2024/07/30
連載482。小説『山を仰ぐ』第7章・臥雲辰致の誕生―③結婚と別れー27
(岩原へ帰る途中、辰致はキヨに「これからは測量や水車のことで、波多へ通うことになりそうだ。納次郎とキヨはそれぞれの実家に帰ってもよいかも」と言った。キヨは驚きのあまり、しゃがみ込んでしまった)
「キヨ、どうした、大丈夫か?」
タッチさがすぐに駆け寄って、キヨの隣に座った。納次郎もキヨを挟むように座った。 タッチさが、水の入った竹筒をキヨの手に掴ませにながら言った。
「一休みしずら(しよう)。納次郎、背中の荷を下ろして、志野さんが持たせてくれたヨモギ餅を出してくれや。
キヨは疲れたべ。一昨日から沢山歩いたし、昨日は実家でよく働いたし、心配もかけたからな。
キヨ、ほれ、山がきれいだぞ」
道の端の草に座り込んだキヨがもし、顔を上げ空を見上げていたならば、そこには春の山脈が白く光っていただろうに。山を仰ぐことができたら、幸せだったろうに。でも、キヨはうつむいたままだったさ。
納次郎が、黙って草餅を手渡したくれた。キヨは泣きたい気持ちで、その草餅にかぶりついた。
タッチさが言った。
「キヨ、波多へ行く話しを、私一人で決めてきてしまって、悪かった。キヨとも相談すべきだったな。納次郎とも。
昨日はキヨも納次郎も一緒に波多へ行けばよかっただな。そうすれば、波多であったことが二人にも分かったし、二人は成り行きに口をはさむこともできただもの。昨日の話を少ししずら(しよう)。
(次回、連載483に続く。
昨日の『松本ゲストハウスきもの』は満室で、二階の4つの部屋に9組の布団を敷きました。初めてのことなので、記念にパチリ。今日はリネン類の洗濯で、洗濯機4回回して干したのに、雨になった!!!)
(岩原へ帰る途中、辰致はキヨに「これからは測量や水車のことで、波多へ通うことになりそうだ。納次郎とキヨはそれぞれの実家に帰ってもよいかも」と言った。キヨは驚きのあまり、しゃがみ込んでしまった)
「キヨ、どうした、大丈夫か?」
タッチさがすぐに駆け寄って、キヨの隣に座った。納次郎もキヨを挟むように座った。 タッチさが、水の入った竹筒をキヨの手に掴ませにながら言った。
「一休みしずら(しよう)。納次郎、背中の荷を下ろして、志野さんが持たせてくれたヨモギ餅を出してくれや。
キヨは疲れたべ。一昨日から沢山歩いたし、昨日は実家でよく働いたし、心配もかけたからな。
キヨ、ほれ、山がきれいだぞ」
道の端の草に座り込んだキヨがもし、顔を上げ空を見上げていたならば、そこには春の山脈が白く光っていただろうに。山を仰ぐことができたら、幸せだったろうに。でも、キヨはうつむいたままだったさ。
納次郎が、黙って草餅を手渡したくれた。キヨは泣きたい気持ちで、その草餅にかぶりついた。
タッチさが言った。
「キヨ、波多へ行く話しを、私一人で決めてきてしまって、悪かった。キヨとも相談すべきだったな。納次郎とも。
昨日はキヨも納次郎も一緒に波多へ行けばよかっただな。そうすれば、波多であったことが二人にも分かったし、二人は成り行きに口をはさむこともできただもの。昨日の話を少ししずら(しよう)。
(次回、連載483に続く。
昨日の『松本ゲストハウスきもの』は満室で、二階の4つの部屋に9組の布団を敷きました。初めてのことなので、記念にパチリ。今日はリネン類の洗濯で、洗濯機4回回して干したのに、雨になった!!!)
2024/07/28
連載481。小説『山を仰ぐ』第7章・臥雲辰致の誕生―③結婚と別れー26
(辰致に「キヨはあの時、泣いただか?」ときかれ、恥ずかしいのとすねているのとで、さらに黙ってしまったキヨの頭を、辰致はそっと撫でてくれた)
キヨがまだ黙っているものだから、タッチさは続けて言った。
「糸さんは『納次郎さんはお元気ですか?』と聞いてくれたじ。
私は『納次郎も一緒に暮らしています。私が機械に手を取られている分、手伝ってくれているのです』と答えたのせ。糸さんは言ったさ。
『山の神社の祭りの日、私は山口家のお手伝いをしていましたが、そこへ走ってやって来たのは納次郎さんとキヨさんと俊量さまでした。あの時から、すでに、納次郎さんとキヨさんは仲が良かったですね。姉と弟みたいに』」
そこまで言うと、タッチさは一息ついた。それから、なんだか言いにくそうなことを、勇気を出して言うという風に話しだした。
「糸さんが言うまでもなく、私はキヨと納次郎が仲良くやってくれているのを知っているし、ありがたく思っている。そして、今、そのことのありがたさを特に強く感じているのせ。
何故かというとせ、私は、測量や水車の打ち合わせで、波多へ通わねばならないかもしれないだ。波多での仕事はなるべく早く終わらせるつもりだが、キヨと納次郎には寂しい思いをさせるずら。申し訳なく思っているだじ。
岩原が寂しければ、それぞれの実家に帰っていてもいいかもしれない」
晴天の霹靂(せいてんのへきれき)とは、こういうことに違いない。
えっ! 今、なんて言っただ? 今までと違う暮らしが始まるだか?
キヨはもう、すねているどころではなかった。タッチさがいない弧峰院跡の家なんて想像がつかない。いや、想像はつくが寂しいに決まっている。昨日の午後のキヨみたいに。
背中の荷物が突然に重くなり、胃も痛んだ。どうして突然、こんなことが降ってくるのか。足がよろけた。まともに前に進めない。キヨは道端(みちばた)にしゃがみこんでしまった。
(次回、連載482に続く。
写真は、一昨日7月26日の信毎。安曇野のウーフを取り上げています。
赤枠の部分が、息子のおぐらやま農場の記事です(望さん、ごめんね)。おぐらやま農場は安曇野ウーフ群の元祖で日本人気ウーフベストテンに入っています。パイオニア精神でつき進んできました。滞在の皆さまの幸福度がとても高いから、取り上げてもらってよかった!)
(辰致に「キヨはあの時、泣いただか?」ときかれ、恥ずかしいのとすねているのとで、さらに黙ってしまったキヨの頭を、辰致はそっと撫でてくれた)
キヨがまだ黙っているものだから、タッチさは続けて言った。
「糸さんは『納次郎さんはお元気ですか?』と聞いてくれたじ。
私は『納次郎も一緒に暮らしています。私が機械に手を取られている分、手伝ってくれているのです』と答えたのせ。糸さんは言ったさ。
『山の神社の祭りの日、私は山口家のお手伝いをしていましたが、そこへ走ってやって来たのは納次郎さんとキヨさんと俊量さまでした。あの時から、すでに、納次郎さんとキヨさんは仲が良かったですね。姉と弟みたいに』」
そこまで言うと、タッチさは一息ついた。それから、なんだか言いにくそうなことを、勇気を出して言うという風に話しだした。
「糸さんが言うまでもなく、私はキヨと納次郎が仲良くやってくれているのを知っているし、ありがたく思っている。そして、今、そのことのありがたさを特に強く感じているのせ。
何故かというとせ、私は、測量や水車の打ち合わせで、波多へ通わねばならないかもしれないだ。波多での仕事はなるべく早く終わらせるつもりだが、キヨと納次郎には寂しい思いをさせるずら。申し訳なく思っているだじ。
岩原が寂しければ、それぞれの実家に帰っていてもいいかもしれない」
晴天の霹靂(せいてんのへきれき)とは、こういうことに違いない。
えっ! 今、なんて言っただ? 今までと違う暮らしが始まるだか?
キヨはもう、すねているどころではなかった。タッチさがいない弧峰院跡の家なんて想像がつかない。いや、想像はつくが寂しいに決まっている。昨日の午後のキヨみたいに。
背中の荷物が突然に重くなり、胃も痛んだ。どうして突然、こんなことが降ってくるのか。足がよろけた。まともに前に進めない。キヨは道端(みちばた)にしゃがみこんでしまった。
(次回、連載482に続く。
写真は、一昨日7月26日の信毎。安曇野のウーフを取り上げています。
赤枠の部分が、息子のおぐらやま農場の記事です(望さん、ごめんね)。おぐらやま農場は安曇野ウーフ群の元祖で日本人気ウーフベストテンに入っています。パイオニア精神でつき進んできました。滞在の皆さまの幸福度がとても高いから、取り上げてもらってよかった!)
2024/07/26
連載480。小説『山を仰ぐ』第7章・臥雲辰致の誕生―結婚と別れー25
(岩原へ帰る道すがら、すねて黙りがちなキヨに、辰致は、波多で糸に会ったこと、糸がキヨの涙について語ってくれたことを話した)
タッチさは歩きながらそう言うと、キヨの顔を覗き込んだ。そして、真剣にキヨに尋ねたたさ。
「キヨ、そうだったのか? あの時、キヨは泣いただか?」
キヨはうつむいて、足元を見ながら歩いていただ。顔は赤くなっていたずら。恥ずかしかったもの。
なぜって、そうだじ、あの盆の法要の時、キヨは泣いたさ。初めはなんで泣けたか解からなかったが、今思えば嬉しくて泣いたのせ。智恵さが自由の身になるような気がして嬉しかっただね。
実際、次の年の春に智恵さが寺持ちになった時、キヨは
「タッチさの嫁になりたい」と言ったことがあるだよ。タッチさは、
「私は僧侶だから、嫁はいらない」と、けんもほろろだったけどせ。
タッチさの話しを聞きながら、キヨは心の中ではそんなことを思っていただが、口では何も言えなかった。
すねている気持ちはほどけないまま、恥ずかしさも重なって、言葉がでてこなかった。ただ足だけが前へ前と進んでいくのが不思議だったな。
キヨが返事をしないので、タッチさは、いつも納次郎にするように、キヨの頭に手を置き撫でてくれた。
そんなこと、初めてでないか?
キヨはなんだか嬉しかったさ。いろいろなもやもやが解けていくような気がしたじ。
(次回、連載481に続く。
写真はブエナビスタのフロントの横の、塩入久さんの木版画。夏バージョンです。今日の小説で3人が北へ向かって歩いている平ら(安曇野)は、この風景ですが、4月だから、まだ田植え前でした。塩入さんのフェイスブックより)
(岩原へ帰る道すがら、すねて黙りがちなキヨに、辰致は、波多で糸に会ったこと、糸がキヨの涙について語ってくれたことを話した)
タッチさは歩きながらそう言うと、キヨの顔を覗き込んだ。そして、真剣にキヨに尋ねたたさ。
「キヨ、そうだったのか? あの時、キヨは泣いただか?」
キヨはうつむいて、足元を見ながら歩いていただ。顔は赤くなっていたずら。恥ずかしかったもの。
なぜって、そうだじ、あの盆の法要の時、キヨは泣いたさ。初めはなんで泣けたか解からなかったが、今思えば嬉しくて泣いたのせ。智恵さが自由の身になるような気がして嬉しかっただね。
実際、次の年の春に智恵さが寺持ちになった時、キヨは
「タッチさの嫁になりたい」と言ったことがあるだよ。タッチさは、
「私は僧侶だから、嫁はいらない」と、けんもほろろだったけどせ。
タッチさの話しを聞きながら、キヨは心の中ではそんなことを思っていただが、口では何も言えなかった。
すねている気持ちはほどけないまま、恥ずかしさも重なって、言葉がでてこなかった。ただ足だけが前へ前と進んでいくのが不思議だったな。
キヨが返事をしないので、タッチさは、いつも納次郎にするように、キヨの頭に手を置き撫でてくれた。
そんなこと、初めてでないか?
キヨはなんだか嬉しかったさ。いろいろなもやもやが解けていくような気がしたじ。
(次回、連載481に続く。
写真はブエナビスタのフロントの横の、塩入久さんの木版画。夏バージョンです。今日の小説で3人が北へ向かって歩いている平ら(安曇野)は、この風景ですが、4月だから、まだ田植え前でした。塩入さんのフェイスブックより)
2024/07/24
7月21日の臥雲さんの会は200人くらいの参加で、当選がなかなか決まらなかった3月の開票日の夜のストレスを、共に越えてきた者同志、選挙後初の再会を喜び合いました。
第1部は、プロレスのリングに見立てた中央の台の上で、農業者や、子育てママや、中学生や小学生や、演劇者や、移住者や、議員さんなどの挑戦者が質問パンチを打ち、臥雲さんがそれに応戦、観客は一周ぐるり360度の席から観戦しました。
小学生から「臥雲市長の理想の教育は」と問われて、臥雲さんは
「やりたい事を見つけられた人は幸せだと思うので、教育とは、やりたいことを見つけられるサポートをする事だと思っています。
見つけたら、どのようにして挑戦してゆくか、も学べられるように」と言っていました。
市政の進捗具合も、月毎にしっかり聞きました。
第2部の立食会は、選挙戦を共にした支持者の同窓会のようで、臥雲さんも沢山あるテーブルを回りながら、白熱の議論?。
写真1は、7月22日の市民タイムズ3面。記事に概要とポイントが書いてあります。
写真2は、アントニオ猪木のつもりの臥雲さん。
写真3と4は挑戦者。
写真5はパーティーの初めの相澤病院相澤孝夫先生の応援メッセージ。
写真6はテーブル白熱討議(?)、
写真7でスーツの裾を引っ張られているのは、「早く、次のテーブルへ移動して〜〜〜❢」という意味。
写真8は、遅れて入手した写真ですが、臥雲さんの後ろのおヒゲの男性は「市長選開票日の夜、結果が分かるまでの時間が辛くて、そのストレスでタバコを吸い続けた結果、あの夜以来、タバコが一本も吸えなくなってしまった」そうです。
第1部は、プロレスのリングに見立てた中央の台の上で、農業者や、子育てママや、中学生や小学生や、演劇者や、移住者や、議員さんなどの挑戦者が質問パンチを打ち、臥雲さんがそれに応戦、観客は一周ぐるり360度の席から観戦しました。
小学生から「臥雲市長の理想の教育は」と問われて、臥雲さんは
「やりたい事を見つけられた人は幸せだと思うので、教育とは、やりたいことを見つけられるサポートをする事だと思っています。
見つけたら、どのようにして挑戦してゆくか、も学べられるように」と言っていました。
市政の進捗具合も、月毎にしっかり聞きました。
第2部の立食会は、選挙戦を共にした支持者の同窓会のようで、臥雲さんも沢山あるテーブルを回りながら、白熱の議論?。
写真1は、7月22日の市民タイムズ3面。記事に概要とポイントが書いてあります。
写真2は、アントニオ猪木のつもりの臥雲さん。
写真3と4は挑戦者。
写真5はパーティーの初めの相澤病院相澤孝夫先生の応援メッセージ。
写真6はテーブル白熱討議(?)、
写真7でスーツの裾を引っ張られているのは、「早く、次のテーブルへ移動して〜〜〜❢」という意味。
写真8は、遅れて入手した写真ですが、臥雲さんの後ろのおヒゲの男性は「市長選開票日の夜、結果が分かるまでの時間が辛くて、そのストレスでタバコを吸い続けた結果、あの夜以来、タバコが一本も吸えなくなってしまった」そうです。
2024/07/22
連載479。小説『山を仰ぐ』第7章・臥雲辰致の誕生―③結婚と別れー24
(3人は岩原への帰路につき、気持ちの沈んでいるキヨを慰めるために、辰致は波多での出来事をいろいろ話ました。語りはキヨ)
しかし、キヨはまだ黙って聞いていただけだったから、タッチさは、また一人で話し始めたさ。
「きのう長居をした上波多の河澄東左さんの家に、糸さんがいたじ。 キヨも知っているずら。
糸さんは正彦さんと一緒に、安楽寺の私を訪ねてくれたこともあったし、山の神社の祭りの日に、昼の宴を共にしたこともあった。キヨも一緒だったずら。キヨと糸さんは同じ歳だと、糸さんが言っていたじ。
私が『今は、キヨも岩原の寺跡の家に暮らしています』と言ったら、糸さんは
『まあ、そうですか。そうお伺いして、あの日の、キヨさんの涙の訳がわかりした』」と言ったのせ。
私は思わず
『えっ、キヨの涙ですって?』と言ってしまった。驚いて、慌てふためいたのせ。
糸さんはこう説明してくれただ。
『慶応二年、私が十四の時のこと、安楽寺の盆の法事の前に、智順和尚さまが重大発表をしたことがありましたでしょう。ほら、智恵さまが次の春より弧峰院の住持になる、という発表ですよ。
あの時、安楽寺の立派な庫裏で、法事の膳の支度をする智恵さまと俊量さまとキヨさんを見ました。
智恵さまがそばを打ち、俊量さまがそばを切り、キヨさんがそれを湯の近くへ運んでいました。三人の連携の動きあまりにきれいだったので、ほれぼれと眺めていましたっけ。
そのことがあったので、その後すぐに法要のために本堂に座った時、同じ列の隣に座っていたキヨさんと俊量さまが、とても気になっていたのです。
そうしたらね、大和尚の智順さまが智恵を弧峰院の住持にする、と言われた時、キヨさんが一瞬驚いて呼吸を止め、涙を流されたのです。
隣りに座っていた俊量さまは、膝におかれたキヨさんの手の上に、ご自分の手を優しく重ねておいででした』とね。糸さんは、私にそう話してくれたのせ」
(次回、連載480に続く。
添付の目印写真は、昨日の臥雲さんの市政報告会で。今日は本文が長いので、写真の説明は次回(明日または明後日)にします)
(3人は岩原への帰路につき、気持ちの沈んでいるキヨを慰めるために、辰致は波多での出来事をいろいろ話ました。語りはキヨ)
しかし、キヨはまだ黙って聞いていただけだったから、タッチさは、また一人で話し始めたさ。
「きのう長居をした上波多の河澄東左さんの家に、糸さんがいたじ。 キヨも知っているずら。
糸さんは正彦さんと一緒に、安楽寺の私を訪ねてくれたこともあったし、山の神社の祭りの日に、昼の宴を共にしたこともあった。キヨも一緒だったずら。キヨと糸さんは同じ歳だと、糸さんが言っていたじ。
私が『今は、キヨも岩原の寺跡の家に暮らしています』と言ったら、糸さんは
『まあ、そうですか。そうお伺いして、あの日の、キヨさんの涙の訳がわかりした』」と言ったのせ。
私は思わず
『えっ、キヨの涙ですって?』と言ってしまった。驚いて、慌てふためいたのせ。
糸さんはこう説明してくれただ。
『慶応二年、私が十四の時のこと、安楽寺の盆の法事の前に、智順和尚さまが重大発表をしたことがありましたでしょう。ほら、智恵さまが次の春より弧峰院の住持になる、という発表ですよ。
あの時、安楽寺の立派な庫裏で、法事の膳の支度をする智恵さまと俊量さまとキヨさんを見ました。
智恵さまがそばを打ち、俊量さまがそばを切り、キヨさんがそれを湯の近くへ運んでいました。三人の連携の動きあまりにきれいだったので、ほれぼれと眺めていましたっけ。
そのことがあったので、その後すぐに法要のために本堂に座った時、同じ列の隣に座っていたキヨさんと俊量さまが、とても気になっていたのです。
そうしたらね、大和尚の智順さまが智恵を弧峰院の住持にする、と言われた時、キヨさんが一瞬驚いて呼吸を止め、涙を流されたのです。
隣りに座っていた俊量さまは、膝におかれたキヨさんの手の上に、ご自分の手を優しく重ねておいででした』とね。糸さんは、私にそう話してくれたのせ」
(次回、連載480に続く。
添付の目印写真は、昨日の臥雲さんの市政報告会で。今日は本文が長いので、写真の説明は次回(明日または明後日)にします)
2024/07/20
連載478。小説『山を仰ぐ』第7章・臥雲辰致の誕生―③結婚と別れー23
(波多からの帰りが遅くなった辰致は、幾度も詫び、理由を説明しましたが、心配だったキヨの気持ちは悲しみと怒りに変わり、すねていました。語りはキヨ)
翌朝、タッチさと納次郎とキヨは、持たせてもらった土産を背負い、松沢家の人に見送られて大妻を立ち、平らを北へ帰途に就いた。
たった二日のうちに、桜は散って葉桜に変わり、タンポポが騒ぐように行く手の道に咲いていた。常念岳は頂に残る雪の白さが際立って見えた。なのに、キヨの気持ちは沈んでいた。
キヨの様子に気が付いて、タッチさはいつになく、キヨに話かけてくれたさ。
「きのうは済まなんだな。遅くなって。
けどな、機械のことも熱心に聞いてもらえたし、水車も使わせてもらえることになった。測量の仕事ももらえただ。正彦さんもずっと同行してくれて、口添えをしてくれたのせ。
正彦さんは、近々、東京に勉強に行くといっていたじ。
ほれ、去年の正月、正彦さんが私にスマイルズの『西国立志編』を読んで聞かせてくれたずら。それを訳して日本に紹介した中村正直先生が、小石川の自分の家で、同人社という英学塾を始めたのだと。そこへ行くらしい。正彦さんの長年の願いがついに叶うずら。それを聞いて私もうれしかったさ。
武居正彦さんが東京へ行っても、父上の武居美佐雄さんほか、波多や松本の有力者が私の機械を世に出そうと、力を貸してくれそうだじ。正彦さんが算段をしてくれたのせ。
仕事がうまくいき、稼げるようになれば、キヨを嫁にもらえるだもの。私もきのうは張り切ってしまっただ」
タッチさは、照れ隠しみたいに話していた。キヨの機嫌を直したかったのずら。優しい人だじ。
(次回、連載479に続く。
写真は、7月31日にアルモニービアンで開催される「松本城なんちゃって舞踏会」のプログラム。34曲を踊る予定です。どれも、夢見るように素敵な舞踏会の曲、ワルツとかポルカとかタンゴも。踊れない難しい曲の場合は、テーブルでイングリッシュ・アフタヌーンティのごちそうをほおばっているつもりです)
(波多からの帰りが遅くなった辰致は、幾度も詫び、理由を説明しましたが、心配だったキヨの気持ちは悲しみと怒りに変わり、すねていました。語りはキヨ)
翌朝、タッチさと納次郎とキヨは、持たせてもらった土産を背負い、松沢家の人に見送られて大妻を立ち、平らを北へ帰途に就いた。
たった二日のうちに、桜は散って葉桜に変わり、タンポポが騒ぐように行く手の道に咲いていた。常念岳は頂に残る雪の白さが際立って見えた。なのに、キヨの気持ちは沈んでいた。
キヨの様子に気が付いて、タッチさはいつになく、キヨに話かけてくれたさ。
「きのうは済まなんだな。遅くなって。
けどな、機械のことも熱心に聞いてもらえたし、水車も使わせてもらえることになった。測量の仕事ももらえただ。正彦さんもずっと同行してくれて、口添えをしてくれたのせ。
正彦さんは、近々、東京に勉強に行くといっていたじ。
ほれ、去年の正月、正彦さんが私にスマイルズの『西国立志編』を読んで聞かせてくれたずら。それを訳して日本に紹介した中村正直先生が、小石川の自分の家で、同人社という英学塾を始めたのだと。そこへ行くらしい。正彦さんの長年の願いがついに叶うずら。それを聞いて私もうれしかったさ。
武居正彦さんが東京へ行っても、父上の武居美佐雄さんほか、波多や松本の有力者が私の機械を世に出そうと、力を貸してくれそうだじ。正彦さんが算段をしてくれたのせ。
仕事がうまくいき、稼げるようになれば、キヨを嫁にもらえるだもの。私もきのうは張り切ってしまっただ」
タッチさは、照れ隠しみたいに話していた。キヨの機嫌を直したかったのずら。優しい人だじ。
(次回、連載479に続く。
写真は、7月31日にアルモニービアンで開催される「松本城なんちゃって舞踏会」のプログラム。34曲を踊る予定です。どれも、夢見るように素敵な舞踏会の曲、ワルツとかポルカとかタンゴも。踊れない難しい曲の場合は、テーブルでイングリッシュ・アフタヌーンティのごちそうをほおばっているつもりです)
2024/07/18
連載477。小説『山を仰ぐ』第7章・臥雲辰致の誕生―③結婚と別れー22
(波多へ行っていた辰致は夕方キヨの実家に戻り、キヨは安堵しましたが、何故かキヨは素直な気持ちになれません。語りはキヨ)
晩飯の囲炉裏を囲みながら、タッチさは、遅くなった詫(わ)びを幾度も言い、あちこちで話しが思ったより長くなったと言い訳をしていた。
「波多腰六座さんが、始まったばかりの堰の工事現場を、詳しく案内してくれただ」とか、
「とりわけ、水車を借りる河澄家では、河澄さん、武居さん、梓川倭(やまと)の青木さんを相手に、機械の説明が長くなった」とか、
「河澄家の水車の場所まで案内してもらい、次いでに代々の墓も見せてもらったのせと」とか。それに、
「私がつい口を滑らした測量機のことも詳しく聞かれて、ひょんなことから、波多村の河澄家の土地も測ることになった」のだとか。
キヨはそんな言い訳、聞きたくもなかったが、だども、耳をそばだてて聞いたいただいね。
キヨは自分でも不思議だった。なんで、こんなに、もやもやむかむかした気持ちになるのか。予想外のことだったさ。これは、すねている、ってことだかやあ、、、、。
タッチさが無事に帰ってきて嬉しいはずなのに、なんで怒っているような気持ちなっただか。
いや、怒っている理由はすぐに分かったさ。
その日の午後いっぱい、帰ってくるはずのタッチさが帰ってこなかった午後いっぱい、キヨは心配で、悲しかったのせ。だでね、タッチさの声をきいて安心したとたん、それまでの不安と悲しみが怒りに変わってしまっただ。
あとで考えると、それが、すねてるってことだったと思うけど、キヨにはその時はすねてることしかできなかったのせ。キヨはいやな娘たったかもしれねえ。
(次回、連載、478に続く。
写真は7月14日日曜日の市民タイムスです。松本フォークダンスクラブが、7月31日にお城近くの結婚式場で開く「松本城なんちゃって舞踏会」のお知らせ。写真の紳士と淑女は先生ですが、毎週水曜日夜6時30分からの例会(城東や東部地区公民館にて)では、この方がたと踊れるんです!!!。夢みたいな時間!!!)
(波多へ行っていた辰致は夕方キヨの実家に戻り、キヨは安堵しましたが、何故かキヨは素直な気持ちになれません。語りはキヨ)
晩飯の囲炉裏を囲みながら、タッチさは、遅くなった詫(わ)びを幾度も言い、あちこちで話しが思ったより長くなったと言い訳をしていた。
「波多腰六座さんが、始まったばかりの堰の工事現場を、詳しく案内してくれただ」とか、
「とりわけ、水車を借りる河澄家では、河澄さん、武居さん、梓川倭(やまと)の青木さんを相手に、機械の説明が長くなった」とか、
「河澄家の水車の場所まで案内してもらい、次いでに代々の墓も見せてもらったのせと」とか。それに、
「私がつい口を滑らした測量機のことも詳しく聞かれて、ひょんなことから、波多村の河澄家の土地も測ることになった」のだとか。
キヨはそんな言い訳、聞きたくもなかったが、だども、耳をそばだてて聞いたいただいね。
キヨは自分でも不思議だった。なんで、こんなに、もやもやむかむかした気持ちになるのか。予想外のことだったさ。これは、すねている、ってことだかやあ、、、、。
タッチさが無事に帰ってきて嬉しいはずなのに、なんで怒っているような気持ちなっただか。
いや、怒っている理由はすぐに分かったさ。
その日の午後いっぱい、帰ってくるはずのタッチさが帰ってこなかった午後いっぱい、キヨは心配で、悲しかったのせ。だでね、タッチさの声をきいて安心したとたん、それまでの不安と悲しみが怒りに変わってしまっただ。
あとで考えると、それが、すねてるってことだったと思うけど、キヨにはその時はすねてることしかできなかったのせ。キヨはいやな娘たったかもしれねえ。
(次回、連載、478に続く。
写真は7月14日日曜日の市民タイムスです。松本フォークダンスクラブが、7月31日にお城近くの結婚式場で開く「松本城なんちゃって舞踏会」のお知らせ。写真の紳士と淑女は先生ですが、毎週水曜日夜6時30分からの例会(城東や東部地区公民館にて)では、この方がたと踊れるんです!!!。夢みたいな時間!!!)
2024/07/16
連載476。小説『山を仰ぐ』第7章・臥雲辰致の誕生―③結婚と別れー21
(キヨと納次郎を大妻に置き、梓川を渡って波多へ向かった辰致は、昼には帰ると言っていたのに、午後になっても戻らず、キヨは心配でなりませんでした。語りはキヨ)
陽もとっぷりと暮れた頃、晩飯の準備が整い皆が待っていたところに、タッチさが息せき切って帰って来た。
「遅くなってすみません。ほんに、すみませんでした。話しが長引いて、こんな時刻になってしまって」
キヨはなぜかタッチさを見れなんだが、その声を聞いて心底安心したさ。張りつめていた気持ちが解けて、涙が出そうだった。
ほんとは一番に駆け寄って、タッチさ、お帰り! と飛びつきたいほどだったのに、なぜか、キヨはうつむいたままタッチさから目を逸(そ)らせていたのせ。
母さんが言った。
「さあさ、晩飯にしましょ。タッチさも座っておくれ。飯と汁もよそいまっしょ」
キヨは、黙々と汁をよそい、兄やの嫁さんが飯をよそった。父さんはタッチさに酒を勧め、納次郎と兄たちは腹が減ったとばかりに食べ始めた。
父さんが言った。
「遅くなったでね、三人とも、もう一晩泊まって行きや」
(次回、連載477に続く。
写真は、今日の城東地区ひろば『ロマン茶房』の、今月のメニュー。杏仁豆腐は見た目も美しく涼し気で、味も超美味でした。100円で、こんなに豊かな時間が味わえます。スイーツボランティアの皆様、ごちそうさまでした。
(キヨと納次郎を大妻に置き、梓川を渡って波多へ向かった辰致は、昼には帰ると言っていたのに、午後になっても戻らず、キヨは心配でなりませんでした。語りはキヨ)
陽もとっぷりと暮れた頃、晩飯の準備が整い皆が待っていたところに、タッチさが息せき切って帰って来た。
「遅くなってすみません。ほんに、すみませんでした。話しが長引いて、こんな時刻になってしまって」
キヨはなぜかタッチさを見れなんだが、その声を聞いて心底安心したさ。張りつめていた気持ちが解けて、涙が出そうだった。
ほんとは一番に駆け寄って、タッチさ、お帰り! と飛びつきたいほどだったのに、なぜか、キヨはうつむいたままタッチさから目を逸(そ)らせていたのせ。
母さんが言った。
「さあさ、晩飯にしましょ。タッチさも座っておくれ。飯と汁もよそいまっしょ」
キヨは、黙々と汁をよそい、兄やの嫁さんが飯をよそった。父さんはタッチさに酒を勧め、納次郎と兄たちは腹が減ったとばかりに食べ始めた。
父さんが言った。
「遅くなったでね、三人とも、もう一晩泊まって行きや」
(次回、連載477に続く。
写真は、今日の城東地区ひろば『ロマン茶房』の、今月のメニュー。杏仁豆腐は見た目も美しく涼し気で、味も超美味でした。100円で、こんなに豊かな時間が味わえます。スイーツボランティアの皆様、ごちそうさまでした。
2024/07/14
連載475。小説『山を仰ぐ』第7章・臥雲辰致の誕生―③結婚と別れー20
(三人で一泊した大妻のキヨの実家で、翌朝辰致を波多へ送り出したキヨに、キヨの母は「なんと、キヨはまだ嫁になっていなかっただか」と言いました。語りはキヨ)
タッチさは、出てゆく前に、
「早ければ昼前には波多から戻る。志野さまの昼飯を食わせてもらって、昼一番にここを発てば、陽のあるうちに岩原へ戻れるだろう」と言っていた。
キヨは昼まで母さんや兄やの嫁さんと一緒に過ごし、岩原の様子を話したり、こちらの様子をきいたりした。
「荷運びの男手が二人もいるのだから、土産もたんと持っていきましょ」と父さんが言い、父さんと兄や二人は草餅をついてくれた。女たち三人は餅を丸めたり、たくあんやお菜漬や梅干しを出して包みにした。
土産の荷物も整い、昼餉の支度も出来、キヨは新しい着物に着替えて、タッチさの帰りを今か今かと待っていたが、タッチさは一向に現れなかった。
父さんは言ったじ。
「いろいろ用事ができたのじゃろう。タッチさにとっては、ここ一番の勝負どころだじ。おろそかにできないことがようけいあるずら」
仕方なく先に昼飯を食い、長い長い午後を過ごした。実家に帰っているというのに、それも、母さんと一緒に土産のおやきを作っているというのに、少しも楽しくはなかった。
「タッチさは何をしているだ、いつ帰るだか」と心が騒ぎ、落ちつかず気が滅入った。
思えば、この一年数か月、キヨはほとんどの時間、タッチさの気配の分かる場所にいただもの。だから、離れていることに慣れていなかっただね。たった半日でも、離れているのは寂しかったし、不安だった。
「何か事故があったのでは」と、心配でならなかったのせ。
(次回。連載476に続く。
写真は出版記念講演会の松村亜里、と聴衆席。家族は固まって前の方に座らせてもらえました。この本は大きな書店では山積で、実用書部門のベストセラーになっているそうです。誠に実用的で分かりやすく、幸せアップにすぐ役立ちます)
(三人で一泊した大妻のキヨの実家で、翌朝辰致を波多へ送り出したキヨに、キヨの母は「なんと、キヨはまだ嫁になっていなかっただか」と言いました。語りはキヨ)
タッチさは、出てゆく前に、
「早ければ昼前には波多から戻る。志野さまの昼飯を食わせてもらって、昼一番にここを発てば、陽のあるうちに岩原へ戻れるだろう」と言っていた。
キヨは昼まで母さんや兄やの嫁さんと一緒に過ごし、岩原の様子を話したり、こちらの様子をきいたりした。
「荷運びの男手が二人もいるのだから、土産もたんと持っていきましょ」と父さんが言い、父さんと兄や二人は草餅をついてくれた。女たち三人は餅を丸めたり、たくあんやお菜漬や梅干しを出して包みにした。
土産の荷物も整い、昼餉の支度も出来、キヨは新しい着物に着替えて、タッチさの帰りを今か今かと待っていたが、タッチさは一向に現れなかった。
父さんは言ったじ。
「いろいろ用事ができたのじゃろう。タッチさにとっては、ここ一番の勝負どころだじ。おろそかにできないことがようけいあるずら」
仕方なく先に昼飯を食い、長い長い午後を過ごした。実家に帰っているというのに、それも、母さんと一緒に土産のおやきを作っているというのに、少しも楽しくはなかった。
「タッチさは何をしているだ、いつ帰るだか」と心が騒ぎ、落ちつかず気が滅入った。
思えば、この一年数か月、キヨはほとんどの時間、タッチさの気配の分かる場所にいただもの。だから、離れていることに慣れていなかっただね。たった半日でも、離れているのは寂しかったし、不安だった。
「何か事故があったのでは」と、心配でならなかったのせ。
(次回。連載476に続く。
写真は出版記念講演会の松村亜里、と聴衆席。家族は固まって前の方に座らせてもらえました。この本は大きな書店では山積で、実用書部門のベストセラーになっているそうです。誠に実用的で分かりやすく、幸せアップにすぐ役立ちます)
2024/07/12
連載474。小説『山を仰ぐ』第7章・臥雲辰致の誕生―③結婚と別れー19
(前回は、大妻村のキヨの実家に到着し、歓迎をうけました。辰致は「生計の見通したてば、キヨを嫁にしたい」とあいさつしました。語りはキヨ)
次の朝早く、タッチさは梓川を渡り、まず三溝村の武居家に向かった。その後、下波多村の波多腰六左さんの家へ行き、三人で上波多村の河澄東左さんを訪ねる予定だ。
武居家も波多腰家も河澄家も、それぞれの村の庄屋だから、村の有力者に会うという感じかや。
タッチさにとって、武居正彦さんの口添えで、この三人が機械の話しを聞いてくれることは、どんなにありがたいことだったずら。タッチさは、昨年の正月に正彦さんからもらった正装に着替え、張り切って南へ下っていったのせ。
梓川を渡ってゆくタッチさを見送って家に戻ると、母さんが
「なんと、キヨはまだ嫁になっていなかっただか」と言った。
キヨは赤くなったさ。一年半前の年の瀬に「タッチさの嫁になる!」と言って大妻を出てきたのにせ。
まだ、居候(いそうろう)のようなものだもの。キヨは言った。
「母ちゃん、すまねえ。でも、納次郎も居候だで、岩原にいたら、それで別になんともないだよ。三人で仲良く暮らしているだもの。キヨは幸せなんだもの。それに、金が稼げるようになれば、キヨはタッチさの嫁になって、子供も作るだもの。もうすぐだじ」
母さんは、もうそのことには触れず、新しい木綿の着物をキヨに手渡し、
「今年の正月は着せてやれなんだからな。ほれ、今日はこれ着て昼飯を食べ、これ着て帰りや。きっと楽しい帰り道になるずら」と言った。
藍染の絣(かすり)は、背が伸びたキヨにピッタリの丈(たけ)だった。
(次回、連載475に続く。写真は、松村亜里の講演会の後。写っているのは、おぐらやま農場の5人と、ニューヨークからの3人と、私。手のサインは亜里のAです)
(前回は、大妻村のキヨの実家に到着し、歓迎をうけました。辰致は「生計の見通したてば、キヨを嫁にしたい」とあいさつしました。語りはキヨ)
次の朝早く、タッチさは梓川を渡り、まず三溝村の武居家に向かった。その後、下波多村の波多腰六左さんの家へ行き、三人で上波多村の河澄東左さんを訪ねる予定だ。
武居家も波多腰家も河澄家も、それぞれの村の庄屋だから、村の有力者に会うという感じかや。
タッチさにとって、武居正彦さんの口添えで、この三人が機械の話しを聞いてくれることは、どんなにありがたいことだったずら。タッチさは、昨年の正月に正彦さんからもらった正装に着替え、張り切って南へ下っていったのせ。
梓川を渡ってゆくタッチさを見送って家に戻ると、母さんが
「なんと、キヨはまだ嫁になっていなかっただか」と言った。
キヨは赤くなったさ。一年半前の年の瀬に「タッチさの嫁になる!」と言って大妻を出てきたのにせ。
まだ、居候(いそうろう)のようなものだもの。キヨは言った。
「母ちゃん、すまねえ。でも、納次郎も居候だで、岩原にいたら、それで別になんともないだよ。三人で仲良く暮らしているだもの。キヨは幸せなんだもの。それに、金が稼げるようになれば、キヨはタッチさの嫁になって、子供も作るだもの。もうすぐだじ」
母さんは、もうそのことには触れず、新しい木綿の着物をキヨに手渡し、
「今年の正月は着せてやれなんだからな。ほれ、今日はこれ着て昼飯を食べ、これ着て帰りや。きっと楽しい帰り道になるずら」と言った。
藍染の絣(かすり)は、背が伸びたキヨにピッタリの丈(たけ)だった。
(次回、連載475に続く。写真は、松村亜里の講演会の後。写っているのは、おぐらやま農場の5人と、ニューヨークからの3人と、私。手のサインは亜里のAです)