今日は、松本市健康づくり推進員連合会総会です。
8時半に近くのスーパーで、お仲間の車が私を拾って下さり、島内の音楽文化ホールへ向う予定。
 夕方までの長丁場なので、ゆっくり寝てるつもりだったのに、いつもの時間に目が覚めました。緊張もあるかも。
 東の山に陽が昇り、小鳥の声がこだまする、綺麗な朝です。

 目前に美ヶ原の山が迫る、我が家の東側の窓を開け、山の上に朝日が昇ってゆくのを感じながら、今朝は、本を読んでいました。特別にいれたドリップのコーヒーを、飲むのを忘れ、傍らに置いたまま。
 しばらく留守をするので、今日中に図書館に返却しようと思い、最後の部分を急ぎ読んでいたのは「明日の子供たち」という小説です。
 400ページもある分厚い本で、作者も知らなかったけれど、題名に引かれて借り、さっき読み終わりました。
 読みつつ、思っていたのは、今どきの小説って、こんなに平らで、普通の感じで、何気なく、当たり前で、、、、。
 こんなんで、いいんだ~~~。いいなぁ~~~、という感慨。
 児童福祉施設を巡るあれこれと、その子供たちを見守る「ひだまり」という施設のお話しです。青春小説でもあります。
 小説の中の「ひだまり」は、我が町の「ひろば」や「児童館」に似ています。。
 その意義を再認識し、幾人かの主人公たちが奮闘し、頼りにした行政の仕事の大切さも知りました。

 「明日の子供たち」と同時に返却するのは、いわさき・ちひろ絵、松本猛文の「ちひろの手鏡」と、松本猛著「安曇野ちひろ美術館をつくったわけ」という本です。むろん、どちらも素晴らしい本。
 ちひろさんの絵と共に、猛さんの「母は、、、」「母の、、、」という文章に触れて、私の記憶が呼び起こされました。
 私の母は、私が幼年のころ、『なんとかの友』というような薄い雑誌を毎月とっていて、その表紙が、ちひろさんの絵でした。
 母は、ある時、その雑誌に小さな童話を書き、それが掲載され、私に読んでくれました。
 題は「ふうちゃんのアルバム」というのではなかったかしら。(「チャコちゃんのアルバム」だったかな?、これもあだ名でした)
 私はすごく嬉しかったのに、ふくれた記憶があります。
 心の中で「勝手に私のこと、書かないで、、、」と拗ねて。テレていたのかも。
 その、母の小さな物語の、題名の上の空間に描かれていたのも、確かに、ちひろさんの絵です。たぶん、確かに、、、。
 ちひろさんの絵が、私には文化のように感じられるのは、私が20歳の時に亡くなった、母の記憶の、エッセンスのようなところがあるからかも、と思いました。

 6月1日から13日の予定で、ニューヨークへ行ってきます。
 来てくれたら助かる、と言ってくれる人(女性ですが)がい、喜んでくれる人(子供ですが)い、
 今回もまた、航空券を用意してもらって海外へゆけるのは、奇跡のように贅沢で、ありがたいこと。感謝です。
 NYの孫が、日本語で会話をするのは、日本のおばあちゃんとだけなので、日本語係として、沢山おしゃべりをし、学校の事情や、子供の世界の雰囲気を、いろいろ見聞してきます。

 昨日のNHK朝の連続ドラマで
「向島電気は、そんなやわな会社じゃないよ。きっと持ち直すから、それを信じて、我慢して、がんばろうね」
 というセリフがあり、感動しました。
 その後のミサで、神父さまは
 「悲しみは喜びに変わる。
 苦しい歩みも、大きな喜びに招かれている。
 そのことを信頼して、生きるように」と言われました。
 信じて、信頼して、希望を抱いて、越えてゆきましょう。

 大町のラ・カスタや豊科近代美術館には遠くおよびませんが、うちの庭にも、少し花が色を添えました。
今朝は雨なので、いい写真がとれません。
代わりに家の中のシャクヤクです。

 昨日の朝のゴミ出し時、隣家の老紳士が、ご自宅の庭の水やりをしている場面に遭遇しました。
 ホースから噴き出る水が、朝日に光り、虹がかかりそうです。
 重なりあう庭の樹木は若葉が明るく、庭木の間に整えられている花々は、色濃く鮮やか。
 なんと綺麗な、5月の朝の庭でしょう。
 夕方、図書館からの帰り道、通りがかりの角の家の庭で、ご近所さまが水まきをしていました。
 5月の夕暮れの庭も、瑞々しく輝くようです。
 庭の木立の合間からご挨拶をすると、手を止め、花を切って手渡してくださいました。
 大輪のシャクヤク3本、咲き誇る大きなバラ、アヤメ、ツツジなどを抱えて、我が家にたどりつくと、なんだかみすぼらしいうちの花壇。
 庭を整え、花を咲かせるというのは、ほんとに難しいものですね。
 今日は曇り日なので、ちいさな花壇を、なんとかしたいと思います。

 いわさきひちろ著「ラブレター」、の中の、「おじいさんのすることにまちがいはない」は、次のような文章です。
 「”おじいさんのすることにまちがいはない”というアンデルセンの童話をご存じですか。
 馬をつれて町へでたおじいさんが、途中でであった人たちといろいろなものに交換しながら、さいごにくさったりんご一袋ととりかえてかえってきます。それをむかえたおばあさんが、「ほんとにおじいさんのすることにはまちがいがない」といって心からほめる話です。
 私たち夫婦は、おたがいに、その童話のおばあさんに、少しにているところがあります。だから少しおめでたく、少ししあわせなのではないかと思います。
 私は夫の仕事をおおまかには理解しているんですけれど、細かいことはむずかしくてよくわかりません。だいいちあんなにおおぜいの人前で演説をするなんてことはまったく不思議な、異質な能力です。
 夫にしたってきっとそうでしょう。音楽と図画ではいい点をとったことがない人ですから、私のことを同じように、なんと不思議な能力のある女性だろうと思っているにちがいありません。そういうことは口にだしませんが、私がどんなにへたな絵を描いたって感心してほめてくれるところを見ればわかります。まさにさきの童話のおじいさん版です。
 こんなわけで、おたがいに仕事のことは直接にはたよれないけれど、私の絵がスランプで困っているときなど、夜おそく私は夫にいろんな話をしかけます。どういうふうに私たちは生きていかなくてはならないだろうかというような話、目先の具体的な話ではなくて、なんだか大きい人生の話です。この話し合いは絵には直接関係がないのに、私の仕事にはプラスになるのです。
 自分の毎日描いている絵を、せせこましい技術をはなれて、この世の中や、また歴史の中に大きく広げて考えて見ることができるからです。」
 ひちろさんが50歳の頃の文章です。彼女は、1974年、55歳で亡くなりました。

 図書館で「戦争孤児」という本を借りたついでに、いわさきちひろ絵の「「戦火のなかの子どもたち」物語」と、いわさきちひろ「ラブレター」という本を借りてきて、読みました。
 「大人というものは、どんなに苦労が多くても、自分の方から人を愛していける人間になる、ということなんだと思います」と。

 今朝、空気の中に引かれた、1本の線の向こう側から、その線の隙間を滑り抜けて、元気な小鳥が一羽、私の手元に舞い降りてきました。
 小鳥は、私が手にしていた、何か美味しいもの、をついばみ、それはそれは嬉しそうに羽ばたいています。
 目覚めかけの夢での光景ですが、その命の喜びに満ちた小鳥の姿が、未だ、目の奥に鮮明です。
あの小鳥は、誰かしら?

 ボタンの名所と聞いて、近くの玄向寺へ行ってきました。
 オープンガーデンは、幾種類・幾色のボタンが花盛りで、シャクヤク、シャクナゲ、アヤメ、ツツジ、フジなども、きれいでした。イチョウ、マツ、スギの大樹は、目もくらむ程のもの。
 寺や神社が、古い木をお守りくださることは、誠に尊く、ありがたいです。
 寺の坂道の両側に並ぶ石仏群も見事で、見応えがありますが、入り口の六地蔵の案内を読んでいたら、六地蔵は子供の守り神、というようなことが書いてありました。心応えがズシリ。

 車を変えたという人にあやかって、靴を新しくしました。
 歩いて20分の場所にあった、大型スーパーが改装工事のために閉店してから1年余(2年弱かな?)、近所の高齢者は「靴・服は全く買っていません」という人が多いのです。私もです。店がないから。
 それで、昨日はバイクを駆り、靴屋を求めて遠出。
 常用する、外出用と、普段用(歩き靴)と、庭用の3足を買うつもりで(どれも、その必要ありと判断して)いましたが、普段用は気に入ったものがなかったので、今回は、2足のみ。
 夕方、さっそく新しい靴を履いて、庭にでると、暮れなずむ空には、秋のような風が吹いていました。
 鉢のトマトを地に植え、菊菜やチンゲン菜やホウレン草を収穫。
 夕闇がせまる中、野菜の判別がつかなくなるまで、庭をウロウロできるのも、すてきなことです。
風が吹いて。

< 2017年05>
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