5年前の投稿なので、20年前の私と末息子と小澤征爾の姿。無時間・無距離で。

[2017年1月3日の投稿記事]
 今も鮮やかな、元旦の夜のニューイヤーコンサートの映像が、15年も前のことだったとは、とても信じられません。
 京都住まいのあの正月は、二人暮らしの我家に、二人の受験生がいました(末息子と私)。
 ピリピリした空気が流れるか、と思いきや、そういうことは全くなく、いつも変わらず平穏な息子が、途切れる事なく流してくれるクラシックを聴きながら、それぞれが静かに、本の活字を追っていました。
 その冬のTV画面の記憶は、登場したばかりの浅田真央ちゃんのスケート姿で、二人の受験生は、一緒に画面を覗き込んで応援。そんな時間の一区切りに、あの小澤征爾指揮のニューイヤーコンサートも挿入されていました。
 春が来ると一人は京大生に、一人は社会福祉士になって、次の時代を生き始め、それぞれに、その時から今に続く「時間」があり「歴史」がありました。
 小澤征爾さんだって、2002年のウイーンから思い起こせば、彼の歴史をしっかりと歩んできたことでしょう。
 しかし、私の胸に鮮やかな、ウィーンフィルを指揮する小澤さんの映像と、15年後の今の私とは、時間が無いのです。むろん距離もありません。
 今年の元旦の夜の、この不思議な経験から、ミサの説教の中で聞いたある言葉が少し解かりました。
 『信仰による「時間」や「距離」のない「結ばれ方」がある』のだと。

< 2022年01>
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