2022/10/31
今日、家を買いました!
明日から2日間、昼は必死で新居の掃除をし、今夜から3日間は、夜、旧宅で必死に荷造りをし、11月3日に引っ越しです。
今日は、具体的なことで考えることが山ほどあり、長〜い1日でした。
明日からは、やることが、山ほど。
今日、小説はお休みします。
明日から2日間、昼は必死で新居の掃除をし、今夜から3日間は、夜、旧宅で必死に荷造りをし、11月3日に引っ越しです。
今日は、具体的なことで考えることが山ほどあり、長〜い1日でした。
明日からは、やることが、山ほど。
今日、小説はお休みします。
2022/10/30
連載376。小説『山を仰ぐ』第5章・栄弥―②俊量が語る青年栄弥―38
(前回、栄弥の母なみは、栄弥の疲れに気づかなかったことを気に病みつつも、回復への祈りを込めて、糸を紡ぎ織り仕立てて、栄弥の晴れ着を作りました)
家を出る前の晩、父の儀十郎さんは、生気の失せた栄弥さんの前に、大きな糸紡ぎ機を持って来ました。一年前に栄弥さんが注文し、大工が作った新種の機械です。
「栄弥よ、俺は、この機械が恨めいしぞ。お前がこれに心を奪われなんだら、寺に行くことも無くてすんだずら。
この機械がなけりゃ、これからもずっと栄弥と一緒に仕事をして、お前の顔を見て暮していけたずら。お前の嫁さんにも子供にも会えたずら。
栄弥が居なくなった家で、これを見て暮らすのは、おれには耐えられねえ。これは、今、ここで壊すが、許してくれよ。
こんなもん考えついて、こんな立派なもんこしらえるだから、お前は大した男せ。手習所の松田斐宣先生も、栄弥の頭は特別優秀じゃと言っておったじ。
おらたちは、お前が、何事にも一所懸命で、物怖(ものお)じせずに立ち向かっていくのも知っている。しかし、生きているのが辛い程に身体をこわしちゃ、元も子もねぇずら。
おらは、お前に生きて欲しいだ。だから、機械を壊すのせ。お前の代わりに機械に壊れてもらうのせ。ええな」
栄弥さんは、生気のないまま、小さくうなずきました。涙が一筋頬を流れます。誰にも知られない、一瞬のことでした。
(次回、連載377に続く。
写真はこの夏の思い出。松本にて)
(前回、栄弥の母なみは、栄弥の疲れに気づかなかったことを気に病みつつも、回復への祈りを込めて、糸を紡ぎ織り仕立てて、栄弥の晴れ着を作りました)
家を出る前の晩、父の儀十郎さんは、生気の失せた栄弥さんの前に、大きな糸紡ぎ機を持って来ました。一年前に栄弥さんが注文し、大工が作った新種の機械です。
「栄弥よ、俺は、この機械が恨めいしぞ。お前がこれに心を奪われなんだら、寺に行くことも無くてすんだずら。
この機械がなけりゃ、これからもずっと栄弥と一緒に仕事をして、お前の顔を見て暮していけたずら。お前の嫁さんにも子供にも会えたずら。
栄弥が居なくなった家で、これを見て暮らすのは、おれには耐えられねえ。これは、今、ここで壊すが、許してくれよ。
こんなもん考えついて、こんな立派なもんこしらえるだから、お前は大した男せ。手習所の松田斐宣先生も、栄弥の頭は特別優秀じゃと言っておったじ。
おらたちは、お前が、何事にも一所懸命で、物怖(ものお)じせずに立ち向かっていくのも知っている。しかし、生きているのが辛い程に身体をこわしちゃ、元も子もねぇずら。
おらは、お前に生きて欲しいだ。だから、機械を壊すのせ。お前の代わりに機械に壊れてもらうのせ。ええな」
栄弥さんは、生気のないまま、小さくうなずきました。涙が一筋頬を流れます。誰にも知られない、一瞬のことでした。
(次回、連載377に続く。

写真はこの夏の思い出。松本にて)
連載375。小説『山を仰ぐ』第5章・栄弥―②俊量が語る青年栄弥―37
(前回は、「機械が出来ないのなら死んだ方がましだ」と思っていた栄弥を俊量が説得し、栄弥は安楽寺へ預けられることになりました。それは出家で家族との別れであり、本人にも家族にも深い寂しさもたらしました)
栄弥さんと母のなみさんは気が合い、母は無口な栄弥さんの気持ちを読み取ることができました。新しい機械をつくりたい栄弥さんの温かい気持ちも良く分かっていました。
分るだけに、分るに任せて栄弥さんをそこまで放置していた自分を、なみさんは強く責めていました。青柳先生がある時言ったのです。
「気鬱をここまでこじらせるのは、よほど豪気(ごうき)な気性でしょう」と。
なみさんは、すぐに思い至たったそうです。
「豪気なのは栄弥だけでなく、私もそうだじ。理由もないのに、栄弥なら大丈夫と思っていたでね。注意もできなかったのせ。母として、申し訳ない」と。
なみさんはそう言って自分を責めていました。でも、わたくしからみれば、栄弥さんにとっては最高の母ではなかったでしょうか。なみさんの太っ腹が、栄弥さんのやりたいことを支えたのですから。
なみさんは、自分で紡いだ上等の木綿糸を、儀十郎さんに藍で染めてもらい、その糸を一心に織り、織りあがった布で作務衣を縫いました。栄弥よ元気になれ、栄弥よ元気になれ、と念仏のように祈りながら。
「栄弥の着物は、八九郎兄いのお下がりばかりだったでね。新調の着物を着せてやりたいと、いつも思っていたさ。こんなに遅くなっちまって、すまないことだいね。最初で最後だなんて」
寺での日々、母が紡ぎ、織り、縫って作った藍の作務衣が、栄弥さんをどれだけ守り励ましたことでしょうね。
(次回、連載376に続く。
写真は「友人の紹介で」と言って私の家に2泊して行ったスリランカ人の青年2人。4年前のこと。
初対面だったけれど、すぐに仲良くなり、夜を徹して仏教の深~い話をしました。もう一人の若い人は、迷子になった外人を私の家まで案内してくれた近所の高校生。
このスリランカ人2人が、コロナで解禁になった日本に、勇んで再訪の予定だそうです。私の家にもまた来るんですって!)
(前回は、「機械が出来ないのなら死んだ方がましだ」と思っていた栄弥を俊量が説得し、栄弥は安楽寺へ預けられることになりました。それは出家で家族との別れであり、本人にも家族にも深い寂しさもたらしました)
栄弥さんと母のなみさんは気が合い、母は無口な栄弥さんの気持ちを読み取ることができました。新しい機械をつくりたい栄弥さんの温かい気持ちも良く分かっていました。
分るだけに、分るに任せて栄弥さんをそこまで放置していた自分を、なみさんは強く責めていました。青柳先生がある時言ったのです。
「気鬱をここまでこじらせるのは、よほど豪気(ごうき)な気性でしょう」と。
なみさんは、すぐに思い至たったそうです。
「豪気なのは栄弥だけでなく、私もそうだじ。理由もないのに、栄弥なら大丈夫と思っていたでね。注意もできなかったのせ。母として、申し訳ない」と。
なみさんはそう言って自分を責めていました。でも、わたくしからみれば、栄弥さんにとっては最高の母ではなかったでしょうか。なみさんの太っ腹が、栄弥さんのやりたいことを支えたのですから。
なみさんは、自分で紡いだ上等の木綿糸を、儀十郎さんに藍で染めてもらい、その糸を一心に織り、織りあがった布で作務衣を縫いました。栄弥よ元気になれ、栄弥よ元気になれ、と念仏のように祈りながら。
「栄弥の着物は、八九郎兄いのお下がりばかりだったでね。新調の着物を着せてやりたいと、いつも思っていたさ。こんなに遅くなっちまって、すまないことだいね。最初で最後だなんて」
寺での日々、母が紡ぎ、織り、縫って作った藍の作務衣が、栄弥さんをどれだけ守り励ましたことでしょうね。
(次回、連載376に続く。
写真は「友人の紹介で」と言って私の家に2泊して行ったスリランカ人の青年2人。4年前のこと。
初対面だったけれど、すぐに仲良くなり、夜を徹して仏教の深~い話をしました。もう一人の若い人は、迷子になった外人を私の家まで案内してくれた近所の高校生。
このスリランカ人2人が、コロナで解禁になった日本に、勇んで再訪の予定だそうです。私の家にもまた来るんですって!)

2022/10/28
連載374。小説『山を仰ぐ』第5章・栄弥―②俊量が語る青年栄弥―36
(前回、青柳先生の見立ては「春がくれば栄弥は首をくくるかもしれない」ということで、安楽寺の智順和尚が「春になる前に、栄弥を安楽寺へ引き取ろう」と言ってくれました)
横山家の方たちも、青柳の方たちも、皆、智順和尚の策に賛成でした。
「死ぬよりかは、坊主になる方が、まだ、いい」と。
しかし、本人の栄弥さんだけは、そうは思えません。栄弥さんは、
「機械が出来ないなら、死んだ方がましだ」と思っているのです。
「俺が生まれたのは、この機械を作るためでねぇか。そのために、命かけてきたずら」と。
栄弥さんの説得には手こずりましたね。これはわたくしの役目と思って、わたくしもここ一番で頑張りました。説得は、力を入れ過ぎてもいけないし、引き過ぎてもいけない。一言一言に全神経を集中した、真剣な時間でした。
そして、春が来る少し前、栄弥さんがついに同意をしてくれました。嬉しかったですね。命を寺に預けてくれたのです。それは、御仏の光に照らされて生きることでした。栄弥さん本人にはまだ、分っていなかったと思いますが。
寺に行く日が決まり、横山家はにわかに慌ただしくなりました。家の大きな柱の一つだった栄弥さんが、家からいなくなるのです。
妹たちには特に優しかった二番目の兄でした。四人の妹さんたちは、わたくしの真似をして、代わる代わる栄弥さんの背中や手や足をさすったそうです。
「兄や、元気になっとくれ、兄やが元気になっとくれ」とおまじないを呟きながら。
「兄やがいなくなりゃ、さびしい」という子も、
「兄や、ずっと家にいてくれ」という子もいました。
栄弥さんも「別れるのは寂しかった」と、後に言っていましたよ。
「雪山の底の底に立つように、寂しかった」と。
(次回、連載375に続く。
写真は、今の家の4年前の玄関前。試しに遊んだ石敷が楽しかったです。今は草ぼーぼー。懐かしい家だもの、もっと写真を撮っておけば良かったわ)
(前回、青柳先生の見立ては「春がくれば栄弥は首をくくるかもしれない」ということで、安楽寺の智順和尚が「春になる前に、栄弥を安楽寺へ引き取ろう」と言ってくれました)
横山家の方たちも、青柳の方たちも、皆、智順和尚の策に賛成でした。
「死ぬよりかは、坊主になる方が、まだ、いい」と。
しかし、本人の栄弥さんだけは、そうは思えません。栄弥さんは、
「機械が出来ないなら、死んだ方がましだ」と思っているのです。
「俺が生まれたのは、この機械を作るためでねぇか。そのために、命かけてきたずら」と。
栄弥さんの説得には手こずりましたね。これはわたくしの役目と思って、わたくしもここ一番で頑張りました。説得は、力を入れ過ぎてもいけないし、引き過ぎてもいけない。一言一言に全神経を集中した、真剣な時間でした。
そして、春が来る少し前、栄弥さんがついに同意をしてくれました。嬉しかったですね。命を寺に預けてくれたのです。それは、御仏の光に照らされて生きることでした。栄弥さん本人にはまだ、分っていなかったと思いますが。
寺に行く日が決まり、横山家はにわかに慌ただしくなりました。家の大きな柱の一つだった栄弥さんが、家からいなくなるのです。
妹たちには特に優しかった二番目の兄でした。四人の妹さんたちは、わたくしの真似をして、代わる代わる栄弥さんの背中や手や足をさすったそうです。
「兄や、元気になっとくれ、兄やが元気になっとくれ」とおまじないを呟きながら。
「兄やがいなくなりゃ、さびしい」という子も、
「兄や、ずっと家にいてくれ」という子もいました。
栄弥さんも「別れるのは寂しかった」と、後に言っていましたよ。
「雪山の底の底に立つように、寂しかった」と。
(次回、連載375に続く。
写真は、今の家の4年前の玄関前。試しに遊んだ石敷が楽しかったです。今は草ぼーぼー。懐かしい家だもの、もっと写真を撮っておけば良かったわ)

2022/10/27
連載373。小説『山を仰ぐ』第5章・栄弥―②俊量が語る青年栄弥―35
(前回、気鬱をこじらせた栄弥の背中は、血も水も通わない鉄の板のようで、俊量が叩いても押してもさすっても、栄弥に感覚はありませんでした)
夏が過ぎ、秋が行き、冬が来ても、栄弥さんは、やっと床から起き上ることが出来ただけでした。それでも以前よりは顔色も落ち着いてきたのを見て、青柳先生は、言いました。
「さあ、少しは良くなってきたで、次の春が危ないずら。首くくるのを防ぐには、どうしらたいいずらい」
わたくしは、安楽寺の智順和尚様に智栄さまのことを話しました。心配でたまらなかったものですから。
智順和尚さまは言われましたよ。
「年が明けたら、安楽寺で引き取りましょう。よれよれのままでいいですよ。安楽寺では大勢の坊さんや働き手がいますから、栄弥さんから目を離さずにいることができます。少しづつ元気になれば、それに応じてやってもらうこともあります。何よりも、仏がおられますから。仏が生きることを励まして下さいますから。
家の人や本人が納得するかどうかが問題ですね」
わたくしも大賛成でした。仏の慈悲の中で生きて行けることは、誠に尊いことですから。
仏の御心のままに生きれば、大きな間違いがありません。自分の願いや思いで突っ走ってしまうから、あのような根の深い重大な病におかされるのです。
死ぬか生きるかの命をなんとしてでも救いたいの一念で、わたくしも栄弥さんの仏門入りに賛成し、その成就を祈ったのでございます。
(次回、連載374に続く。
動画は、音を小さくするか消すと見やすいです。
引っ越し情報2。
私は現在、古い借家に住んでいますが、大家さんから「取り壊す予定ですので、心積もりをしていてください。取り壊しの一年前までには日にちを知らせます」との電話をもらったのが、今年の6月でした。
さあ大変、という思いで、次の住み家を探しはじめたら、なんと、近くで手ごろな良い物件があり、そこを買うことができました。(全額借金ですが、ありがたいことにお金が集まり<子供たち、ありがとう!>、あとは返却に燃えるばかり。頑張って、働くぞー)。という訳で、ただ今、引っ越し準備中です。
(前回、気鬱をこじらせた栄弥の背中は、血も水も通わない鉄の板のようで、俊量が叩いても押してもさすっても、栄弥に感覚はありませんでした)
夏が過ぎ、秋が行き、冬が来ても、栄弥さんは、やっと床から起き上ることが出来ただけでした。それでも以前よりは顔色も落ち着いてきたのを見て、青柳先生は、言いました。
「さあ、少しは良くなってきたで、次の春が危ないずら。首くくるのを防ぐには、どうしらたいいずらい」
わたくしは、安楽寺の智順和尚様に智栄さまのことを話しました。心配でたまらなかったものですから。
智順和尚さまは言われましたよ。
「年が明けたら、安楽寺で引き取りましょう。よれよれのままでいいですよ。安楽寺では大勢の坊さんや働き手がいますから、栄弥さんから目を離さずにいることができます。少しづつ元気になれば、それに応じてやってもらうこともあります。何よりも、仏がおられますから。仏が生きることを励まして下さいますから。
家の人や本人が納得するかどうかが問題ですね」
わたくしも大賛成でした。仏の慈悲の中で生きて行けることは、誠に尊いことですから。
仏の御心のままに生きれば、大きな間違いがありません。自分の願いや思いで突っ走ってしまうから、あのような根の深い重大な病におかされるのです。
死ぬか生きるかの命をなんとしてでも救いたいの一念で、わたくしも栄弥さんの仏門入りに賛成し、その成就を祈ったのでございます。
(次回、連載374に続く。
動画は、音を小さくするか消すと見やすいです。
引っ越し情報2。
私は現在、古い借家に住んでいますが、大家さんから「取り壊す予定ですので、心積もりをしていてください。取り壊しの一年前までには日にちを知らせます」との電話をもらったのが、今年の6月でした。
さあ大変、という思いで、次の住み家を探しはじめたら、なんと、近くで手ごろな良い物件があり、そこを買うことができました。(全額借金ですが、ありがたいことにお金が集まり<子供たち、ありがとう!>、あとは返却に燃えるばかり。頑張って、働くぞー)。という訳で、ただ今、引っ越し準備中です。

2022/10/26
連載372。小説『山を仰ぐ』第5章・栄弥―②俊量が語る青年栄弥―34
(前回、青柳老先生の見立てでは、栄弥は気鬱をこじらせていて、快方に向かう春に特に気を付けなければならない、とのことでした。)
わたくしは度々横山家を訪れ、おじいさまやおばあさまが生きていらしたら、どのようにするかを考えながら、看病しました。青柳先生から仰せつかった薬を煎じて栄弥さんに飲ませ、粥と味噌汁を口元に運び、時間がある限り背中をさすりました。
栄弥さんは、表情の消えた土色の顔で、目を細く開けると、口元が微かに動いて、つらい、と漏らします。
栄弥さんのその時の背中はね、鋼(はがね)の板のようでしたよ。叩いても、押しても、さすっても、血も水も通わない鉄の板のようでした。押しても叩いても、痛みは感じなかったのです。
歯が立たないと思われる栄弥さんの背中を、わたくしは必死で、叩き、押し、さすったのでございます。栄弥さんが死にませんよう、栄弥さんが早く楽になりますよう、仏さまに、すがるようにお願いしながらね。
医者の見立てどうり、栄弥さんの病は長引いていました。ご両親やわたくしたちは、ほんの少し休めば治ると思っていたのにね。希望的観測というのでしょうか。しかし、病はもっとずっと深刻だったのです。
(次回、連載373に続く。
引っ越し情報1。
今、引っ越し支度をしていて、いろいろな物がでてきます。
写真は、2007年2月発行の「信州を愛する大人の情報誌、くら」『KURA』という雑誌の、68ページから74ページに特集されている「あこがれの地に住みついてー松村暁生さん、輝美さん」という写真入り記事の、最後のページです。子どもがまだ二人だった頃の若い家族)
(前回、青柳老先生の見立てでは、栄弥は気鬱をこじらせていて、快方に向かう春に特に気を付けなければならない、とのことでした。)
わたくしは度々横山家を訪れ、おじいさまやおばあさまが生きていらしたら、どのようにするかを考えながら、看病しました。青柳先生から仰せつかった薬を煎じて栄弥さんに飲ませ、粥と味噌汁を口元に運び、時間がある限り背中をさすりました。
栄弥さんは、表情の消えた土色の顔で、目を細く開けると、口元が微かに動いて、つらい、と漏らします。
栄弥さんのその時の背中はね、鋼(はがね)の板のようでしたよ。叩いても、押しても、さすっても、血も水も通わない鉄の板のようでした。押しても叩いても、痛みは感じなかったのです。
歯が立たないと思われる栄弥さんの背中を、わたくしは必死で、叩き、押し、さすったのでございます。栄弥さんが死にませんよう、栄弥さんが早く楽になりますよう、仏さまに、すがるようにお願いしながらね。
医者の見立てどうり、栄弥さんの病は長引いていました。ご両親やわたくしたちは、ほんの少し休めば治ると思っていたのにね。希望的観測というのでしょうか。しかし、病はもっとずっと深刻だったのです。
(次回、連載373に続く。
引っ越し情報1。
今、引っ越し支度をしていて、いろいろな物がでてきます。
写真は、2007年2月発行の「信州を愛する大人の情報誌、くら」『KURA』という雑誌の、68ページから74ページに特集されている「あこがれの地に住みついてー松村暁生さん、輝美さん」という写真入り記事の、最後のページです。子どもがまだ二人だった頃の若い家族)

2022/10/25
連載371。小説『山を仰ぐ』第5章・栄弥―②俊量が語る青年栄弥―33
(前回は、栄弥の仕事を変わりにやってみた父の儀十郎が、栄弥の仕事の大変さに驚きます。その合間に精魂を込めたこの度の機械の開発も、あきらめざるを得ないといいました)
わたくしは、儀十郎さんに、言いました。
「栄弥さんがね『手足をもがれるよりもっと苦しい。死にたい』と言っていました。くれぐれも注意してくださいね」
儀十郎さんは飛び上がって驚き、
「あい、分った。教えてくれてありがとさんでした」と言って急ぎ出て行ったのでございます。
隣りの青柳先生も、すぐに、小田多井へ診察に言ってくれました。医者としての経験が物を言うこのような病は、まだ若先生には任せられないと言って、老先生自らが出向いてくださったのです。
「気鬱(きうつ)をこじらせただね。疲れ過ぎたのせ。一所懸命、精一杯やり過ぎただね。何年も。疲れも感じないほど疲れ過ぎたのせ。すぐには、治らないずら」
奥さまは、栄弥さんを取り上げたお産婆さんでしたので
「栄弥さんは、力がみなぎる、とても元気な赤ん坊だっただいね、あんな底力にあふれている若者が疲れ過ぎると、根が深いだよ」と言いました。
青柳先生は月に一度は往診をして下さいました。わたくしは、度々横山家に伺い、栄弥さんの様子を見、青柳先生に相談しましたよ。心配でたまりませんでしたから。先生は言いました。
「こういう病気は、特に春が辛いだね。胸も頭も掻きむしられるように辛いそうだじ。あんまり辛いから、死にたいと思うのが普通なのせ。まあ、今年の春は弱り過ぎていて、自分から死ぬだけの力はないずら。動けないもの、首くくれないせ。
問題は、来年の春だじ。少し、治り始めて、力が出て来た時があぶない。周りで、よくよく気をつけんとね。
食事をとらないのは困ったもんだじ。粥少しでも、味噌汁の汁だけでもいいから、喉をとおさないと」
(次回、連載372に続く)
(前回は、栄弥の仕事を変わりにやってみた父の儀十郎が、栄弥の仕事の大変さに驚きます。その合間に精魂を込めたこの度の機械の開発も、あきらめざるを得ないといいました)
わたくしは、儀十郎さんに、言いました。
「栄弥さんがね『手足をもがれるよりもっと苦しい。死にたい』と言っていました。くれぐれも注意してくださいね」
儀十郎さんは飛び上がって驚き、
「あい、分った。教えてくれてありがとさんでした」と言って急ぎ出て行ったのでございます。
隣りの青柳先生も、すぐに、小田多井へ診察に言ってくれました。医者としての経験が物を言うこのような病は、まだ若先生には任せられないと言って、老先生自らが出向いてくださったのです。
「気鬱(きうつ)をこじらせただね。疲れ過ぎたのせ。一所懸命、精一杯やり過ぎただね。何年も。疲れも感じないほど疲れ過ぎたのせ。すぐには、治らないずら」
奥さまは、栄弥さんを取り上げたお産婆さんでしたので
「栄弥さんは、力がみなぎる、とても元気な赤ん坊だっただいね、あんな底力にあふれている若者が疲れ過ぎると、根が深いだよ」と言いました。
青柳先生は月に一度は往診をして下さいました。わたくしは、度々横山家に伺い、栄弥さんの様子を見、青柳先生に相談しましたよ。心配でたまりませんでしたから。先生は言いました。
「こういう病気は、特に春が辛いだね。胸も頭も掻きむしられるように辛いそうだじ。あんまり辛いから、死にたいと思うのが普通なのせ。まあ、今年の春は弱り過ぎていて、自分から死ぬだけの力はないずら。動けないもの、首くくれないせ。
問題は、来年の春だじ。少し、治り始めて、力が出て来た時があぶない。周りで、よくよく気をつけんとね。
食事をとらないのは困ったもんだじ。粥少しでも、味噌汁の汁だけでもいいから、喉をとおさないと」
(次回、連載372に続く)

2022/10/24
連載370。小説『山を仰ぐ』第5章・栄弥―②俊量が語る青年栄弥―32
(前回、起き上れなくなった栄弥の病は思ったより深刻でした。栄弥の代わりに初めて俊量の弧峯院を訪れた、栄弥の父儀十郎の言葉です)
栄弥は、随分沢山の仕事をしていただいね。任せきりだったでね、気づかなかったけどせ。随分頑張っていたのせ。おらには、とても無理だ。家に来てくれている屈強の男衆と交代でも、とてもやりきれねぇ。
それに、栄弥は、駆け足で農家を回り、少しでも早く帰って、家で機械をいじっていたでね。夜も眠らんとせ。
おらたちは、皆で、言ったのせ。
「そんな、あてにもならんことで、疲れるのはよせ」ってせ。
「お前が十四の時に作ってくれた機械で充分でねえか」とね。
ありゃ、今でも役にたっているでね。
でもせ、そうはいかねぇのせ。栄弥の性分だもの。外回りを脱兎のごとくやり終えて、どうしても、もっと楽で早い機械を作らずにはいられねかったのせ。
十四の時の機械と比べたら、今回作ったのは各段に立派だじ。大工に作ってもらっただけのことはある、大きくて、滑車が沢山付いていて、アチコチが廻り、複雑なものだじ。何がどうなっているかは、おらたちにはわからねえけどせ。
栄弥はせ、十四の時の機械は、玩具みたいだったと言ったのせ。栄弥にはそう思えるほど、今度の機械は大きくて立派だじ。
でもせ、もう、あきらめろ、と言っているだ。作り手が動けなくなってしまっただから、それしかあるめ」
(次回、連載371に続く。
今日は市長記者会見の日でした)
(前回、起き上れなくなった栄弥の病は思ったより深刻でした。栄弥の代わりに初めて俊量の弧峯院を訪れた、栄弥の父儀十郎の言葉です)
栄弥は、随分沢山の仕事をしていただいね。任せきりだったでね、気づかなかったけどせ。随分頑張っていたのせ。おらには、とても無理だ。家に来てくれている屈強の男衆と交代でも、とてもやりきれねぇ。
それに、栄弥は、駆け足で農家を回り、少しでも早く帰って、家で機械をいじっていたでね。夜も眠らんとせ。
おらたちは、皆で、言ったのせ。
「そんな、あてにもならんことで、疲れるのはよせ」ってせ。
「お前が十四の時に作ってくれた機械で充分でねえか」とね。
ありゃ、今でも役にたっているでね。
でもせ、そうはいかねぇのせ。栄弥の性分だもの。外回りを脱兎のごとくやり終えて、どうしても、もっと楽で早い機械を作らずにはいられねかったのせ。
十四の時の機械と比べたら、今回作ったのは各段に立派だじ。大工に作ってもらっただけのことはある、大きくて、滑車が沢山付いていて、アチコチが廻り、複雑なものだじ。何がどうなっているかは、おらたちにはわからねえけどせ。
栄弥はせ、十四の時の機械は、玩具みたいだったと言ったのせ。栄弥にはそう思えるほど、今度の機械は大きくて立派だじ。
でもせ、もう、あきらめろ、と言っているだ。作り手が動けなくなってしまっただから、それしかあるめ」
(次回、連載371に続く。
今日は市長記者会見の日でした)

2022/10/23
連載369。小説『山を仰ぐ』第5章。栄弥―②俊量が語る青年栄弥―31
(前回、栄弥の十九の正月に、大工が作ってくれた新しい機械は失敗作でした。糸の兼ね合いの最良の一点は必ずあると信じて費(つい)やしてきた、長い年月の灯が消えたのでした)
栄弥さんは、起き上ることが出来なくなりました。
朝、外回りの仕事に行くために床を離れようとしても、身体が動かないのです。身体は動かなくて横になったままなのに、休息をとれるわけではなく、頭はキンキンして眠れないのです。
眠れないだけではなく、頭と胸の両方に、落ち着かない塊りがふつふつと湧き立ち、焦りのようないたたまれない苦しみが、絶えず襲うのでした。
弧峯院へ来なくなったので、慌ててわたくしが小田多井の横山家を訪ねた時、栄弥さんは、細々とした蚊の鳴くような声で、ぽつりと言いました。
「あんべが悪いだ。手足をもいだより、もっと苦しいだ」
春が深まったある日、栄弥さんは言いました。
「俊量さま、こんな苦しいのは嫌だ、おらぁ死にたい。首括(くく)って死にたいだども、身体が動かねぇ」
わたくしの胸も、潰れる程の哀しみでした。
仕事が出来なくなった栄弥さんの代わりに、父の儀十郎さんが大八車を引いて弧峯院へやってきました。儀十郎さんは言いましたよ。
「久しぶりに堀金に来りゃ、常念岳は格別だいね。特に今は真っ白だでね。神々しいばかりせ。
栄弥はいつも、この常念を仰ぎながら、俊量さまの所へ来ていただね。どんな気持ちだったずら。知らんかったね。
(次回、連載370に続く。
写真は、古い紙ファイルから出て来たもの)
(前回、栄弥の十九の正月に、大工が作ってくれた新しい機械は失敗作でした。糸の兼ね合いの最良の一点は必ずあると信じて費(つい)やしてきた、長い年月の灯が消えたのでした)
栄弥さんは、起き上ることが出来なくなりました。
朝、外回りの仕事に行くために床を離れようとしても、身体が動かないのです。身体は動かなくて横になったままなのに、休息をとれるわけではなく、頭はキンキンして眠れないのです。
眠れないだけではなく、頭と胸の両方に、落ち着かない塊りがふつふつと湧き立ち、焦りのようないたたまれない苦しみが、絶えず襲うのでした。
弧峯院へ来なくなったので、慌ててわたくしが小田多井の横山家を訪ねた時、栄弥さんは、細々とした蚊の鳴くような声で、ぽつりと言いました。
「あんべが悪いだ。手足をもいだより、もっと苦しいだ」
春が深まったある日、栄弥さんは言いました。
「俊量さま、こんな苦しいのは嫌だ、おらぁ死にたい。首括(くく)って死にたいだども、身体が動かねぇ」
わたくしの胸も、潰れる程の哀しみでした。
仕事が出来なくなった栄弥さんの代わりに、父の儀十郎さんが大八車を引いて弧峯院へやってきました。儀十郎さんは言いましたよ。
「久しぶりに堀金に来りゃ、常念岳は格別だいね。特に今は真っ白だでね。神々しいばかりせ。
栄弥はいつも、この常念を仰ぎながら、俊量さまの所へ来ていただね。どんな気持ちだったずら。知らんかったね。
(次回、連載370に続く。
写真は、古い紙ファイルから出て来たもの)

2022/10/22
連載368。小説『山を仰ぐ』第5章・栄弥―②俊量が語る青年栄弥―30
(前回、大八車を引く栄弥は十八になり、疲れた様子で平らを廻わります。正月に大工に頼んだ新しい機械が出来上がって来ました)
栄弥さんは家族の前で、詳しい説明もできないまま、ともかく機械に手をかけました。
一つの取っ手で一つのはずみ車を廻し、二つの軸を動かす糸車でした。二つの主要な軸は上下にすこし離れて設置され、この二つを動かすために、幾つかの軸や滑車があります。普通の糸車より、ずっと大きくて立派でした。
取っ手に手を置き回してみると、綿を設置しない機械は、くるくると気持ち良くまわります。見ている家族から、おお、という歓声が上がりました。
手順どおり、竹筒に綿を詰め、筒から糸を引き出し、その糸をよじって巻き取りのかせに掛け、さて、ついに、栄弥さんはゆっくりと取っ手を回します。新機械での糸紡ぎの初めでした。
皆のいる前で、機械は動き初めます。栄弥さんは、糸の引き出しとよじりの具合を注視しながら、注意深く取っ手を回しましす。初めはそろり、そろり、と、、、、。
そろり、そろり、から、少しづつ速く、、、、。
そして、しばらくすると、糸は切れました。
糸は、繋いでも繋いでも切れるばかりでした。
竹筒の回転を速めてもゆるめても、かせの巻き取りを速めてもゆるめても、糸はやがて切れました。栄弥さんがあれこれ調節し一時はうまく回っても、続きません。焦る気持ちばかりが膨れ、あぶら汗が額を流れ、手が震えだしました。
その機械ではどうあがいても、連続して糸が紡げないと判明したとき、栄弥さんは青ざめて涙もでませんでした。最良の一点は必ずあると、すがりつくように灯してきた希望が、断ちきられたのでした。
その時の深い落胆を、なんと言い表わしたらいいのか、と言っていましたね。地の底へ落下していくようだったと。もう、立ちあがれなかったそうです。
今にして思えば、ほんとはね、栄弥さんにも分っていたのです。まだ機械は途上で、動く確証はないことが。
しかし、栄弥さんはもう、持ちこたえられなかったのです。誰かに助けを求めたかったのでした。それで、大工さんに説明をし、作ってもらいながら、新しい道を切り開きたかったのです。
しかし、それは、叶いませんでした。栄弥さん自身が、燃え尽きてしまったからです。
(次回、連載369に続く。
写真は、10年前の私の部屋)
(前回、大八車を引く栄弥は十八になり、疲れた様子で平らを廻わります。正月に大工に頼んだ新しい機械が出来上がって来ました)
栄弥さんは家族の前で、詳しい説明もできないまま、ともかく機械に手をかけました。
一つの取っ手で一つのはずみ車を廻し、二つの軸を動かす糸車でした。二つの主要な軸は上下にすこし離れて設置され、この二つを動かすために、幾つかの軸や滑車があります。普通の糸車より、ずっと大きくて立派でした。
取っ手に手を置き回してみると、綿を設置しない機械は、くるくると気持ち良くまわります。見ている家族から、おお、という歓声が上がりました。
手順どおり、竹筒に綿を詰め、筒から糸を引き出し、その糸をよじって巻き取りのかせに掛け、さて、ついに、栄弥さんはゆっくりと取っ手を回します。新機械での糸紡ぎの初めでした。
皆のいる前で、機械は動き初めます。栄弥さんは、糸の引き出しとよじりの具合を注視しながら、注意深く取っ手を回しましす。初めはそろり、そろり、と、、、、。
そろり、そろり、から、少しづつ速く、、、、。
そして、しばらくすると、糸は切れました。
糸は、繋いでも繋いでも切れるばかりでした。
竹筒の回転を速めてもゆるめても、かせの巻き取りを速めてもゆるめても、糸はやがて切れました。栄弥さんがあれこれ調節し一時はうまく回っても、続きません。焦る気持ちばかりが膨れ、あぶら汗が額を流れ、手が震えだしました。
その機械ではどうあがいても、連続して糸が紡げないと判明したとき、栄弥さんは青ざめて涙もでませんでした。最良の一点は必ずあると、すがりつくように灯してきた希望が、断ちきられたのでした。
その時の深い落胆を、なんと言い表わしたらいいのか、と言っていましたね。地の底へ落下していくようだったと。もう、立ちあがれなかったそうです。
今にして思えば、ほんとはね、栄弥さんにも分っていたのです。まだ機械は途上で、動く確証はないことが。
しかし、栄弥さんはもう、持ちこたえられなかったのです。誰かに助けを求めたかったのでした。それで、大工さんに説明をし、作ってもらいながら、新しい道を切り開きたかったのです。
しかし、それは、叶いませんでした。栄弥さん自身が、燃え尽きてしまったからです。
(次回、連載369に続く。
写真は、10年前の私の部屋)
