[草稿「山を仰ぐ」〈1〉。まだ骨格のみ。これから、変更、加筆、訂正します]
《 昨日触れた中村正直さまは、私こと河住糸の幼馴染み武井雅彦さんの先生でございます。
 雅彦さんは隣村の庄屋の長男で私よりも2歳年上、気になる人でございました。
 中村正直先生は、明治元年イギリスから戻られた後、100万部の大ベストセラー「西国立志編」や、「自由の理」を静岡市内で翻訳出版した後、大蔵省に勤めるため、明治5年に上京されました。
 しかし先生には志があったのでしょう、すぐに大蔵省を退かれ、明治6年に小石川の私邸で英学塾・同人舎を開きました。福沢諭吉の慶應義塾と並ぶ人気の塾でした。
 東京のその同人舎へ、中村正直先生をお慕いする一心で、はるばる松本から馳せ参じたのが、隣村の庄屋の長男武井雅彦さんなのです。》
 写真は今日の中央図書館からの眺めです。1は眼下に旧開智学校。2は乗鞍方面。


 図書館通いの3日目。
 今日最大の収穫は、幕末に、幕府の留学生の監督としてイギリスへ行った中村正直と、慶喜の弟徳川昭武のお供でパリ万国博覧会に行った渋沢栄一が、幕府の瓦解で共に日本に帰国させられ、1868年、奇しくも静岡市内(多分2人とも駿府城の近く)に住んでいたとの発見です。別々の人生を一つの年表にまとめたら判ったのです。
 中村正直は藩校改めの静岡学問所の教授として、渋沢栄一は徳川慶喜の謹慎に伴い静岡藩に出仕のためでした。
 中村はこの地で、明治3年にスマイルズの「自助論」(邦訳名は「西国立志編」)を、明治5年にはミルの「自由論」(邦訳名「自由の理」)を訳出・出版し、明治初頭の青年たちに多大な影響を与えました。
 渋沢はこの地で、フランスで見た株式会社制度を実践し、翌年初めには商法会所(後の商工会議所の前身)を設立しました。
 海外で見た驚きを(片やイギリス、片やフランス)、そして日本の未来を、2人は熱く語り合ったでしょうね。
 写真1は数年前の三九郎で。「広報まつもと」の今年2月号の表紙も無病息災を願う三九郎でしたので。


[2020年1月29日の記事]
 「新橋」の交差点、今朝8時、臥雲義尚さんの辻立ち。
 雪が残る道路は、渋滞に次ぐ渋滞。渋滞を迂回したつもりがさらに渋滞に。苦しいですね。
 たどり着いた新橋は、松本の西の玄関口。
 臥雲さん曰く
「ここは戦国時代さながらに、松本への侵入阻止の気配が濃い道路状況です。僕が小さかった頃の、50年前と少しも変わっていません」。
 モーレツに進んだ車社会に、全く対応していないのです。
 テレビ松本のクルーが来ていました。



写真2と3は昨日の市民タイムス1面と2面です。一昨日の記者会見の内容。
 写真1は、今朝の市民タイムス。臥雲義尚さんのおじいちゃん(祖父)の紫朗さんの発明品です。曽祖父は臥雲辰致さん。
 曽祖父も祖父も、農民の仕事を改善し暮らしを楽にするため、持てる頭脳をフル回転させました。



[臥雲義尚(松本市長)のフェイスブック1月27日の投稿記事]
 松塩筑2市2村の新ごみ処理施設を現在のクリーンセンター周辺に建設する事業計画の策定に着手する覚書を、平瀬川西町会と島内地区連合町会と取り交わしました。

地元の皆さんの理解に感謝し、世界基準の環境と再エネを実現する施設の建設に取り組みます。

 ついさっき、スーパーシティ構想の第3回オンライン説明会が終わりました。基本説明の後、寄せられた20位の質問に、宮之本さんがじゃんじゃん答えていくのが、とても面白かったです。前回1月19日のは「宮之本さんが熱い❣」という感想がありました。どれもユーチューブでみれます。次回2月4日が済んだら、各地区を廻り、対面会をするそうです。
 
[1年前の今日シリーズ]
 「渚1丁目」の交差点、臥雲義尚さんの辻立ち、今朝は寒かったですね。
 昨日は岡田の公民館で、次期市長に立候補している4人が、時間を区切って別々に話しをする会があり、今朝の新聞によると250人の参加があったようです。誠に、熱気に満ちておりました。 
 臥雲さんはその事をとても喜び、今朝も「多事争論の松本にしよう」と呼びかけていました。「昨日の女性応援団の大会からも、力をもらった」と。
「このような渋滞があたりまえ、になってはいけません。国道・県道は市の責任ではない、という市の姿勢はもっといけません。  
 市民が困っていることは、国や県を動かし速やかに改善すべきではないでしょうか。
 バス路線は市の責任で推し広げ、自転車が車道を走るべきか、歩道を走るべきか迷うような道路も速やかに改善しなければ、、、。
 2つの国宝を持つ松本城周辺は、中止された外堀復元を完成させ、城を囲むセントラルパークを整備すれば、市民が集う国際的な観光地として、今よりずっと賑わう街になるでしょう」と。



[臥雲義尚(松本市長)のフェイスブック投稿記事]
 【松本市の1週間新規感染者】
▷直近(20〜26日)→29人
▶︎前週(13〜19日)→69人

市民の皆さんの真摯な取り組みで、警戒レベル5の基準48人を下回っています。決して予断を許さない状況が続きますが、使命感を持って従事している医療関係者や介護関係者の方々に感謝し、来月4日までのレベル5の延長期間内に、何としても感染を抑え込みましょう。

市長記者会見の日。
 ①松本市のコロナ感染者は昨日1人(今日は0)ですが、直近一週間の平均は13.4人でレベル5です。レベル4にするには平均で1日6人以下、レベル3になるには3人以下になる必要があります。2月4日までの10日間、集中して対策や自粛に取り組み、レベル5をなんとしてでも脱出したいです。
 ②昨日は緊急経済支援を決めましたが(写真1と2の今朝の市民タイムス参照)、今日は先程の教育民生委員で了承して頂き、
 医療機関・従業者、高齢者介護機関・従業者への感謝の慰労金、1人3 万円ないし2万円が決まりました。
 医療関係者への慰労金は県でも考えているようですが(詳細はまだ)、高齢者施設従業者への慰労金は松本市独自のものです。これまでの(これからも)の多大な労苦に心から感謝します。
 ③市内75ヶ所のグループホームなどのPCR検査が無料で受けられるようになります。これも教育民生委員で了承していただいたので、今日早速専決処分にします。
 以下は記者の質問に答えて
 ④松本市の「ふるさと納税」は令和元年で2億7千万円の赤字です。累積赤字は9億3千万円になります。
 前市長が積極的でなかったなどの理由がありますが、赤字が年々増えていくのは放っておけないので、制度の是非はあるにせよ、前向きに取り組んでいきます。返礼品やPRの仕方など、地域産業の盛りたても期待。
 ⑤お城周辺をどのように整えてゆくかを考えるために「三の丸地区整備基本計画」を作りたいと思っています。
 今はスケッチ的なイメージがあるだけなので、具体的にどんな施設を作るかを定める総合プランを作ります。
 市民有識者会議を立ち上げ、⭕外堀復元について⭕城南の内環状北線の4車線道路の活用について⭕市庁舎について、などを取りまとめます。
 城を中心に同心円的に優先して整備し、82銀行ビルの土地のことも、この中で総合的に描いて行きます。と。
 写真3は今日の臥雲さん。
 写真4と5は、昨夜のNHKニュースウオッチ9の特集(SNSとアラブの春の明暗)で、松本市基本計画策定市民会議の座長の山本達也さんが長いこと意見を述べておられました。




 
 今日は朝10時から、市議会の全員協議会がありました。暗礁に乗り上げていた82銀行ビル移転計画(19億円かかる)の凍結を決めた市の方針の説明会です。
 3時間弱、沢山の意見・質問が出、殆どの質問に臥雲さんが丁寧に答えていました。
 計画の凍結の理由は
①コロナ禍で財政が困難、
②82銀行が市に求めている代替地の取得が7年間で20%しか進まず(残りの80%は明確な拒否)移転が不可能になったことです。
 去年の10月に、ビルの代替地(深志)を提供するとした一部の地権者との土地売買契約が始まる寸前、この不可能な移転計画を凍結したのでした。
 決まった経緯は
①地権者との契約が始まる報告を受け、市長が「?」と思い調べ始めた。
②市民団体や新聞社2社から情報公開請求があった。
③庁内で協議し、凍結の方針を固めた。
④82銀行と協議し、
 a. コロナの財政難であれば仕方がない。
 b. (移転を止めるので)82銀行ビルの耐震工事を始めます。
 c. これからも市政を応援します。
 と凍結を了承して貰ったので、
⑤議会の村上議長に連絡し、
⑥翌日、市議会の委員会報告と同時刻に記者会見をして、市民にも知らせた。ということです。
 議会が主なる問題としてるのは、「なぜ一番に議会に相談してくれなかったのか、市長の熱い思いを議会にぶつけてくれなかったのか」という点で、私には市長へのラブコールのように思えました。「コロナでは3密は避けなければならないが、市長・市議会・市民は3密でありたい」と言われた方がおられましたし。
 臥雲さんは、どちらかと言えば、議会とは距離を置いて議論したいのだと思いますが、親しいから議論できるということもあるかも。
 就任直後からフル回転で問題解決に奔走して来た新米市長の臥雲さんには、議会はまだ密であるほど親しくはなく、密&親しいからまず相談出来ると言う感じではなかったのではないか、と思いました。互いに信頼出来る方々の集まりですから、これからが楽しみです。「市長の熱い思いが市を前進させるのだから、市長頑張って❣」という発言もありましたし。
 今日も市長は頑張りましたね。ご苦労さまでした。
 写真2と3は、頭の中で鳴り響いているベートーベンの〇〇第5番の指揮で、手をブンブン振り回しながら長い通路を歩いて来た副市長の宮之本さん。
 写真4と5は今夜のNHKニュースの画面より。




 夕方、農場の息子とそのご令嬢が、野菜を持って我が家にお越しになりました。
 ストーブの前に3人が陣取り、可愛い人(高1女子)がニコニコしてる傍らで、私は正月のご報告。良い時間でした。
 シェアしたのは、別件です。

 臥雲義尚(松本市長)のフェイスブック投稿より。
 松本商工会議所の井上会頭、松本旅料飲食団体協議会の小林議長、松本商店街連盟の出井会長から、新型コロナ対策について、特別資金の据置期間の延長など、共同の要望を受けました。検討作業を急ぎ、週明けに具体的な対策を示させていただきます。

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