2020/03/27
今日の午前中は、Mウィング(松本市中央公民館)で「手塚英男先生を囲む会」がありました。
信毎3月9日と10日の「巣立ち松本から」の記事の読み合わせは、記事の主人公の北野友子さんもご出席だったのでさらにお話しが聞け、感謝でした。
さらに、圧巻は、手塚先生の個人通信『東々寓(とんとんぐう)だより』の全面を使ってかかれた力作「菅谷市政(4期16年)への雑感」です。本人曰く「〈雑感〉より〈検証〉ですが、ソフトに表現した」と。
手塚先生は松本市の職員として、社会教育に取り組み、あがたの森文化会館の初代館長をはじめ、中央図書館や中央公民館の館長もされました。その方の〈検証〉です。
最初の方に
「6人もが立候補する「舌戦」は、まるで16年間に市政の底に淀んだ沈殿物を引っ掻き回すような勢いでした」と。
本人曰く「〈沈殿物〉ではなく〈ヘドロ〉と書きたいのですが、ここもソフトに表現した」のだそうです。
写真1は、A3表・裏の「通信」の、1頁めと4頁めが、写真2は、2頁めと3頁めが写っています。
本文に入る前に、手塚先生は余談として「臥雲」の系譜に触れていました。
「臥雲義尚氏の曾祖父は、ガラ紡を発明した高名な方(注・辰致さん)。
祖父は、松本駅前の新伊勢町通りのどっしりした蔵づくりの商店(農機具店)を営んでいて、町会長や市会議員をされていました。
農機具店の裏手に、もう一つ建物があり、卓球台などが置かれて、僕たち新伊勢町の子どもらの遊び場になっていました。店の2階は、町内公民館のように使われ、ときどき子ども会の集まりが開かれたりしました。」と。
義尚さんの父上の弟さん(臥雲弘安さん)は、小中高(開智小・丸の内中・深志高)と手塚先生の1年先輩で、大学(注・東大です。)では、ドイツ語のクラスで机を並べていたことがあるそうです。
余談が長くなったので、〈検証〉の本文は、また明日にしますね。添付の写真を拡大すると読めますが、、、。
写真3・4は、博物館北の桜(今日はまだ開花はこれだけ)と、松本城の紅梅。コロナで閉館でも、お城公園や城の中庭は散策できました。



信毎3月9日と10日の「巣立ち松本から」の記事の読み合わせは、記事の主人公の北野友子さんもご出席だったのでさらにお話しが聞け、感謝でした。
さらに、圧巻は、手塚先生の個人通信『東々寓(とんとんぐう)だより』の全面を使ってかかれた力作「菅谷市政(4期16年)への雑感」です。本人曰く「〈雑感〉より〈検証〉ですが、ソフトに表現した」と。
手塚先生は松本市の職員として、社会教育に取り組み、あがたの森文化会館の初代館長をはじめ、中央図書館や中央公民館の館長もされました。その方の〈検証〉です。
最初の方に
「6人もが立候補する「舌戦」は、まるで16年間に市政の底に淀んだ沈殿物を引っ掻き回すような勢いでした」と。
本人曰く「〈沈殿物〉ではなく〈ヘドロ〉と書きたいのですが、ここもソフトに表現した」のだそうです。
写真1は、A3表・裏の「通信」の、1頁めと4頁めが、写真2は、2頁めと3頁めが写っています。
本文に入る前に、手塚先生は余談として「臥雲」の系譜に触れていました。
「臥雲義尚氏の曾祖父は、ガラ紡を発明した高名な方(注・辰致さん)。
祖父は、松本駅前の新伊勢町通りのどっしりした蔵づくりの商店(農機具店)を営んでいて、町会長や市会議員をされていました。
農機具店の裏手に、もう一つ建物があり、卓球台などが置かれて、僕たち新伊勢町の子どもらの遊び場になっていました。店の2階は、町内公民館のように使われ、ときどき子ども会の集まりが開かれたりしました。」と。
義尚さんの父上の弟さん(臥雲弘安さん)は、小中高(開智小・丸の内中・深志高)と手塚先生の1年先輩で、大学(注・東大です。)では、ドイツ語のクラスで机を並べていたことがあるそうです。
余談が長くなったので、〈検証〉の本文は、また明日にしますね。添付の写真を拡大すると読めますが、、、。
写真3・4は、博物館北の桜(今日はまだ開花はこれだけ)と、松本城の紅梅。コロナで閉館でも、お城公園や城の中庭は散策できました。



