2020/03/31

池田議員が市長就任の挨拶を文字にして、投稿してくれました。格調高い挨拶です。
「松本市をより良い方向に導き、市民の皆さんの豊かさを実現していくために、熟議を重ね、議論を交え、時には厳しく見つめ合い、互いに手を携え、松本市政を進めてまいりたい。」
本日31日(火)午後3時から行われた議員協議会ので議員との初対面の中で、臥雲義尚市長が行った就任のあいさつ 全文は、以下の通りです。
本日は、議員の皆様方には、ご多忙のところを議員協議会を開催していただき、また、全員の方々にご出席いただきまして、心より御礼を申し上げます。
私はこの度市民の皆さんのご支援ご支持を受けて、第14代の松本市長に就任させていただくことになりました。
伝統ある市議会議員の皆様方には、1日も早く、ご挨拶をさせていただきたいということをお願い申し上げて、初登庁翌日の今日、開催をして戴く運びになりました。
誠にありがとうございます。
さて、私は、NHKで28年記者生活を送りまして、その半分以上を政治の取材を行ってまいりました。
国政における議院内閣制、そして地方自治体、地方政治における二元代表制、それぞれが時代や地域によって変わってきたこと、そして変わるべきでなく続いてきたこと、そうしたことをつぶさに見つめる仕事をしてまいりました。
議会は国民、市民の代表として、常に行政を多面的にチェックするとともに、必要とあれば法律や条例を自ら制定するそういう役割を持ち、そういう役割を果たしてきたと思っております。
地方自治は民主主義の学校という言葉がありますように、とりわけ地方議会については住民の政治参加にとって極めて重要な場である いうふうに認識しております。
私は前回の選挙に落選後、自らの活きた勉強の場として 市議会の本会議の一般質問、今日開かれている議員協議会、あるいはそれぞれの委員会審査に足を運ばせていただきました。おそらくこの4年間で、松本市民の中の三本の指は言い過ぎでも、五本の指にはこの議会の場に足を運ばせていただけたのではないかとそう自負をしております。
松本市の政策決定プロセス、行政と議会の関係、そうしたことを私なりに勉強、観察し、大切にしているもの、そして皆さんと一緒に新しく前に進めていくこと、そうしたことはあるなあというふうに思ってまいりました。
これから皆さんと一緒に、行政と議会という地方自治の両輪として、切磋琢磨していきたいと考えております。
3月15日に当選後、私は正式就任するまでに、できるだけ職員の方々とも非公式ではありますけれども意見交換の場を持たせて頂いて、就任直後から行政に空白を生じることなく仕事をしていこう、そう思って日々を過ごしてまいりました。
坪田副市長に、そうしたことをお願いできないかと言ったところ快く引き受けて戴きまして、この2週間は、今まで続けてこられた政策、そして私が選挙で掲げさせていただいた公約、そうしたもののそれぞれの問題点や課題について改めて整理する時間を与えていただいたと思っております。
行政の空白、政治の空白はいま松本市には許されない そう思っております。
とりわけこの新型コロナウイルスの感染拡大を受けて,これは日々刻々状況が変わりますし、先もなかなか見通せない。
学校現場から地域経済まで幅広い多岐にわたる課題が横たわっております。
こうしたことに早急に対応できる行政を進めていくために、私としましては、行政の内部、行政と議会の関係をしっかりと構築してまいりたい。そのためにご指導ご鞭撻 ご協力をいただきたいとおもいます。
まずは私の右腕となります副市長の選任ということを、議会の皆さまにお示しをして、そして市役所内部や行政手続きを速やかに進めていけるようにご協力をお願いすることから始めさせていただきたいと思います。
新型コロナウイルスの問題がある今、危機管理を含めた、適宜適切に行政を執行できる体制つくり、そのための速やかな副市長の選任ということを考えております。
松本市がこうした難局に直面している状況を鑑みて、議会の皆さまにはぜひともご理解ご協力をいただきますよう、コロナ対策の緊急に必要な予算措置と合わせ、具体的な議案をお示しさせていただきたいと考えております。
一方、市長選挙にあたりまして、菅谷市政4期目で進められました方針や計画を転換するという訴えを私はさせていただきました。
大きなものとして2つございます。
一つは、市立病院の鉄工所跡地への移転計画、これを白紙に戻すということを訴えさせていただきました。移転先を白紙に戻すということを訴えさせていただきました。
これについては土壌汚染の調査の問題などによってすでに前市政が断念の方針を示し、議会の皆さまからもご了承をいただいたと理解して
おります。
そしてもう一つは、松本市役所の現地建て替え計画であります。
私はこの計画は根本的に見直して、本庁の機能や規模をできる限りスリム化した上で、分散型の市役所をつくるという公約を掲げさせていただきました。
こうした民意を受けて、今の計画については、基本計画から基本設計へと進むプロセスはストップさせていただきます。
組織、人事、その前提で進められていたことはストップをして、そして関連予算の執行は留保させていただく考えであります。
その上で、早急に庁内に新たにこの計画の見直しを進める体制を整えまして、その上で市役所、市民、議会が並行的にこの問題に取り組んでいただけるよう、議会の皆さまにも、これまでの経緯の詳細な説明や、これからの見通しの丁寧な報告、そして局面局面でのご報告、議論というものをしていただく機会をしっかりもうけさせていただきたいと考えております。
ICTの導入、地域拠点の強化、広域化、災害への対応といった、多面的な観点から、この市役所の問題はソフト、ハード両面から、今後50年先のまちづくりを見据えて皆さんと共に進めていきたいと考えております。
最後に、私は、議会と行政、この両輪はそれぞれの立場を尊重しながら、村上議長の私の登庁時のあいさつにもございましたように、しっかりと熟議を重ねて、そして時には丁々発止の議論を交えて、松本市をより良い方向に導いていく、市民の皆さんのお一人おひとりの豊かさを実現していくために、互いに時には手を携え、時には厳しく見つめ合いながら松本市政を進めてまいりたいと思っております。
引き続き議員の皆様からの一層のご理解ご協力を賜りますよう申し上げて、就任にあたっての私のご挨拶とさせていただきます。
ご清聴ありがとうごいました。
よろしくお願い致します。
(テープ起こし、文責は池田です。)

2020/03/31
今日は、市役所3Fでおこなわれた「議員協議会」へ。昨日初登庁した臥雲さんが「できるだけ早く、ご挨拶をしたい」と議員の皆さまに集まって頂いたのだそうです。傍聴可でした。
31名の市議会議員の皆さまは全員出席(写真4)。議員席は部屋の西側にコの字に並び、東半分には市の職員の方々が、全員西向きに横数列に並んでいました。
その横一の最前列の中央で、臥雲さんが手を上げて発言を求め、議長に指名されて、就任の挨拶が始まりました。
「馬子にも衣装」と言いますが、「演説にも場所」があるかしら。辻立ち演説よりも数段凛々(りり)しく見えました。
(波田の)市民病院の件も、市役所のスリム化・分散化の願いも、今まで訴えていた言葉と同じ言葉・内容なのに、今日からは、それが現実の問題として動き出そうとしているのです。その違いが胸に迫り、感慨ひとしお❣。
14分ほどの挨拶(演説)は誠に格調高いものでした(辻立ち演説も格調高かったのです)。これを原稿なしで、真剣に、思いの丈を込めて言ったのですから、聴き応えがありましたよ。
全文は、議員の池田さんと言う方が、録音しテープ起こしをし、ご自身のフェイスブックに投稿して下さいました(全文です❣)。私のこれを投稿した直後にシェアしますから、ぜひぜひお読み下さい。
31名の市議会議員の皆さまは全員出席(写真4)。議員席は部屋の西側にコの字に並び、東半分には市の職員の方々が、全員西向きに横数列に並んでいました。
その横一の最前列の中央で、臥雲さんが手を上げて発言を求め、議長に指名されて、就任の挨拶が始まりました。
「馬子にも衣装」と言いますが、「演説にも場所」があるかしら。辻立ち演説よりも数段凛々(りり)しく見えました。
(波田の)市民病院の件も、市役所のスリム化・分散化の願いも、今まで訴えていた言葉と同じ言葉・内容なのに、今日からは、それが現実の問題として動き出そうとしているのです。その違いが胸に迫り、感慨ひとしお❣。
14分ほどの挨拶(演説)は誠に格調高いものでした(辻立ち演説も格調高かったのです)。これを原稿なしで、真剣に、思いの丈を込めて言ったのですから、聴き応えがありましたよ。
全文は、議員の池田さんと言う方が、録音しテープ起こしをし、ご自身のフェイスブックに投稿して下さいました(全文です❣)。私のこれを投稿した直後にシェアしますから、ぜひぜひお読み下さい。

初登庁の朝、市役所前で臥雲さんは言いました。
「昨日妻に買ってもらった大き過ぎるリュックサックを背負いながら、開智小学校に行く途中にお城の横を通ったことや、丸の内中学への坂道を登って、初めて登校した時のことを思い出していました」と。
1年生になった頃の、初々しさと希望が蘇っていたのでしょうね。「清々しさと、重い責任を感じでいます」とも。
「今、この瞬間から、市民・職員・議会の皆さんと、全身全霊を尽くし松本を前へ進めて行きます」。って、元気いっぱいの1年生です。可笑しかったのは、
「僕は4年間浪人をしていたので、仕事がしたくてたまりません。
おい、そんなに急ぐな、焦るなと言われる事があるかもしれません。
やりすぎたら、後ろから引っ張って貰い、皆さんと一緒に進んで行きたい」です、と。
コロナ対策で職員の出迎えは部課長さん限定だったそうですが、それでも盛大でした。顔見知りの市民も沢山おられ、
「この日をどんなに待っていた事か、、、」と感慨ひとしおの方も多かったのです。新市長の初登庁を心から祝いました。
写真2は市長になってもガウン・タッチ。目と目が会う、とても素敵なご挨拶です。
写真3は例のリュックサック。
写真4は、今夕6じ過ぎのNHKイブニング信州から。私の技術では画面が縦になりません。が、動画の中にいい顔があります。内容も、臥雲政治のエッセンスです。
全体の様子はぜひ、別投稿の、シェアの動画をご覧下さい。

「昨日妻に買ってもらった大き過ぎるリュックサックを背負いながら、開智小学校に行く途中にお城の横を通ったことや、丸の内中学への坂道を登って、初めて登校した時のことを思い出していました」と。
1年生になった頃の、初々しさと希望が蘇っていたのでしょうね。「清々しさと、重い責任を感じでいます」とも。
「今、この瞬間から、市民・職員・議会の皆さんと、全身全霊を尽くし松本を前へ進めて行きます」。って、元気いっぱいの1年生です。可笑しかったのは、
「僕は4年間浪人をしていたので、仕事がしたくてたまりません。
おい、そんなに急ぐな、焦るなと言われる事があるかもしれません。
やりすぎたら、後ろから引っ張って貰い、皆さんと一緒に進んで行きたい」です、と。
コロナ対策で職員の出迎えは部課長さん限定だったそうですが、それでも盛大でした。顔見知りの市民も沢山おられ、
「この日をどんなに待っていた事か、、、」と感慨ひとしおの方も多かったのです。新市長の初登庁を心から祝いました。
写真2は市長になってもガウン・タッチ。目と目が会う、とても素敵なご挨拶です。
写真3は例のリュックサック。
写真4は、今夕6じ過ぎのNHKイブニング信州から。私の技術では画面が縦になりません。が、動画の中にいい顔があります。内容も、臥雲政治のエッセンスです。
全体の様子はぜひ、別投稿の、シェアの動画をご覧下さい。


2020/03/30
2020/03/30
2020/03/28
『菅谷市政への雑感』。
昨日の続きです。手塚英男先生の個人通信「東々寓だより」3月25日号。
先生はまず、選挙前の3月7日の朝日新聞を引用しています。
〈菅谷氏は、市民芸術館の見直しを求めるグループや当時の田中康夫知事の後援会員、共産党や社民党の関係者らに担ぎだされた。
市民芸術館だけで145億円。医師らしく、選挙戦では有賀市政を「重症ハコモノ症候群」「老人性浪費症」と名付けて関心を引きつけた。〉(朝日からの引用です)
そして、当選時の選挙公約のトップに、
1)市民芸術館の建設経緯の徹底的な検証をします、
2)合併を見直します、が掲げられていました。先生は書きます。
「ところがです、菅谷市政誕生後、「徹底的な検証」もないまま、芸術館の運営を審議する委員会が発足されようとしました。私たちは「検証ななくして活動なし」の立場から、市長に面会を求め20項目にわたる検証と、その結果の公表を要望しました。
しかし、面会時間はたったの15分、20項目の説明の途中で、
「あとは担当者に話しておいてくれ」と市長は席をたってしまいました。(中略)
菅谷市長在任16年間に、私が市長に面談できたのは、このたった15分だけです。」
この他の問題で公開質問や懇談を求めても、それらはついに叶わなかったのでした。
「市長在任16年の末期にいたって、〇〇や〇〇や〇〇の問題が起こり、市民から強い批判を浴びたときにも、ついに市長は市民の前に現われませんでした。
自分の肉声で市民に説明責任を果たすことが回避され、市民と相対したのは担当の課長だけでした。」と。
「合併問題にしても、有賀市政が敷いた路線を「見直す」ことはありませんでした。
合併後、80億円を投じる四賀・松本直結道路(トンネル)についても、市長の方針は示されませんでした。
示されたのは、信大の教授に市民アンケートの実施を依頼し、教授の示した意見を市長の意見とする、という他力本願的な方針でした。」と。(中略)
一期目に収入役だった市川ひろみさんが、二期目の市長選で反旗を翻して破れ、
「以後市政は、ほとんどオール与党的な体質になり、微温(ぬるま湯)的な、あまり緊張感のない市政運営が続きました。」(中略)
手塚先生は言います。「健康寿命延伸都市」だって、ほんとに健康寿命は伸びたのか、医療費・介護保険料・国保はどうなのか、の検証がなければ、単なるキャッチフレーズでしかなく、その検証はされていない、と。
最後に、現在の35地区の「地域づくりセンター」「支所・出張所(旧市街13地区は除く)」「地区公民館」「地区福祉ひろば」は地区住民と公民館関係者が、50年の歳月を要して築きあげた松本の宝、と書き、さらに、子育ての機能と、防災の機能を求めたい、としています。
「地方自治とは、いまさら言うまでもなく、「住民自治」を基盤にした「団体自治」(市町村の国からの自立)の総体です。この住民自治のおおもとに、松本モデル(地区自治)をしっかり据えたいものですね」と。
昨日の続きです。手塚英男先生の個人通信「東々寓だより」3月25日号。
先生はまず、選挙前の3月7日の朝日新聞を引用しています。
〈菅谷氏は、市民芸術館の見直しを求めるグループや当時の田中康夫知事の後援会員、共産党や社民党の関係者らに担ぎだされた。
市民芸術館だけで145億円。医師らしく、選挙戦では有賀市政を「重症ハコモノ症候群」「老人性浪費症」と名付けて関心を引きつけた。〉(朝日からの引用です)
そして、当選時の選挙公約のトップに、
1)市民芸術館の建設経緯の徹底的な検証をします、
2)合併を見直します、が掲げられていました。先生は書きます。
「ところがです、菅谷市政誕生後、「徹底的な検証」もないまま、芸術館の運営を審議する委員会が発足されようとしました。私たちは「検証ななくして活動なし」の立場から、市長に面会を求め20項目にわたる検証と、その結果の公表を要望しました。
しかし、面会時間はたったの15分、20項目の説明の途中で、
「あとは担当者に話しておいてくれ」と市長は席をたってしまいました。(中略)
菅谷市長在任16年間に、私が市長に面談できたのは、このたった15分だけです。」
この他の問題で公開質問や懇談を求めても、それらはついに叶わなかったのでした。
「市長在任16年の末期にいたって、〇〇や〇〇や〇〇の問題が起こり、市民から強い批判を浴びたときにも、ついに市長は市民の前に現われませんでした。
自分の肉声で市民に説明責任を果たすことが回避され、市民と相対したのは担当の課長だけでした。」と。
「合併問題にしても、有賀市政が敷いた路線を「見直す」ことはありませんでした。
合併後、80億円を投じる四賀・松本直結道路(トンネル)についても、市長の方針は示されませんでした。
示されたのは、信大の教授に市民アンケートの実施を依頼し、教授の示した意見を市長の意見とする、という他力本願的な方針でした。」と。(中略)
一期目に収入役だった市川ひろみさんが、二期目の市長選で反旗を翻して破れ、
「以後市政は、ほとんどオール与党的な体質になり、微温(ぬるま湯)的な、あまり緊張感のない市政運営が続きました。」(中略)
手塚先生は言います。「健康寿命延伸都市」だって、ほんとに健康寿命は伸びたのか、医療費・介護保険料・国保はどうなのか、の検証がなければ、単なるキャッチフレーズでしかなく、その検証はされていない、と。
最後に、現在の35地区の「地域づくりセンター」「支所・出張所(旧市街13地区は除く)」「地区公民館」「地区福祉ひろば」は地区住民と公民館関係者が、50年の歳月を要して築きあげた松本の宝、と書き、さらに、子育ての機能と、防災の機能を求めたい、としています。
「地方自治とは、いまさら言うまでもなく、「住民自治」を基盤にした「団体自治」(市町村の国からの自立)の総体です。この住民自治のおおもとに、松本モデル(地区自治)をしっかり据えたいものですね」と。

2020/03/27
今日の午前中は、Mウィング(松本市中央公民館)で「手塚英男先生を囲む会」がありました。
信毎3月9日と10日の「巣立ち松本から」の記事の読み合わせは、記事の主人公の北野友子さんもご出席だったのでさらにお話しが聞け、感謝でした。
さらに、圧巻は、手塚先生の個人通信『東々寓(とんとんぐう)だより』の全面を使ってかかれた力作「菅谷市政(4期16年)への雑感」です。本人曰く「〈雑感〉より〈検証〉ですが、ソフトに表現した」と。
手塚先生は松本市の職員として、社会教育に取り組み、あがたの森文化会館の初代館長をはじめ、中央図書館や中央公民館の館長もされました。その方の〈検証〉です。
最初の方に
「6人もが立候補する「舌戦」は、まるで16年間に市政の底に淀んだ沈殿物を引っ掻き回すような勢いでした」と。
本人曰く「〈沈殿物〉ではなく〈ヘドロ〉と書きたいのですが、ここもソフトに表現した」のだそうです。
写真1は、A3表・裏の「通信」の、1頁めと4頁めが、写真2は、2頁めと3頁めが写っています。
本文に入る前に、手塚先生は余談として「臥雲」の系譜に触れていました。
「臥雲義尚氏の曾祖父は、ガラ紡を発明した高名な方(注・辰致さん)。
祖父は、松本駅前の新伊勢町通りのどっしりした蔵づくりの商店(農機具店)を営んでいて、町会長や市会議員をされていました。
農機具店の裏手に、もう一つ建物があり、卓球台などが置かれて、僕たち新伊勢町の子どもらの遊び場になっていました。店の2階は、町内公民館のように使われ、ときどき子ども会の集まりが開かれたりしました。」と。
義尚さんの父上の弟さん(臥雲弘安さん)は、小中高(開智小・丸の内中・深志高)と手塚先生の1年先輩で、大学(注・東大です。)では、ドイツ語のクラスで机を並べていたことがあるそうです。
余談が長くなったので、〈検証〉の本文は、また明日にしますね。添付の写真を拡大すると読めますが、、、。
写真3・4は、博物館北の桜(今日はまだ開花はこれだけ)と、松本城の紅梅。コロナで閉館でも、お城公園や城の中庭は散策できました。



信毎3月9日と10日の「巣立ち松本から」の記事の読み合わせは、記事の主人公の北野友子さんもご出席だったのでさらにお話しが聞け、感謝でした。
さらに、圧巻は、手塚先生の個人通信『東々寓(とんとんぐう)だより』の全面を使ってかかれた力作「菅谷市政(4期16年)への雑感」です。本人曰く「〈雑感〉より〈検証〉ですが、ソフトに表現した」と。
手塚先生は松本市の職員として、社会教育に取り組み、あがたの森文化会館の初代館長をはじめ、中央図書館や中央公民館の館長もされました。その方の〈検証〉です。
最初の方に
「6人もが立候補する「舌戦」は、まるで16年間に市政の底に淀んだ沈殿物を引っ掻き回すような勢いでした」と。
本人曰く「〈沈殿物〉ではなく〈ヘドロ〉と書きたいのですが、ここもソフトに表現した」のだそうです。
写真1は、A3表・裏の「通信」の、1頁めと4頁めが、写真2は、2頁めと3頁めが写っています。
本文に入る前に、手塚先生は余談として「臥雲」の系譜に触れていました。
「臥雲義尚氏の曾祖父は、ガラ紡を発明した高名な方(注・辰致さん)。
祖父は、松本駅前の新伊勢町通りのどっしりした蔵づくりの商店(農機具店)を営んでいて、町会長や市会議員をされていました。
農機具店の裏手に、もう一つ建物があり、卓球台などが置かれて、僕たち新伊勢町の子どもらの遊び場になっていました。店の2階は、町内公民館のように使われ、ときどき子ども会の集まりが開かれたりしました。」と。
義尚さんの父上の弟さん(臥雲弘安さん)は、小中高(開智小・丸の内中・深志高)と手塚先生の1年先輩で、大学(注・東大です。)では、ドイツ語のクラスで机を並べていたことがあるそうです。
余談が長くなったので、〈検証〉の本文は、また明日にしますね。添付の写真を拡大すると読めますが、、、。
写真3・4は、博物館北の桜(今日はまだ開花はこれだけ)と、松本城の紅梅。コロナで閉館でも、お城公園や城の中庭は散策できました。




2020/03/26
今日は一日家で、紙類の整理。
臥雲さんの演説の取材メモが山ほど溜まっていたのを、ノートにまとめ、メモは捨てました。
我が筆跡ながら、判読に苦労しましたが、ごちゃごちゃメモがなくなってすっきり。
臥雲語録のノートはなかなかのものですよ。
という訳で一歩も外出せず、写真もありません。
良い天気でした❣❣❣❣
臥雲さんの演説の取材メモが山ほど溜まっていたのを、ノートにまとめ、メモは捨てました。
我が筆跡ながら、判読に苦労しましたが、ごちゃごちゃメモがなくなってすっきり。
臥雲語録のノートはなかなかのものですよ。
という訳で一歩も外出せず、写真もありません。
良い天気でした❣❣❣❣

2020/03/24
2泊した孫を迎えに来る息子が
「晩ご飯食べれる❓」とメールして来たので、
「もちろん❣」と返信しつつ「ありあわせですが」と付け加えたのがいけなかったのです。昨夜のこと。
統一の取れていないガチャガチャのメニューです、と言う意味だったのですが、息子は気を利かせて、ちょっと高級めなレトルトカレーやすぐ食べれる弁当を買ってきました。
私が「どうしてレトルトカレーなの❓」と尋ねると
「母さんの所へ来ると、何時も怪しいカレーが出て来るから、これで回避しようと思って」と言いました。えええっ〜〜‼
確かに何時も必ず変なカレーですが、私としては、これがご馳走❣と思っていたのです。
言われなければ判らない事。言ってもらって良かったわね。
写真1は、陽に干している布団の上で漫画の孫。
2は、例の夕食。メインのハンバーガーはもう食べ終わっています。今日はいつもの変なカレーの代わりに、複合味の(変な)スープでした。二人の客人は手を付けなかったから、やはり、変なものは苦手なのね。美味しいのに、、、。


「晩ご飯食べれる❓」とメールして来たので、
「もちろん❣」と返信しつつ「ありあわせですが」と付け加えたのがいけなかったのです。昨夜のこと。
統一の取れていないガチャガチャのメニューです、と言う意味だったのですが、息子は気を利かせて、ちょっと高級めなレトルトカレーやすぐ食べれる弁当を買ってきました。
私が「どうしてレトルトカレーなの❓」と尋ねると
「母さんの所へ来ると、何時も怪しいカレーが出て来るから、これで回避しようと思って」と言いました。えええっ〜〜‼
確かに何時も必ず変なカレーですが、私としては、これがご馳走❣と思っていたのです。
言われなければ判らない事。言ってもらって良かったわね。
写真1は、陽に干している布団の上で漫画の孫。
2は、例の夕食。メインのハンバーガーはもう食べ終わっています。今日はいつもの変なカレーの代わりに、複合味の(変な)スープでした。二人の客人は手を付けなかったから、やはり、変なものは苦手なのね。美味しいのに、、、。



2020/03/23
昨日の日曜日、個人的にではありませんが、臥雲さんの話しを聞く機会がありました。
投票日から1週間の身辺の様子です。
1)当選が決まり、まずは、近隣の安曇野市や、塩尻市や、〇〇町や〇〇村の市町村長さんへ、ご挨拶に伺ったそうです。
どの首長さんからも、松本は近隣地域のリーダーとして頑張って欲しい、と激励された、と。
2)3月28日の市長就任に向けて、松本市役所との打ち合わせが始まっていますが、事務方の皆さまは、真摯に紳士的に対応して下さる、とのことでした。
3)先週の金曜日は何かの収録で(だったかな❓・ともかく何か用があって)東京へ行き、ついでにNHK時代の後輩たちや、先輩の大越キャスターと会い、祝ってもらい、激励も受けたそうです。(NHKでは皆、臥雲さんが大好きだった、と元同僚から聞いた事があります。)
4)閑散としている松本で、臥雲さんは隠れんぼをしている子どもたちに遭遇。彼らは「あっ、がうんさんだ」「がうんさん・がうんさん」と集まってきて、臥雲さんに訴えました。
「僕たち暇で暇で困っています。月曜日は1年生、火曜日は2年生、とか割り振って、少しでも登校させてもらえないかな」。臥雲さんは「それ、いただきだねと思った」と。
5)選挙中は忙しかったですが、体調などは崩していないとのこと。元気そうでした。
◎3月30日の月曜日は、臥雲新市長の初登庁です。8時15分から本庁舎入り口(お城の太鼓門前)でちょっとした式があります(15分くらい)。
市民の代表として入庁するので、沢山の市民の皆さまにお越しいただきたいと願っております。
写真(1)満開になった隣家のサクランボ、(2)河津桜、(3)我が家の梅。(4)少しふくらんだ水仙。
投票日から1週間の身辺の様子です。
1)当選が決まり、まずは、近隣の安曇野市や、塩尻市や、〇〇町や〇〇村の市町村長さんへ、ご挨拶に伺ったそうです。
どの首長さんからも、松本は近隣地域のリーダーとして頑張って欲しい、と激励された、と。
2)3月28日の市長就任に向けて、松本市役所との打ち合わせが始まっていますが、事務方の皆さまは、真摯に紳士的に対応して下さる、とのことでした。
3)先週の金曜日は何かの収録で(だったかな❓・ともかく何か用があって)東京へ行き、ついでにNHK時代の後輩たちや、先輩の大越キャスターと会い、祝ってもらい、激励も受けたそうです。(NHKでは皆、臥雲さんが大好きだった、と元同僚から聞いた事があります。)
4)閑散としている松本で、臥雲さんは隠れんぼをしている子どもたちに遭遇。彼らは「あっ、がうんさんだ」「がうんさん・がうんさん」と集まってきて、臥雲さんに訴えました。
「僕たち暇で暇で困っています。月曜日は1年生、火曜日は2年生、とか割り振って、少しでも登校させてもらえないかな」。臥雲さんは「それ、いただきだねと思った」と。
5)選挙中は忙しかったですが、体調などは崩していないとのこと。元気そうでした。
◎3月30日の月曜日は、臥雲新市長の初登庁です。8時15分から本庁舎入り口(お城の太鼓門前)でちょっとした式があります(15分くらい)。
市民の代表として入庁するので、沢山の市民の皆さまにお越しいただきたいと願っております。
写真(1)満開になった隣家のサクランボ、(2)河津桜、(3)我が家の梅。(4)少しふくらんだ水仙。
