連載113。小説『山を仰ぐ』第3章の3-20 
 (前回は、智恵が「隠居をさせてもらったようだ」と言ったのは「時間を貰った」という意味だと分りました。その発端が水車だというのです。しかも、自作の)

 智恵さまは、続けます。
 「米つきの杵(きね)を、水車で動かしたくて、作ってみたのです。
 水車が完成した頃、住持のお話しがあって、石垣造りに忙しくなり、精米機の完成には至っていないのですが」
 まあ、なんと! 
 智恵さまは蕎麦も打つし、お料理も石垣も作るけれど、水車も作ったのでした。
 正彦さんが言います。
 「その、水車を、和尚さんは『要らないから引き取れ』と言われたのですね」
 「そうです。そういうことですね。でも、ありがたいことです」
 えっ! それって、どういうこと? 
 私が思ったことです。声にはなりませんでしたが。智恵さまが続けました。
 「ほんとは、あの水車は、ある機械を動かしたくて作ったのです。
 水車で精米もできますが、それは、隠れ蓑でした。智順和尚様は、そのことを見抜かれていたのでございましょう」
 正彦さんが、すかさず聞きます。問い詰めるみたいに。
 「水車で動かしたい機械って、なんですか」
 智恵さまのお顔がまた、赤らみました。
 「いえ、その、まだ、雲をつかむような話しなので、、、、」
 なんと!! 
 機械まで作ろうとしているのです。この方は。
  
 (次回、連載114に続く。
 写真は、ニューヨークの娘の家の前)

連載112。小説『山を仰ぐ』第3章の3-19
 (前回は、弧峰院での三人。正彦が「何故隠居なのか」と追及し、智恵が言います。「智順和尚は、私に時間という最も大切な物を下さったように思います」と)

 正彦さんの追及は続きます。腕まくりをし、藍染木綿のゆかたの袖を肩にかけました。
 「では、どうして、智恵さまは、まだ二十五歳なのに、若隠居になったのですか」
 良く、聞いてくれました。私も不思議です。
 智恵さまは、あたふたしています。
 「いや、それは、あくまで、私の感じたことですから、、、、。
 誰も、隠居とは言っていませんから、、、」
 正彦さんと私は顔を見合わせて、クスッと笑いました。どんどん楽しくなってきます。
 智恵さまが、麦茶を口に含み、法衣の襟を合わせました。私たちは黒蜜寒天をご馳走になります。たいへん美味しゅうございます。体制を立て直して、智恵さまが言いました。
 「どうしてか、は、判然とはしませんが、私が推測するに、水車が発端かもしれません」
 「さっきの小僧さんが言っていた水車ですか? 
 智順和尚さまに、引き取れと言われた水車のことですか?」
 問うたのは私です。ちょっと勇気をだして。
 正彦さんが、応援してくれます。
 「今朝、山口家の墓から降りて来る時に、一番下の三の池の入口に、真新し水車がありましたが、あのことでしょうか」
 合点(がてん)をしながら智恵さまが言いました。
 「そうです、そうです。私が作った水車です」
 まあ、なんと! 

 (次回113に続く。
 写真は、正月にお誕生祝いをした孫のパパ)

連載111。小説『山を仰ぐ』第3章の3-18 
 (前回は、安楽寺の小僧さんが、弧峰院の台所に食料を置いていき、和尚さんからの伝言を伝えました。「池の水車を、引き取るように」と)

 正彦さんは、座敷間の隅の机の前に座って、本をめくっていました。
 「智恵さま!
 机の上にあった、この緑の表紙の本が、昨日言われていた『臥雲禅師語録』ですね」
 「そうです、良く、覚えておいででしたね」
 智恵さまが、また少し、はにかんだ笑みをされました。
 三人が元の位置に座り直して、さあ、また、お楽しみのお話し会です。
 正彦さんが言いました。
 「智恵さまのところには、安楽寺から食料が届くのですか?」
 「そうなのですよ。十日に一度、必要な物や、こころづくしの品が届くのです。智順和尚様が持たせてくれるのです。私の田畑は、まだ開墾中で、何もとれないものですから」
 私は、つい、思ったままを口にしました。
 「なんか、大切にされているようですね。ご隠居さん扱いかも、、、」 
 智恵さまも正彦さんも大笑いになったので、なんだか嬉しかったです。正彦さんが追及します。
 「どうして、ご隠居さんの様に、大切にされることになったのですか?」
 智恵さまは、ますます、顔を赤らめて、どぎまぎしています。
 「いいえ、そんな、大切という風では、ないと思いますよ。当面、食べ物がないから、お恵み下さるので、、、。お恥ずかしいです。
 でもね、どうも、私に時間という、最も大切なものを下さったように感じているのです。とても融通の利く生活が、出来るようになりましたので。
 思いちがいかも知れませんが、、、、」
 そうでしたか、それでしたか。智恵さまが、去年より格段に楽しそうに見えるのは。

 (次回、連載112に続く)

連載110。小説『山を仰ぐ』第3章の3-17 
 (前回は、3人の弧峰院での語らい。智恵が「隠居をさせてもらっているようだ」と言うので、正彦と糸は???)

 勝手間の入口にあわただしい気配がして、子供の声が聞こえました。
 「智恵さー、いますかー」
 「はい、はい」と、智恵さまが立ち上がったので、私も勝手口へ行くと、小僧さんが二人、大きな荷物を背負って、土間の中へ入って来ました。
 「いつもの、お届けものです。米と味噌と野菜」
 小僧さんは、手分けをして、持ってきたものを、所定の場所に置きます。歳は八つか九つ、手慣れたものです。智恵さまが言いました。
 「やあ、ありがとう。ご苦労さまだいね。ちょっと、座っていきなさい。寒天がありますよ。黒蜜も」
 「ありがとうございます。智恵さまのお菓子はうんめえから、楽しみだいね」
 智恵さまが型から外した寒天に、私が黒蜜を掛けて、二人にご馳走しました。
 一心不乱に黒蜜寒天を食べ、ご馳走さまでしたと頭を下げ、一息つくと、大きい方の小僧さんが言いました。
 「智恵さ、智順和尚さまからのことづけだけど、三の池の水車を、引き取って欲しい、と言っておられました。安楽寺では、米は臼と杵(杵)で手でつくから、水車はいらない、って」
 「それは、それは、伝言ありがとう。近々引き取りに行きます、と伝えください」
 智恵さまはそう言いながら、冷えた麦茶をもう一杯づつ手渡します。
 麦茶を飲んで、二人は帰っていきました。
 「せっかくの所を、すみませんでした」
 智恵さまが、器(うつわ)を片付けながら言います。麦茶を継ぎ足した湯のみを持って、私たちは座敷間へ戻りました。

 (次回、連載111に続く。
 写真は、裁縫箱のある窓辺)

連載109。小説『山を仰ぐ』第3章の3-16 
 (前回は、弧峰院の入り口に、大山桜が。お堂の説明に、糸は、知恵が大工にもなりたかったのではないか、と思いました)
 
 正彦さんと私は、促されて座敷間に座りました。智恵さまは勝手間から、冷やしたお茶と寒天を運んでこられ、私たちに勧めて、一緒に座ります。さあ、これからが、楽しい時間です。
 「よく、お越しくださいました。この日を待っておりました」
 正彦さんも、かしこまってのご挨拶です。
 「智恵さまが、美しく生きておられるのを見て、心が洗われる思いです。お招きいただきありがとうございます」
 私も何か言いたかったのですが、思いつかないまま、正彦さんと一緒に、頭を下げてお辞儀をしました。智恵さまが言います。
 「ここは、三百五十年前に、安楽寺の二世の高翁玄松和尚さまが、隠居所として建てられた寺です。安楽寺で一番、年長で偉いお坊様でしたから、この建物は造りが立派です。
 荒れ果てていたから、掃除には手間がかかりましたが、きれいになれば、大変居心地が良い場所です。私はまだ若いのに、隠居をさせていただいたようなものです。破格の待遇ではないかと、感謝しているのです」
 智恵さまは愉快そうです。昨日の午後のお姿が思い出されます。
 「隠居だなんて! お勤めもあるし、檀家もお持ちだから、大変でしょう。一人なのですし」
 正彦さんは、心底素直に問うているのです。私も同じ気持ち。
 智恵さまの笑みが、こぼれそうでした。
 「智順和尚さまから、隠居せい、と言われた訳ではないので、私が勝手にそう思っているのですが、しかし、これは本当ですよ。たぶん、、、。檀家も四軒だけですから」
 まだ、分りません。ますますわからない、と言ったほうがいいです。

 (次回、連載110に続く。
 写真は、11年前。娘が買ってくれた赤いパソコンと。子供たちのお陰で、いろいろ新しい世界に踏み込むことができました)


連載108。小説『山を仰ぐ』第3章の3―15 

 流れに架かる板橋を踏んで、庵主手作りの堰を渡ると、弧峰院です。
 まず目にはいるのは、安楽寺から流れ落ちる清流の畔に立つ、堂々とした山桜の高木。
 ああ、これですね。今年の春、智恵さまの晋山式の折に、満開だったという桜は。この木は、この寺の建立(こんりゅう)時に植えられのたかもしれません。それ程に古く立派です。
 あの高い枝から降りて来る花吹雪は、さぞや綺麗でしょう。森の中の弧峰院に降る、春らんまんの桜花です。
 弧峰院の入口で、正彦さんが言いました。
 「智恵さま、このお寺はこじんまりとしていますが、木組みのがっしりした、立派な建物ですね」
 今日はすっかり案内人の智恵さまが答えます。
 「武田信玄が生まれる10年程前に建てられた寺ですから、三百五十年は経っているのですが」
 古い建築は、柱や梁(はり)が太いから、長持ちするのでしょう。智恵さまが続けます。
 「木組みが、しっかり噛みあっているので、まだまだ、丈夫です」
 本堂に入ると、中央に板間の仏間、その横に畳の座敷間、土間の上がりに勝手間、と広い縁側がありました。どの部屋も、光る程清められ、清々しいたたずまいです。
 ご本尊の薬師如来さまは、いちだんと磨きあげられて、木像なのに輝いています。正彦さんと私が、周囲を見回していたので、智恵さまが言いました。
 「五間と五間半四方の建物ですから、二十七坪半の堂になります」
 あら~~。質問をする前から、広さがすぐに出て来るなんて。
 この時、言葉の感じから、私は思いましたよ。
 智恵さまは、大工にもなりたかったのではないかしら、と。
 この方は、造ることがお好きなのではないかしら、と。

 (次回、連載109に続く。
 写真は、今朝の市民タイムストップ記事。ふるさと納税がたったの3か月で、前5年平均年額の11倍に達したと。「郵便局の見守りサービス」とか、「市民タイムスの定期購読」も返礼品にあるそうです)

市長記者会見の日。
 ①今日のコロナ新規感染者は50人、直近一週間で501人。これは前の週の3.3倍になります。
 第6波の687人のうち、72%が30 代以下の方。無症状3%、軽症96%です。
 コロナ病床使用率は、長野県全体で38%、松本市では26.4%。
 現在529人の治療・療養者のうち、自宅療養が44%、宿泊施設が27%です。自宅療養リーフレットをぜひ活用して下さい。
 自宅療養者には、10日分の食料を、保健所が、市の職員も応援してお届けしています。
 ②2回目から7ケ月を目途に、高齢者向け3回目ワクチンの接種券を送付しています。予約は1月31日の午前9時から。
 接種場所は、
医院・病院(2/7〜)、
アルピコ(2/15〜)、
合同庁舎(2/7,8,12,13,23,24)です。高齢者の80%は3月前半に終了予定です。
 記者の質問に答えて。
 ③現在全校休校が4校、一部休校が4校です。感染対策を強化して授業を継続するのが基本ですが、各校の状況に合わせて対応してもらいます。
 全校にオンラインの授業が出来る体制になっているので、個別の判断で在宅で学習する事もできます。
 クラブ活動は休止ですが、公式試合に出場の人には、最小限の活動を可能とします。
 ④施設も個別に対応をしてもらいます。県立美術館は開館。松本城も当面は開館。
 ⑤御嶽海は、大関への壁を越えました。もう一つ上があると言われていますが、精進を続け、朗報を届けて欲しい。相撲をする子供たちが増えれば嬉しいです。
 ⑥保健所の職員が多忙である事は間違いありませんが、3波、5波の総括に立ち、数週間前から、全庁で、災害対応に準ずる保健所対応をしています。自宅療養者への10日間の食料配布などは全庁職員の協力体制で取り組んでいます。


連載107。小説『山を仰ぐ』第3章の3-14
 (前回は、智恵が案内する弧峰院への道は、俊量さまの寺や知恵さまのご実家へと続いているようでした。では、キヨさんの家は?)

 寺山の中腹を横一文字に走る、杉に囲まれた林道を南へ進むと、左手の斜面を数段下って平地が開け、弧峰院がありました。無住でほったらかしだったお寺、と聞いていたので、もっと寂れているかと思ったら、がっしりとしたなかなかの建物です。
 「こちらへ、どうぞ」
 弧峰院へ降りる階段の入口に立って、手を差し伸べる智恵さまは、誠に嬉しそうです。正彦さんに、自分の寺を案内出来る日を、待っていたのでしょう。
 杉林の道から境内に下がる斜面には、高さ六尺(1、8㍍)の真新しい石垣があります。きれいな石組みなので、どこまで続いているのか、と覗き込んでいると、智恵さまが声を掛けてくれました。
 「石垣は、弧峰院の敷地の終わりまでですから、二十五間(45㍍)程の長さです。私が積んだのですよ。去年の盆に住持を告げられてから、暇を見つけて通い、やっと晋山式に間に合ったのです。石組は、誠に面白い仕事でした」
 そうでしょうねえ。石の組み合わせに夢中になった果てに、こんなにきれいな石垣が現れるなら、それはそれは、達成感があるでしょう。私もやってみたかったです。智恵さまが続けます。
 「弧峰院の南の敷地を開墾して、畑を、できれば田んぼを開きたいと思い、石垣に沿わせて、小さな堰(せぎ)も作ったのですよ。
 ほら、石垣の一番下の部分は堰の壁になっているでしょ。堰の底にも石を敷き、流れを作るために、寺側の低い土手壁も石組をしました。安楽寺から落ちてくる清流から、水を引いています」
 先ほどの庫裡で、長い麺棒を操(あやつ)り、たくみに蕎麦を打っていた智恵さまも生き生きしていましたが、自作の石垣と堰を語る智恵さまも、はつらつとしておられます。
 一人で黙々と、石垣作りに没頭していたのですね。この方は、働くことがお好きにちがいありません。

 (次回、連載108に続く。
 写真は、昨日の市民タイムス子ども版。市庁舎建設について、とても分かりやすくまとめています。)


連載106。小説『山を仰ぐ』第3章の3-13
 (前回は、安楽寺の庫裡から、末寺の弧峰院へ向かう道。近道をせず、遠回りでも正規の参道を案内する智恵は「正しい道を歩くことも、修行の一つですから」と言いました)

 寺山の中腹の安楽寺山門から、裾野に伸びる参道の終点が見えました。烏川の谷へ降りる道沿いに、大きな松と楼門(二階建て)の大門が望めます。その向こうは、扇状地と幾本もの川筋。一番遠くの一番大きい川が犀川です。犀川の対岸からそそり立つ東山の山並みが、北から南へと長く続いています。
 「この辺りは、遺跡や古墳が多いのですよ。古代から、人はこの土地を好んで暮らしてきました」
 智恵さまが言います。雄大な景色の中には、雄大な歴史が秘められているのです。
 安楽寺の敷地の外、山道の南側の斜面を削って作った平地に、庵(いおり)が幾つも建っています。智恵さまの案内がありました。 
 「ここには、宿坊が二十程建っています。遠方からの参拝者のためのもので、今日のお客様の中にも、ここにお泊りの方がおられました」
 そうですか。殿さまは山口家にお泊まりですが、普通の人はここに泊まるのですね。
 山道をしばらく下ると、南に曲がる道があります。
 「こちらです。分りやすいでしょう、安楽寺から下って最初の辻を、南ですから」
 南へ続く小道は、杉林の中の道。
 「ここを入って三町(三百メートル強)程で、弧峰院です。この山道をそのまま真直ぐ、半里も行けば山麓線に出ます。田多井や堀金もそう遠くはありませんよ。熊と蝮(マムシ)に注意ですが」
 それならば、上堀の俊量さまの弧峯院や、小田多井の智恵さまのご実家も、遠くないですね。では、キヨさんの家は何処なのでしょう。
 
 (連載107に続く。
 写真は、昨夜の松本城の氷の虎)

連載105。小説『山を仰ぐ』第3章の3-12 
 (前回は、正彦と糸も参加していた食事会の終わりに、智恵が「これから弧峰院へご案内します」と言いました)

 正彦さんと私は、午前中、山口家の墓から安楽寺の裏手の道を下り、勝手口から庫裡にはいりました。だから、知っているのです。
 庫裡の勝手口に続く裏手の山道は、弧峰院へ下る道でもあるので、勝手口から行けば近道です。私は早く弧峰院に行きたいのですし。
 しかし、智恵さまは、庫裡の正面玄関から外にでられました。遠回りになるのに、本堂の正面を中央まで歩み、ご本尊に一礼をしました。
 それから、きびすを返して本堂正面の参道を鐘楼門まで歩き、鐘楼門から急降下する正面階段を降り、石垣に沿って整えられた参道を歩みます。
 石垣沿いの道は水平で石畳が敷かれていました。三人の下駄の音が、カラコロ鳴ります。石垣が終わり、山を下る道にさしかかっても、石畳の道が続いていました。
 石垣の参道は、大きな萱葺(かやぶき)屋根の山門まで続き、そこでやっと、先ほど、正彦さんと私が墓から降りて来た山道に合流したのです。
 勇気を出して、私は智恵さまに聞きました。
 「どうして、近道をしないのですか?」
 智恵さまは、私を振りかえり、にっこりされます。私は緊張していましたが。
 「そうですね、糸さんは、大切なことを問うてくださいました」 
 あら、嬉しい。質問して良かったわ!
 「禅寺では、掃除の仕方や、食事の仕方と同じように、正しい道を歩くことも、修行のひとつです」
 あら、そうなんですか。ならば、歩くのも修行かしら。今、歩いておられる智恵さまのお姿が美しいのも、歩きながら修行をされているからでしょうか。
 
 (次回、連載106に続く。
 写真は昨夕発表の天気予報。軒並み-11℃以下で、今朝は冷え込みました)

< 2022年01>
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