連載12。小説『山を仰ぐ』第1章・1865年ー②御城下への道・天狗党-1

 越中富山と松本を結ぶ飛騨街道は、飛騨高山から野麦峠を越え、その終盤を梓川へと下ります。上波多村は、梓川の河岸段丘の上の段にあり、東に四里進むと松本の御城下でした。
 野麦街道が一番の近道ですが、今朝は川沿い下の段を進みました。下の段の武居家に寄ったからで、 新村までは梓川沿いの下道です。口から出る息が綿あめのように白く見えますが、まつ毛の先では凍っていきます。手も冷たいけれど、どんどん歩いているので、寒くはありません。
 川辺では大柳の長い枝が霧氷でキラキラ光り、平らに点在する屋敷林では、高い木の枝に積もった雪が落下して、粉雪は静かに煙になりました。
 東に下る梓川はやがて、北へ向かう木曽川(後に奈良井川と呼ばれます)に合流し、犀川になります。私たちが歩く川沿いの下道が、新村で野麦街道と合流する頃、梓川の流れは街道を離れ北へと逸れていきました。
 道の端のネコヤナギの新芽が、いぶし銀に光っています。村境の道祖神の横に、太い丸太が置いてありました。旅人のための腰掛です。
 「新村の入り口じゃ。一休みするかいな」
 独りごとのようにいいながら、父さんは丸太の雪を払い、座りました。
 やれやれ、休憩が出来て助かります。大人の男の後を付いて行くのは大変ですから。
 夜明け前に家を出たから、お腹も減っています。母さんが持たせてくれた包を開けると、やっぱりピカピカのゴマ塩むすび! 
 正彦さんの分もあったから、母さんは三人だと知っていたのです。
 父さんを中に挟んで向こう側に座っている正彦さんが、前かがみになり、小声で父さんに話かけました。
 「去年の秋の、和田峠の戦さですが、、、」

(次回、連載13に続く)


< 2021年09>
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石上 扶佐子
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