安曇野検定が終わりました。(昨日)。
 快適な中央図書館大ホールで10回の講習会を開き、検定のための学習資料をまとめ、試験問題をつくり、検定を実施してくださった(いずれも無料で)、安曇野市教育委員会に深く感謝します。
 めげつつも、気を取り直して、、、を繰り返した、穂高での初めての冬。
「検定を受ける」ことで乗り切れたのかも。
 成果も沢山ありました。
 茫漠としていた安曇野が、かじれる程度には近づいて。
 試験が終わった昨日の午後は、検定仲間の友人と万水川(よろずいがわ)のほとりを歩きました。
 真冬の土手道に川風がビュービュー音を立て、私たちは、安曇野を歩く、という喜びに吹かれていました。
 今日は朝の10時に集合で、白金地区の方々と、勉強会。
 めったに中にははいれない、相馬愛蔵さんと黒光さんが暮らした相馬家の洋館に入らせていただき、ゆかりの品々を拝見しつつ、現当主の安兵衛さまから、当時のことを沢山伺いました。
 お昼前に相馬家の神社や墓、荻原碌山の生家や墓を廻りました。どこも、びっくりするほど私の住居の近くです。
 明治後期、この辺りに湧水のごとく流れていた清冽な息吹を感じながら、
 昼からは、碌山と彼の代表作「女」にまつわる美しいドキュメンタリー番組の録画を見ました。
 持ち寄りの昼食会では、差し入れの一升瓶がテーブルの上をあちこち移動して、、、、。
 ほろ酔い気分で帰宅した私は、さっきまでぐっすりお昼寝。
で、まだ寝ぼけています。

 紅白のトリを務めた高橋まり子さんのことは、ずっと知らずにいましたが、もとペトロ&カプリシャスのボーカルだったと聞いて、納得しました。
 あの時代の私が、「リリー・マルレーン」とともにによく歌い、いまでもフェイバライトソングのファイルに挟まっている「5番街のマリー」や「ジョニーへの伝言」や「別れの朝」を歌っていた人なのでした。(ちなみに最後の3曲はともに、阿久悠の作詞) 
 その高橋まり子さんのことを、年末の番組「SONGS」が特集していました。
 ペトロ&カプリシャスを一緒に退団し、その後も共に音楽活動を続けてきたご主人と並んで受けていたインタビューは、印象深かったです。
 数年前、まり子さんは、重症の更年期障害で鬱のようになり、休業を余儀なくされたのですが、その時、ご主人が
 「僕もどんどん落ち込んでくるし、二人で落ち込んでいても仕方がないので、まり子を強引に外に連れ出し、僕は先を走って、付いてくるように、と言った」(うる覚えなので、大意として)とご主人が述べ、まり子さんが
 「そうね、必死で追いかけた、、、
 自転車で、、、、
 ボロボロ泣きながら、、、、」(これもうる覚えの大意として)。
 まり子さんが「あの時の事は感謝している」と言い、ご主人が
 「一番つらい時期だったけれど、うれしくもあった。絆を強く感じて、、、、」(大意)と言っていました。
 以来、私の脳裏から、泣きながらも、喘ぎつつも、自転車をこいで追いかけるまり子さんの姿が離れないのです。

 大きなスーパーが、我が家と図書館の間にあるので、買い物は図書館の帰りに済ますのですが、今日は月曜で図書館お休みだから、午前中の明るい陽射しを浴びに、外に出ました。
 庭や畑にはフレッシュな雪が積もり、駐車場も一面キュキュッと締まった白銀の絨毯。白い轍を踏んでのお出かけです。
 真西を向いて歩くので、正面は通称北アルプスの飛騨山脈。ここ数日の積雪で山容はカチコチの白です。
 進行方向正面に聳える常念岳の鋭利なダブル三角錐も、真っ青な厳冬の空にまばゆく輝いて、、、、というのは、目をつぶった時に見えた常念で、目を開ければ山脈の上部は雲の中でした。
 でも、その雲がちぎれ、私が歩く道の真上にも幾つか流れていたので、紺碧の空に輝く一朶の雲を見ることができました。
 一朶(いちだ)を広辞苑で引いたら、(花)の一枝、(雲などの)ひとかたまり、とありました。きれいな言葉ですね。
 HNKのドラマ「坂の上の雲」の主題歌「STAND ALONE」の中に出てきました。
 「凛として旅立つ 一朶の雲をめざし」という具合に。
 少年よ大志をいだけ、と同じ時代の雰囲気を伝えている美しい歌です。
 目指すものははっきりとあるけれど、それは流れ、形を変え、ある時は消えてゆく。
 しかしなお、凛として旅立つ。
 生きる姿勢が大切なのね。

 今朝はたぶんマイナス10度くらい、ベランダのガラス戸は例によって凍り付いて動かなかったけれど、差し込む陽光は日ごとに明るくなってゆきます。
 たとえば、茫然と歌を聞いている時期があり、やがて、その歌に癒されているのかも、と思う時があり、そしてある日、歌って見ようと思う。
 少しずつ歌えるようになると、もっとうまくなりたいと思い、いつか誰かと歌えたら、という気持ちにまでなる、ということがありますよね。
 それは陽ざしの変化みたいなものですね。
 良くなったり悪くなったりの変化も、変化を気に留め、楽しみ、対応を充実させれば、いつの日も平安かも。
 太極拳も、基礎英語も、料理も、裁縫も、ちっとも上手くならないし、いちいち手間がかかるのだけれど、今は、上手になりたい、という希望の中にいるから、幸いです。

農場の家族が、穂高の我が家へ来てくれて、晩ご飯です。長男の妻女の輝ちゃんが撮影して送信してくれました。

[松村輝美→石上扶佐子]
今日はふーばあちゃんと。
鍋に刺身に焼肉美味しいね(*^^*)

ダイジェスト動画を見て素敵だったので、たまにはPCで映画でもみようかなと、と思っていたのに、ついついオペラを聞いてしまったり(昨夜のEテレの、ニューイヤーオペラコンサート)、今日こそは新春ウオークで、近くの小さな山に登ろうと思っていたのに、(雪が降ってきたので)ついつい縫い物を始めたり、の気ままなお正月です。
1日のEテレ、100分で名著、は幸福とは、という特集でした。
定かな記憶ではありませんが、4人の先生はそれぞれに、
幸福とは、断念の後の悟り、 
幸福とは、他人の痛みがわかること、
幸福とは、確認し合うこと、
幸福とは、愛する人の幸せを願うこと、であると、まとめておられました。
私も幸福でありたいと願う者の一人なので、心してお聞きしました。
お正月は、藤木正三という方の説教集を読みました。
日を重ね、年を重ねるということは、知らなかった世界の深み(軽み、かな?)に、一歩一歩踏み込ん行く(吹かれて行く、かな?)ことのようです。


 開けましておめでとうございます。
 テレビでは、ウイーンフィルのニューイヤーコンサートが始まって、初春の嬉しさが広がっていきます。
 昨夜は0時前に、近くの白金神社に行き、氏子代表の方々が準備され焚火にあたりながら、新年を待ちました。
 いつもなら、ひなびて、うらぶれた廃屋のようなこの小さな神社の境内に、暖かな火があかあかと燃え、強風にあおられて時に火の粉が花火のように舞い上がります。
 拝殿の戸が開けられ、参拝の後に、手に持つように言われた盃に、お神酒を注いでいただきました。
 盃が結婚式で見るような木の平たい器だったので、
「あの、三々九度、のようにしていただくのですか?」と思わずお尋ねしたら、
「そうです、3回で飲んでください。そのほうがむせないので。」とのお言葉。
 私は三々九度でお神酒をいただいた後、お守りのお札と、ミカンと、するめの一切れを手のひらに載せていただきました。
 お神酒のせいではないと思うけれど、胸が熱くなりましたよ。
氏神さまは、気温はマイナスであろうと思われる寒風のなかで、
体を温めるためにお酒をふるまわれ、栄養をつけるためにするめの蛋白質を与え、ビタミンの補給にミカンをそえ、さらにお守り札を持たせたのです。
 氏子たちの、これからの一年の日々を気遣いながら。
 新年の到来を知らせる神社の太鼓が響く中、私は除夜の鐘を打つために、東光寺に向かって歩き始めました。
 里の道は真っ暗で、空には満天の冬の星座!

 東光寺の鐘の音は、近くで聞くと、鐘の中で千の音が交差し、響きはきらきら光るようでした。
 鐘の音の落ち着きの中にも、軽やかさと喜びが伝わってきて、、、、。
 住職さまが手を取ってつき方を教えてくださいましたが、始めと終わりには、鐘に向かって手を合わせるのです。鐘あるいは鐘の音も、仏に属するのですね。
 ここでも、甘酒と西陣織の袋に入ったお守りを頂きました。
 その後は東光寺の除夜の鐘をききながら、穂高神社へ。
 元旦の朝は、穂高教会の元旦礼拝にも預かり、心ほこほこのみ言葉を沢山いただいて清められました。
 穂高を味わった、いいお正月でした。
 今からは、ウイーンの新春を堪能しますね。今一番いいとことろに差し掛かって、こころもそぞろ、、、

< 2014年01>
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石上 扶佐子
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