2022/10/28
連載374。小説『山を仰ぐ』第5章・栄弥―②俊量が語る青年栄弥―36
(前回、青柳先生の見立ては「春がくれば栄弥は首をくくるかもしれない」ということで、安楽寺の智順和尚が「春になる前に、栄弥を安楽寺へ引き取ろう」と言ってくれました)
横山家の方たちも、青柳の方たちも、皆、智順和尚の策に賛成でした。
「死ぬよりかは、坊主になる方が、まだ、いい」と。
しかし、本人の栄弥さんだけは、そうは思えません。栄弥さんは、
「機械が出来ないなら、死んだ方がましだ」と思っているのです。
「俺が生まれたのは、この機械を作るためでねぇか。そのために、命かけてきたずら」と。
栄弥さんの説得には手こずりましたね。これはわたくしの役目と思って、わたくしもここ一番で頑張りました。説得は、力を入れ過ぎてもいけないし、引き過ぎてもいけない。一言一言に全神経を集中した、真剣な時間でした。
そして、春が来る少し前、栄弥さんがついに同意をしてくれました。嬉しかったですね。命を寺に預けてくれたのです。それは、御仏の光に照らされて生きることでした。栄弥さん本人にはまだ、分っていなかったと思いますが。
寺に行く日が決まり、横山家はにわかに慌ただしくなりました。家の大きな柱の一つだった栄弥さんが、家からいなくなるのです。
妹たちには特に優しかった二番目の兄でした。四人の妹さんたちは、わたくしの真似をして、代わる代わる栄弥さんの背中や手や足をさすったそうです。
「兄や、元気になっとくれ、兄やが元気になっとくれ」とおまじないを呟きながら。
「兄やがいなくなりゃ、さびしい」という子も、
「兄や、ずっと家にいてくれ」という子もいました。
栄弥さんも「別れるのは寂しかった」と、後に言っていましたよ。
「雪山の底の底に立つように、寂しかった」と。
(次回、連載375に続く。
写真は、今の家の4年前の玄関前。試しに遊んだ石敷が楽しかったです。今は草ぼーぼー。懐かしい家だもの、もっと写真を撮っておけば良かったわ)
(前回、青柳先生の見立ては「春がくれば栄弥は首をくくるかもしれない」ということで、安楽寺の智順和尚が「春になる前に、栄弥を安楽寺へ引き取ろう」と言ってくれました)
横山家の方たちも、青柳の方たちも、皆、智順和尚の策に賛成でした。
「死ぬよりかは、坊主になる方が、まだ、いい」と。
しかし、本人の栄弥さんだけは、そうは思えません。栄弥さんは、
「機械が出来ないなら、死んだ方がましだ」と思っているのです。
「俺が生まれたのは、この機械を作るためでねぇか。そのために、命かけてきたずら」と。
栄弥さんの説得には手こずりましたね。これはわたくしの役目と思って、わたくしもここ一番で頑張りました。説得は、力を入れ過ぎてもいけないし、引き過ぎてもいけない。一言一言に全神経を集中した、真剣な時間でした。
そして、春が来る少し前、栄弥さんがついに同意をしてくれました。嬉しかったですね。命を寺に預けてくれたのです。それは、御仏の光に照らされて生きることでした。栄弥さん本人にはまだ、分っていなかったと思いますが。
寺に行く日が決まり、横山家はにわかに慌ただしくなりました。家の大きな柱の一つだった栄弥さんが、家からいなくなるのです。
妹たちには特に優しかった二番目の兄でした。四人の妹さんたちは、わたくしの真似をして、代わる代わる栄弥さんの背中や手や足をさすったそうです。
「兄や、元気になっとくれ、兄やが元気になっとくれ」とおまじないを呟きながら。
「兄やがいなくなりゃ、さびしい」という子も、
「兄や、ずっと家にいてくれ」という子もいました。
栄弥さんも「別れるのは寂しかった」と、後に言っていましたよ。
「雪山の底の底に立つように、寂しかった」と。
(次回、連載375に続く。
写真は、今の家の4年前の玄関前。試しに遊んだ石敷が楽しかったです。今は草ぼーぼー。懐かしい家だもの、もっと写真を撮っておけば良かったわ)
