
 籠から飛び出した真喜治さんが、杉の木陰の境内を走り出しました。
 「これえ、真喜坊、そんなにとんでっちゃ(走ったら)、危ないじ」
 かく様も籠を出て後ろを追いかけ、二人は神社のお水の前で止り、喉を潤しています。
 「おやまあ、この水は特に冷っこくてうんまいこと」
 かく様はそう言って、私に手招きをしました。
 道中には、山から流れるせせらぎや、道端の岩壁から染み出る湧き水が幾つもあり、その都度、冷たい水を口に含み涼を取って歩いて来ましたが、この神社に引かれた水は特別の冷たさです。
 かく様は私に手足や首筋を拭いて冷やすように言い、ご自分もそうされました。正彦さん、真喜治さん、籠衆の二人も身体を洗って汗を流し、さっぱりと涼し気なお顔です。
 (次回、連載32に続く
 写真は5年前の7月です。)

連載30。小説『山を仰ぐ』第2章の1ー5

 私は野うさぎのように跳ねながら、正彦さんの後ろ姿を追いました。山裾を巡る道の頭上で、空はこよなく濃い青です。山の緑に負けじとばかりに。
 東に望める松本平には水田が広がり、緑の穂波が揺れています。遠くに屋敷林、近くにはひまわりの一群が見えました。
 その日のひまわりは、笑っているようでした。ええ、確かに。
 踊りながら笑っていました。私のように。

 しかし、目の前を行く正彦さんは、野うさぎでもひまわりでもなかったのです。
 これは後に分かったことですが、庄屋の長男として、これからをどう生きて行くべきか、慶応2年、数え歳十四の正彦さんはすでに、模索の日々を歩み始めておりました。
 十三年前の嘉永六年にペルリが浦賀に来てからは、外敵の侵攻に備える他、皇女和宮さまの輿入れの行列や、二度の長州征伐の御用のために、幕府は各藩に多大な負担を強いています。
 松本藩はその度に、御用金や食料や人や馬をかき集めなければなりません。藩の命令に奔走し、工面に力を尽くし、なんとしてでも差し出さねばならない各村の庄屋の苦労はひとしおでした。
 村の庄屋は、朝令暮改の藩の命令に翻弄され、疲弊する村の民を背負い、先の見えない時代の真っ只中を歩いていたのでございす。

 (次回、連載31に続く。
 写真は去年の今頃の松本・中町通り)

連載29。小説『山を仰ぐ』第2章の1-4

 武居家では、真喜治さんを囲んで、家族や手伝いの人が庭に出ています。私の到着を待っていたのでした。
 「それじゃ、出発としましようか」
 父上美佐雄さまの声を合図に、正彦さんの妹さま方が真喜治さんから手を離しました。皆寂しそうではありましたが、そこは今日までに両親から十分に言い含められてきたこと、泣く子はいません。
 「盆の最中に、ご当主が家をあけるわけにはいきませんのでね、長男の正彦が名代です」
 私を見ながらそう言って、母上のかく様はころころしたお体を籠に滑りこませます。
 盛大な見送りを受け、かく様と真喜治さま母子、正彦さん、私の四人の行列が武居家の門前を出発したのは、涼しさが残る朝五つ辰の刻(午前八時)のことでした。

 三溝村から岩原村の山口家までは四里。梓橋を渡り、大宮熱田神宮で一休みした後は、真直ぐに北へ進みます。西の山並みのすそ野を巡る山麓線から、松本平が一望できました。蝉しぐれが降り注ぐ道です。
 平らの遥か南東に、黒く小さく光っているのは松本のお城。道の端に葛の葉が生い茂り、背後に聳える飛騨の前山は、朝陽の中で緑がしたたる輝きでした。
 かく様の籠を屈強な男衆が前後で担ぎ、母の膝には真喜治さん、籠の前を正彦さんが歩き、籠の斜め後を歩く私は、かく様と坊やのお世話をする役です。正彦さんの妹たちはまだ小さいので、お供役に私が抜擢されたのでした。
 ああ、なんて嬉しい!

 (次回、連載30に続く。
 写真は10年前の私の部屋で。)

連載28。小説『山を仰ぐ』第2章の1-3

 三溝村武居家の盆は、十四日もそのように過ぎていきました。入れ替わり立ち代わり、村の衆や親戚や客が訪れ、ご馳走が振る舞われています。
 「おはるかで(久しぶりで)ございます」
 「ちょっと、寄ってきましょ」
 「へえ、ありがと」
 「あんべ(具合)はどうかえ」
 「なからってもんせ(だいだい大丈夫)」
 「今年の盆は、江戸の殿さまの長州征伐につきあわされて、ささらほうさら(踏んだり蹴ったり)だいね」
 「ここら辺の衆も、駆り出されて、寂しいもんせ」
 「武居の爺さまも、藩の出兵のお供で、軍夫を連れて大阪へ行ってるずら。もう、一月も経つかいねえ」
 「爺さまや、郷の衆は、達者でいるだかや」
 「お侍ではないからね、馬引いて米運ぶだけなら、案じることはねえ。長州まで行くわけでもないずら」
 「おお、真喜坊さ、大きくなったじゃねえかい」
 「明日からは、岩原の人になるだいね、達者で暮らしなね」
 「あてっこ(腹当て)一つで、元気なもんせ」
 歩きはじめた真喜治さんは、金太郎さんの腹あて一枚で、はしゃぎながら人々の間を行き来し、あちこちで抱き上げられ、お祝いの言葉をもらっていました。
 「本人はまだ、何がおこるのか知らんでしょね、、、、」
 「いやいや、なんとなく、分っているんでないかえ」
 小さくても、覚悟のようなものは、できつつあったかもしれません。むろん、無自覚ではあったでしょうが、、、、。

 十五日の朝早く、着替えの浴衣を風呂敷に包んで背中にくくり、私は上波多村の自宅から、三溝村の武居家へ向かいました。
 正彦さんの家までの一里の道は、朝飯前のひとっ跳びです。朝飯もしっかり食べてきたのであれば、梓川と並んで下る今朝の道は、特別に幸せな、元気いっぱいの風が吹いておりました。

 (次回、連載29へ続く。
 写真は三浦半島からの富士。




市長記者会見の日。
 ①本日のコロナ感染者はゼロ人。直近1週間では27人で、先週に引き続き、落ち着いています。
 日帰りでの抗体カクテル療法が始まり、ワクチンの全世代接種を促進することで重症化が抑えられる見込みです。
 ワクチン接種の2回了は全体の51%(国、県の平均よりは上回っている)、予約は30代が65%、20代が57%で徐々に増えています。
 11月20日を目処に、市民の80%、希望者の全員に接種が出来るように、やるべきことをしっかりやっていきます。
 ②ワクチン接種に関して、9月18日土曜日に、アルピコでの集団接種で、129人分のワクチンを破棄する事態がありました。
 ワクチンは原液を生理食塩水で2倍に薄め、それを6本の注射器に吸い取り、6人分の液を作りますが、その過程で、手違いがあり、ワクチンが入らない、食塩水だけの注射器が6本発生しました。事態を深刻に受け止めています。
 幸い問題の注射器は人に注射されずに済みましたが、今後このような事が無いよう、方法手順を変更し充分な注意を払って行きます。
 ③いじめなどの懸念から集団接種はしませんが、明日から12歳13歳14歳の接種予約が始まります。家で良く検討し、個別で前向きに考えて頂きたいと思います。
 ④昨日から1週間は、動物愛護週間です。業者は勿論のこと、一般へも適切な飼育を呼びかける期間ですので、動物も人も快適に暮らせるよう、しつけや糞尿の管理には責任を持って望んで下さい。
 松本市の保健所で預かっている21頭の犬の申し込み受付は来月以降になります。
 記者の質問に答えて
 ⑤槍ヶ岳で起きた地震は、幸い人命にはつながらなかったけれど、今後は地震、自然災害への備えも必要です。
 山を楽しむ人口の裾野を広げるには、山のプロに出すよりもさらに、きめ細やかな情報や、連絡の取り安さが重要です。
 以前から要望が強かった、北アルプス入山者に金銭の負担をしてもらう試みが始まりました。
 様々な整備を整え、安心安全な登山を多くの世代に楽しんで欲しいです。
 写真2は、今日の夕方のNHKニュースより

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