2014/11/26
健さんの番組を見た同じ日、今度は、聞きなれた讃美歌が流れてきてびっくり。 「ららら クラシック」という番組でした。
でも、その曲はシベリウスの「フィンランディア」という交響曲として演奏されていました。
なるほど、こういう素敵な曲の主題を拝借して、幾多の讃美歌が出来上がっているのかもしれません。和音が格別です。
日本では讃美歌298番、「やすかれ」という歌。
やすかれ 我が心よ、主イエスは共にいます。
痛みも苦しみをも 雄々しく忍び耐えよ。
主イエスの共にませば、耐ええぬ悩みはなし。
でも、その曲はシベリウスの「フィンランディア」という交響曲として演奏されていました。
なるほど、こういう素敵な曲の主題を拝借して、幾多の讃美歌が出来上がっているのかもしれません。和音が格別です。
日本では讃美歌298番、「やすかれ」という歌。
やすかれ 我が心よ、主イエスは共にいます。
痛みも苦しみをも 雄々しく忍び耐えよ。
主イエスの共にませば、耐ええぬ悩みはなし。
2014/11/24
亡くなった高倉健を追った最後の取材番組「プロフェッショナル」の再放送を見ました。今朝のこと。
彼は「役者は生き方だよね」というスタンスで、何がいい生き方か、を模索し、かつ実行していたようです。
「名誉のためではなく、金のためではなく、権力のためでもなく、、、、」
あらら、同じこと言っているわ、と土曜日の昼に見たEテレの番組「内村鑑三」の中身を思い出しました。
内村も「後世に残す最大遺物は、勇ましい高尚なる生涯」と言っていたからです。
真面目な生き方、生きる姿、なら、誰もが遺産として残せると。
健さんは続けます。
「身を捨ててでも悔いはない、という人間に出会ったかどうか、、、、。」
そういう基準で仕事を選んできたと。
これって、愛を一番に、ってことですよね。
彼は「役者は生き方だよね」というスタンスで、何がいい生き方か、を模索し、かつ実行していたようです。
「名誉のためではなく、金のためではなく、権力のためでもなく、、、、」
あらら、同じこと言っているわ、と土曜日の昼に見たEテレの番組「内村鑑三」の中身を思い出しました。
内村も「後世に残す最大遺物は、勇ましい高尚なる生涯」と言っていたからです。
真面目な生き方、生きる姿、なら、誰もが遺産として残せると。
健さんは続けます。
「身を捨ててでも悔いはない、という人間に出会ったかどうか、、、、。」
そういう基準で仕事を選んできたと。
これって、愛を一番に、ってことですよね。
2014/11/23
大災害のパニックや恐怖に遭遇したり、ウツになったりしたら、
愛も希望も信仰も消えていまいそうです。
でも、自分では消えてしまっても、
実は、いつまでも残ってそこにある、というのがミソなんでしょうね。
愛や希望や信仰を主体的にもてたら、温かい時間の中で暮らせますが、
失ったように思えるときでも、目をこらせば、
やっぱり残っている、ということみたいです。
何はなくとも、「愛されている、と感じる力」が決めてかな。
愛も希望も信仰も消えていまいそうです。
でも、自分では消えてしまっても、
実は、いつまでも残ってそこにある、というのがミソなんでしょうね。
愛や希望や信仰を主体的にもてたら、温かい時間の中で暮らせますが、
失ったように思えるときでも、目をこらせば、
やっぱり残っている、ということみたいです。
何はなくとも、「愛されている、と感じる力」が決めてかな。

2014/11/21
新約聖書に
「いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」というのがあるそうです。(第一コリント 13章13節)
私には、今、信仰も希望も愛もあって、幸せだな、と思いますが、私の場合、瞬く間に消えてしまそうな危うさがあります。
「いつまでも残るもの」って書いてあるのにね。
「いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」というのがあるそうです。(第一コリント 13章13節)
私には、今、信仰も希望も愛もあって、幸せだな、と思いますが、私の場合、瞬く間に消えてしまそうな危うさがあります。
「いつまでも残るもの」って書いてあるのにね。
2014/11/21
新約聖書に
「いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」というのがあるそうです。(第一コリント 13章13節)
私には、今、信仰も希望も愛もあって、幸せだな、と思いますが、私の場合、瞬く間に消えてしまそうな危うさがあります。
「いつまでも残るもの」って書いてあるのにね。
「いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」というのがあるそうです。(第一コリント 13章13節)
私には、今、信仰も希望も愛もあって、幸せだな、と思いますが、私の場合、瞬く間に消えてしまそうな危うさがあります。
「いつまでも残るもの」って書いてあるのにね。
2014/11/19
「基本的な教養として、お勧めです。面白いし」と言われたのは15,6年も前のこと。
娘はその時「たぶん、日本語訳も出ていると思う」と付け加えたのではなかったかしら。
だからずっと気にはなっていましたが、ずっと無視してきました。忙しかったし。
そしたら、その本(日本語訳)が信大の中央図書館入ってすぐの教員推薦図書のコーナーに置いてありました。発見したのは今年の10月の初め。でも、無視。慌ただしかったし。
11月、大学の脳ゼミで、同じ本が話題になり、先生は言いました。「是非、読んでみるように」。
それで、とうとう観念し、東京行きに携帯して読了できたのです。
本の名は「アルジャーノンに花束を」。1959年発表のダニエル・キイスという人のサイエンス・フィクションです。
初めは読みにくいのですが、だんだん面白くなってきます。今は常識のようになっている心理学上のあれこれを、こんな早い時期にしっかりと書き込んでいて驚きです。学問に助けられて、人間を深く見る視点を獲得している、ということなんでしょう。
主人公にもっと時間があれば、高い知能と交流と幸福は同居できたでしょうね。
最後の2行がなんとも、泣けます。
薦めてもらえる、ということの有難さを、しみじみ感じる秋の夜でした。
娘はその時「たぶん、日本語訳も出ていると思う」と付け加えたのではなかったかしら。
だからずっと気にはなっていましたが、ずっと無視してきました。忙しかったし。
そしたら、その本(日本語訳)が信大の中央図書館入ってすぐの教員推薦図書のコーナーに置いてありました。発見したのは今年の10月の初め。でも、無視。慌ただしかったし。
11月、大学の脳ゼミで、同じ本が話題になり、先生は言いました。「是非、読んでみるように」。
それで、とうとう観念し、東京行きに携帯して読了できたのです。
本の名は「アルジャーノンに花束を」。1959年発表のダニエル・キイスという人のサイエンス・フィクションです。
初めは読みにくいのですが、だんだん面白くなってきます。今は常識のようになっている心理学上のあれこれを、こんな早い時期にしっかりと書き込んでいて驚きです。学問に助けられて、人間を深く見る視点を獲得している、ということなんでしょう。
主人公にもっと時間があれば、高い知能と交流と幸福は同居できたでしょうね。
最後の2行がなんとも、泣けます。
薦めてもらえる、ということの有難さを、しみじみ感じる秋の夜でした。
2014/11/07
合気道の道場に通いはじめました。
昨日は、届いた真っ白い胴衣をバシッとつけて。
人生は思いがけないことの連続ですが、今あることは神の導きと思うことにして、やる気、満々です。
だから、信大の合気道部の方々は、天使そのもの。
ありがとね。
でも、あちこち痛いのです。
腹筋、背筋、腰は打ち身のような痛さ。
アイタタタ、、、。の日常生活は、来たる日の、リハーサルのようでもあります。
昨日は、届いた真っ白い胴衣をバシッとつけて。
人生は思いがけないことの連続ですが、今あることは神の導きと思うことにして、やる気、満々です。
だから、信大の合気道部の方々は、天使そのもの。
ありがとね。
でも、あちこち痛いのです。
腹筋、背筋、腰は打ち身のような痛さ。
アイタタタ、、、。の日常生活は、来たる日の、リハーサルのようでもあります。
2014/11/06
無しで済ませられるなら、無しでゆこうと、洗濯機や掃除機やこたつを(試しに)持たないで暮らしていますが、案外、いけています。
2日に渡った脳ゼミの宿題ミーティングでも、
「幸せとは」と考えて、スマートドラッグ(ドラえもんの、暗記パンのような)も、「使わない」という方向にまとまりました。
無しで行くのも悪くない、という気分で眠りについたその明け方、すなわち今朝、夢を見ました。
深くて暗い海の中を、発行体の浮輪に乗って、冬の蛍のように漂っていた私に、若い男性が救助するように接近してきて、腕を差し出し
「あなたには、愛が必要だ!」と叫んだのです。
そのニュアンスは、明らかに、
あなたはもう歳老いているのだから、と言う意味が込められていました。
私は一瞬にして振り向き、差しのべられた腕につかまろうと、手を伸ばしました。
夢はそこまで。
マンガの一場面のようでありました。
無し、で行けるものと、なくてはならないもの、が明確になった朝、
東の窓辺の山からは、燃えるような朝日が昇ってきました。
2日に渡った脳ゼミの宿題ミーティングでも、
「幸せとは」と考えて、スマートドラッグ(ドラえもんの、暗記パンのような)も、「使わない」という方向にまとまりました。
無しで行くのも悪くない、という気分で眠りについたその明け方、すなわち今朝、夢を見ました。
深くて暗い海の中を、発行体の浮輪に乗って、冬の蛍のように漂っていた私に、若い男性が救助するように接近してきて、腕を差し出し
「あなたには、愛が必要だ!」と叫んだのです。
そのニュアンスは、明らかに、
あなたはもう歳老いているのだから、と言う意味が込められていました。
私は一瞬にして振り向き、差しのべられた腕につかまろうと、手を伸ばしました。
夢はそこまで。
マンガの一場面のようでありました。
無し、で行けるものと、なくてはならないもの、が明確になった朝、
東の窓辺の山からは、燃えるような朝日が昇ってきました。
2014/11/05
ペロンと一枚ゆたかを引っ掛けていた頃にくらべれば、
着物の下に、6枚もの布を重ねる季節になりました。
いちいちは書かないけれど。
だから、コロンコロンですが、
まだ羽織やコートなしで外出できるのは、幸いです。
帯を挟んで上下縦に筋が通っているのが、着物の楽しみでもあるからね。
でも、それも、そろそろ限界かな。
今から、明日提出の宿題をしに、学食兼の学生会館へ行ってきます。
グループの皆さまと額を合わせて、ケンケンガクガク!
着物の下に、6枚もの布を重ねる季節になりました。
いちいちは書かないけれど。
だから、コロンコロンですが、
まだ羽織やコートなしで外出できるのは、幸いです。
帯を挟んで上下縦に筋が通っているのが、着物の楽しみでもあるからね。
でも、それも、そろそろ限界かな。
今から、明日提出の宿題をしに、学食兼の学生会館へ行ってきます。
グループの皆さまと額を合わせて、ケンケンガクガク!
2014/11/04
冷たい風が吹いていた11月2日の夜9時、
ドンドンドドーンと大きな音がしたので、
裁縫の手を止めて、外に飛び出しました。
隣人が玄関から顔を出し、夜空を見上げていたので、花火だと知り、
「何処でですか?」と問うと「信大で」とのこと。
雨がポツポツ落ちる空に、一連の花火の束が再び上がり、
それはそれはきれいでした。
それは信大銀嶺祭のフィナーレを飾る花火に違いありません。
しまった! という思いが駆け巡り、
まだ続く花束も動揺ぎみに見えました。
寒いからなんて思わずに、今日もお祭りに行っていれば、
学生たちの中で、一緒にこの花火を見上げられたのに。
がっかりして夜を過ごし、翌日になると、
頭の中に加藤登紀子の昔の歌が回り始めました。
「思い出のひとつひとつに火をつけて
冬の空いっぱいに花火をあげて
あなたに贈りたい
それが私のさよなら
それがあなたへのさよなら、、、、。」
調べてみたら「冬の蛍」という歌。
そういえば、前夜は東京で友人の通夜が、その日は葬儀が営まれていました。
そのことを思い、また、いくつものサヨナラを思い、
私にとって、この年の冬の花火は、
サヨナラの輝きだったのだ、と知りました。
ドンドンドドーンと大きな音がしたので、
裁縫の手を止めて、外に飛び出しました。
隣人が玄関から顔を出し、夜空を見上げていたので、花火だと知り、
「何処でですか?」と問うと「信大で」とのこと。
雨がポツポツ落ちる空に、一連の花火の束が再び上がり、
それはそれはきれいでした。
それは信大銀嶺祭のフィナーレを飾る花火に違いありません。
しまった! という思いが駆け巡り、
まだ続く花束も動揺ぎみに見えました。
寒いからなんて思わずに、今日もお祭りに行っていれば、
学生たちの中で、一緒にこの花火を見上げられたのに。
がっかりして夜を過ごし、翌日になると、
頭の中に加藤登紀子の昔の歌が回り始めました。
「思い出のひとつひとつに火をつけて
冬の空いっぱいに花火をあげて
あなたに贈りたい
それが私のさよなら
それがあなたへのさよなら、、、、。」
調べてみたら「冬の蛍」という歌。
そういえば、前夜は東京で友人の通夜が、その日は葬儀が営まれていました。
そのことを思い、また、いくつものサヨナラを思い、
私にとって、この年の冬の花火は、
サヨナラの輝きだったのだ、と知りました。