年子で生まれた兄と妹は、日本で生まれ、幼少期を秋田で過ごし、小学校へ上がる頃アメリカに渡りました。
 今では兄と妹も、家族のために晩ご飯を作る事ができるティーンエイジャーです。
 多くの時間を共に過ごした仲良し兄妹は、よく喧嘩もしましたが、そのお陰で、人間を深く見る目を獲得しました。
 とりわけ、コロナの時代と重なった10代の初めは、苦しいことも多かった分、大きく成長したことに驚きます。
 二人は、すでにもう、どこへ出しても恥ずかしくない、賢く優しく強い品性を備えています。
 写真は、コロナから家族を守った、ソマーズの家の庭で、くつろぐパパと子供たち。

写真1と2と3は、バンクーバーへ旅立つ朝のパパと娘です。ママは当面撮影禁止なので、アップできません。
 パパも娘も白い大きなビニール袋を持っているのは、「しばらくひとりになるグランマが、重たいゴミを出すのは大変だから」と言う配慮です。ありがとね。
 写真4はキャンプへ行く朝の高3男子。パパが遠くの北の森へ送って行きました。
 すでに皆、無事に帰って来て、またにぎやかな日常の始まりです。

アメリカの家族が、ソマーズの丘の上の家に引っ越してきたのは、4年前のコロナ前のことでした。
 私が新居を訪問して帰国した直後から、往来ができなくなったのです。
 日本のTVニュースでは、死者続出のニューヨークからの報道が相次ぎ、よく「さぞや、ご心配でしょう」と声を掛けて頂きましたが、私は安心していました。
 あの、丘の上の家に家族4人が隔離されているかぎり、コロナからは免れるであろう、と。
 この、三年間の安心は誠に貴重で有り難く、避難場所を用意し、コロナ前に家族をこの家に導いてくださった神に強く感謝しています。
 さて、ちょうどコロナが終わった所で、娘家族は元のママロネックに戻ることになりました。
 ソマーズの家を3年半ぶりに訪れてみると、今去ろうとしているこの家への感謝の気持が湧いてきます。
 その思いをしみじみと味わうには、この間のひとり暮しは最良の時間でしたね。
 多くの時間を読書ですごし、そこら辺にあった日本語の本を5冊読み、いづれも、この時のために用意された神さまからのプレゼントのように思われました。神さま、ありがと。
 写真1は、ふと気が付くと夜の8時40分。外にはまだ明るさが残っていました。
 写真2の、このベランダの椅子でも、長い間本を読んで過ごしました。写真3は、雷が鳴り夕立に見舞われたので、家の中に避難してパチリ。
 写真4は、寝室の窓辺からの眺めです。夕暮れ時は街灯が灯り、特に綺麗。
 写真5は、同じ窓辺の朝の風景。写真6は、その窓辺が激しい雨にしぐれた午後。
 ソマーズの、別れが切ない丘の家の思い出です。


写真の豪邸に、私は一人で住んでいます。5泊6日の予定で。
 なぜなら、ここの住人が皆いなくなってしまったからです。
 ママは仕事で、パパと高2女子は旅行で、共にカナダのバンクーバーへ。高3男子は、遠くの森のキャンプへ。
 残りの私と猫2匹が、ここで静かに暮らしています。
 今月1日にニューヨークのソマーズに着いた時には思いもよらないことでしたが、人生には想定外のことが起きますね。
 ここにきてすぐの頃、森の中の共同水道タンクに穴が空き、14時間水が出ないという事態が発生したので、一人の留守番は心細くて戸惑いました。
 しかし、猫どのを預かる大切なミッションを理解し、いざ、突入してみれば、なんと、これは天国以上でありました。
 窓外はどこを見ても、目もくらむような瑞々しい緑、全館冷房は24時間78度に保たれ(日本温度では何度か分からないですが)、静かで。
 冷蔵庫や食料棚の整理をしたり、本を読んだり、とろとろ眠ったり、裁縫をしたりしています。
 今日は2週間に一度の「お掃除3人組レディー」が来る日なので、緊張して1日待っていましたが、ついにお見えになりませでした。バンクーバーに問い合わせて事情を聞いてもらったら、「忘れていた」そうです。
 あら〜〜。楽しみにしていたのにねぇ。しかたなく、私がお掃除しました。適当に。
 すでに3泊4日が過ぎ、残りはたったの2日。残念です。
 写真は、この家を売るために撮影したもの。住みながら、家族皆で必死に片付けをしたかいがあり、広告を出してすぐに売れたそうです。(次のママロネックの家の都合で、引っ越しはひと月後)。
 アメリカでは、抗がん剤治療は日帰りなので、抗がん剤を打ちながら引っ越し準備をし(引っ越しをし)、5泊6日の海外出張をこなし(準備が大変だった❣)、その旅行の帰りがけに病院へ寄って、第4回目の一番きつい抗がん剤を打って帰って来るという、この家のママって凄くない?
 一応は、ママのサポートのつもりで、はるばるニューヨークへ来たグランマですから、ママの帰宅後を注視しなければ。
 最後の写真は、今の私の部屋です。部屋主が2週間のキャンプへ行っているので。

写真1は、作詞作曲を学ぶデイキャンプへ通うミアです。
 そのキャンプの最終日に発表会があり、ミアたちの歌が、一等賞をもらいました(動画)。
 歌詞は、1番が子供の情景で、ミアはウクレレを弾きながら歌います。2番はウクレレをギターに持ち替えて、ティーンエイジャーの情景。3番は老人ホームのお茶の時間の情景です。要約すると、
 
 森の中を子供が走る。
 足の下には葉っぱと風。
 湖の水に子供が映る。

 パーティーで踊る人たち
 赤、橙、黄色の空にはやがて星が見える。
 鏡に映る私。

 老人ホームのお茶の時間。
 大切なメモリーがお茶碗の中に映っている。
 過ぎてきた一生が辺り一帯を照らしている。

  写真3は、一等賞の賞状をもらっている時。ママも兄のヒロ君も一緒でした。



7月6日は娘と私の誕生日だったので、娘の夫のマイクがベランダでバーベキュー。
 バースデーケーキもマイクが大奮闘で切り分けてくれました。
 外はまだ明るさの残るニューヨーク州ソマーズの夜8時半。幸せな家族の時間でした。



7月4日の独立記念日は、家族でママロネックのパトリックの家に行きました。
 夕暮れの3時間を、2つの家族がベランダでおしゃべりしながら、バーベキュー。夜は8時半頃まで明るいのです。夏時間だから。
 最後は、椅子を引いて皆で港まで歩き、恒例の独立記念日の花火を見ました。椅子にふんぞり返っておしゃべりしながら。
 ママロネックは孫たちが小学校時代を過ごした懐かしい場所です。ママの通院に近いというのが主な理由で、近く、また、この町に引っ越しをします。

ミアちゃんは、まだ14歳ですが、スィンガーソングライターです。
 7月6日のママのお誕生日には「ママは大丈夫、51歳になっても成長するからね、、、、、」と言う歌を作って歌ってプレゼント。ママとパパを泣かせました。
 写真1は、作詞作曲を学ぶ夏のキャンプに行く途中も歌っています(7/3)。
 写真2は、お友達の卒業記念パーティーにお呼ばれをして、お友達のお父さんたちのバンドで歌いました(7/2)。
 3は、歌い終わってパパとタッチ。4はその朝、湖の辺りの会場へ行くために家を出たところ。
 ママも一緒でしたが「写真は撮らないで〜〜」だって。化学療法中だからね。でも、その割には元気で、相変わらずワーカホリックしてます。



ニューヨーク郊外の娘の家に来ています。
 ニューアークエアポートで、横一列に並んだ娘家族が、満面の笑顔で出迎えてくれているのを見た瞬間の嬉しさが、忘れられません。
 家族四人が皆、元気そうだったこと。揃ってお迎えに来てくれたこと。羽田からのユナイテッド便や、英語オンリーの入国審査での緊張が解けたことが相まって、とってもほっとしました。
 夕暮れに、ハドソン川をわたり、マンハッタンを通過し、ソマーズの丘の上の家に着きました。
 写真1は、用意してくれた私の夕食。画用紙は空港で孫が掲げていたものです。
 写真2はベランダ。3は台所の窓。4は台所からのなつかしい風景。ここには、鹿、リス、うさぎ、シマリス、鷹、キツツキ、フクロウ、ロビン、青い鳥(ブルージェイ)、赤い鳥(カーディナル)などが訪れます。
 心配だった療養中の娘も思いの外元気でした。
 家族が力を合わせ、心を合わせて紡いでいる生活の姿に感動しています。


< 2023年07>
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