「ゴールデン・ウイークに遠くへお出かけ」は、まだ後の楽しみにして、今は、「G.Wはしっかりお休み」を味わっています。
 働き盛りの40年間は「G.Wも普通に仕事」、だったので、ここ数年の「しっかり休み」は新鮮です。
 いつもながら、庭、衣類や書類や棚・引き出しや台所の整理、縫い物、料理、、、家の中の、尽きることのない泉のほとりに住んでいます。
 「どこかにあったはず」と探しているのは「国連児童憲章・全文」(?)、(あるいは日本の「児童憲章・全文」?)というものですが、まだ、見つかりません。
 それは、薄いけれど、大判の厚紙で作られた、いろどりの綺麗な、子供向けパンフレットで、かつて手にした時、その格調高い文章(児童憲章)に衝撃を受け、どこかに、大切にしまったはず、のもの。
 次に誰か、孫が遊びにきたら、一緒に読みたいな、と思っているのです。
 子供は大切にされなければならない、と子供自身が知ったら、いじめも無くなるでしょうね。
大人が知らなければならないのは、いうまでもなく。

 私の4人の実子は、男、女、男、男という順番です。
 20年前に鈴鹿に住んでいた頃、 
 長男は近くの農場で牛飼いを、
 長女は近くのケアハウスで午前中働き、夜宿直をし、午後は看護学校へ通い、日曜は通信制の高校へ行っていました。
 次男はすでに大工修行も初めていましたが、捨てきれなかったサッカー選手への夢をかなえるべく、期間限定でブラジルへ。
 三男の末っ子は小学生でした。
 5月は連休と、子供の日と、母の日、がある苦手な月。
 老人ホーム勤務の一人親は、早出や遅出や夜勤に追われ、連休がありません。
 学校が長い休みの時は、毎日、小学生をひとり家に置いての出勤や夜勤です。
 鯉のぼりも、五月人形も、プレゼントもない子供の日、
 忙しいお姉ちゃん(長女のこと)が、末の弟のために、ちらし寿司をつくりに来てくれたことがありました。
 手製のケーキと、折り紙で作った金のカブトを持って。
 親が機能不全だった分、上の子たちは、下の子のことを思ってくれていました。ありがとね。
 小学校に通っていた末っ子は、制服代わりの体操着が一組しかなく、毎日それを着ていきました。ジャージの上下です。
 夜洗い、朝までに乾かすのですが、生乾きの朝は、ガスの火にかざすことも。
 慌てていたある朝、体操着の襟(えり)の後ろがガスの炎に触れ、溶けて小さな塊になりました。
 たった1着の大切な体操着を、、、、。
 それでも、息子は、毎日それを着て学校に行き、ある日、私に言いました。
「朝礼で、毎朝、僕の後ろに立っている子が「おまえ、ジャージ一つしかないのか?、いつも襟の後ろにポチがあるぞ」と言ったんだ」。
 小学校では、調理実習や夏のキャンプの時に、なま米持参の事がありますが、ある日、息子が言いました。
「友達が「お前の米だけ、色が違うぞ。お前の家は外米を食べているのか?」と言ったよ。そうなの?」
 そうなのです。ともかく、なるべく買わない、買うなら一番安いモノ、で暮らしていましたから。
 子供の日が近いですが、子供の貧困、は、今は、どんな風なのでしょう。

 新任の神父さまに、初めてお会いした昨日のミサ、神父さまは説教のなかで、
「愛するとは、相手とほんとうのつながりを築いていくこと」と言われました。
 私は、是非是非愛して行きたい人ですが、ほんとうのつながり、がまだ???です。
 せめて、少しでも、ほんとうの自分になって、その私が築いてゆく何か、かな?
 専門的な知識は分厚い本の中にあって、もう、歯が立たないですが、もし、その著者がそこに立っていたとしたら、上手くゆけば、本のエッセンスを、聞き出すことができるかも知れません。
 本など書いていなくても、そこに人が立っていたら、うまくゆけば、その人のエッセンスを、知れるかも。
 そこにいなくて、今頃どこ行ってんだかぁ~~~、という間柄でも、上手くゆけば、本質的な交流はできるかも。
 でも、それが、どんな交流になるかは、出たとこ勝負、かなぁ~~
 聖霊の導きが必要ですね。
 神様、私に、ほんとうのつながり、を教えてください。

 「一枚の絵」あるいは「一幅(いっぷく)の絵」という言葉がありますが、現代は「一枚の写真」ですね。
 一枚の写真に見とれている、ということがままありますから。
 グラデーションの素敵な山脈、フォーカスされた綺麗な花々、美しい城、嬉しそうな笑顔、、、、。
 一枚の写真には、写されたものの魅力と、それを切り取り、他者に届けようとした、撮影者の思いの、両方が込められているので、二重の感動です。
 私は絵も写真もダメなので、一幅の部屋とか、一枚の夕食、とかを整える、あるいはそれらを材料にした「「一幅の空気」を作り出す人」になりたいと思いました。
 1か月早すぎ、で植えた、庭の38列のささやかな畝に、ほぼ、野菜の小さな芽が出そろい、良かった!
 もう、寒い日がありませんように。
 甲子園の入場式の整列ような、芽。元気に育ってね。
 今朝は雨上がりなので、今から、庭のタンポポを採ってきて、タンポポ酒を作ります。昨日はヨモギ酒をつくりました。

 実際には見たはずはない、と思うのに、鮮明に目に焼き付いている映像があります。
 工事現場の高い組み柱の上から、人が落下してゆく場面です。
 時は東京オリンピックの前、在籍していた中学校の授業中、ふと振り向いた教室の窓から、その光景が見えたのです。
 実際は、その時、本当に、東北からの出稼ぎの方が、私の中学校の体育館の建設中に、工事現場の高い場所から落下して、即死をされた、という事故があったということ。
 その記憶が(たぶん)勝手に映像になって、残っているのです。
 朝ドラの「ひよっこ」を見ておられますか?
 東京オリンピックの頃の、「奥茨城」という農村を舞台に、出稼ぎで行方不明になった父を思う、家族の物語りです。
 見えない父へ語りかける、主人公のモノローグがせつなく、幼い姉弟(農場の私の孫にそっくり!)の仕草が可愛く、音楽もなかなか。
 私も、夫が行方不明になった、という経験があるので、その時の家族の心情と行動に、痛い程の共感を覚えます。(違う点もあります。)
 私の場合は、あのように健気には振る舞えないで、いつも、メタメタに取り乱し、ただただ崩れた日々を送った、という思いですか。
 しかし、どこかで普通に戻って行ったはずですね。
 (父の不在を受容し、母の崩れを見守った、子供たちの負担は大きかったと思います。ごめんなさい。)
 実際には、ぼんやりと曖昧だった過程を、ドラマは、鮮明に、ポイントを凝縮して示してくれています。
 ドラマは、哀しみを抱く健気な日常、を描いていますが、そういうことも、私たちの、普通の日常の姿、かもしれません。

 「3人で100円ショップ」の帰り道、信大北にある、美鈴が丘高校校庭脇の公園に寄りました。
 校庭と公園の堺に、並んで立っている数本の桜は、満開の満開です。
 長く伸びた枝の下に、白いベンチがありました。
 3人で並んで座り、上を向けば、雲のような桜の隙間から、高い空が、青く光って見えます。
 東山の方向から風が吹き、花びらが舞降りて来ました。
 花は、ふわりと浮かび、キラキラ光り、空を泳ぐように舞っています。
 あっ! ほら!、そこ! こっちも! 空にも!
 やがて、ほんの少し強まった風に乗り、花びらは、はらはら、さらさらと、群れのように、流れて落ちてきました。
 山から雪が吹きおろすように、舞い降りて来ます。
青いそらの下の、ピンクの花吹雪。
さあ、今から散りますよ、見ていてね、とでも言うかのように。
一心に、注ぐように。

 昨日の午後から、農場の孫2人が来ています。
 1.5泊で、お帰りが、今夜12時なのは、父さん母さんの(二人仲良し)遠出のご帰還が、真夜中になるからです。
 お兄ちゃんが来ないのは、いつもながら「土日はサッカー」だから。
 昨日聞いたところによれば、兄ちゃんは、晴れて、あがたが丘高校の一年生で、
昨秋、県大会の優勝戦で負けたフォワードの惜辱を果たそうと、早速、サッカー部の練習に打ち込んでいるそうです。
 農場の極上の生産物と共にやってきて、ひとしきりの近況報告が済むと、二人は、絵を描いて壁に貼ってくれました。
 「ばぁちゃんの家を、美術館にしよう!」と言いながら。
 中学生になった女の子は、新入の吹奏楽部が嬉しくて「大きな楽器を吹いている可愛い女の子」の絵と「蝶ネクタイのうさぎさんが楽し気に指揮をしている」絵。
 小3になった末の男の子は、「空飛ぶ虹と虹色の小鳥」の絵と「星を宿した大樹」の絵で、その絵の題名は「楽しい木」。
 夕方は、お決まりの「3人でお買い物」です。
 彼らの生活圏には「お店」が無いので、ばぁの家に来た時は、徒歩3分のスーパーへ行くのが、最大の楽しみ。
 晩御飯を作り始めたばぁの側にきて、料理を始めた男の子は、冷蔵後からひき肉と卵を取り出し、「僕が、美味しいもの、作ってあげるね」と言いました。まぁ、嬉しい!
 そうね、私たち、いつも、こうして、二人ならんで、大奮闘して、農場の晩ご飯を作っていたわね。
 君が2歳から5歳の頃。
 踏み台をアチコチ移動させながら、流しの前で野菜を洗い、まな板の前で人参を切り、ガス台の前で鍋をかき回す君の間を縫って、ばぁは、毎日の10人分の晩御飯を作っていたのです。
 フライパンを上手の操り、塩コショウをシェフのような手つきで振りかけながら、彼は言いました。
 「お料理は、楽しいね」。
 まことに! ほんとに! お料理は楽しい。君と一緒の台所は、さらに!。
 さて、問題は今日の日曜日。
 朝10時からのミサは、新任の神父さまのお顔を初めて見る、初めてのミサで、重要でもあるし、楽しみでもありましたが、想定外のことが起きました。孫。
 「ねぇ、明日、一緒に、教会へ行かな~~い?」。
 5回に渡る交渉はついに失敗に終わり、最後は
「じゃ、おばあちゃん一人で行ってくれば~~」。
 えっーー。そんなん、やだーーー! 
 まだ会ったこともない神父さまより、5年を一緒に過ごしたお孫さまのほうが、吸引力がありまして、、、、。
 神さま、ごめんなさい。
 今朝は、出来たてのフランスパンと本物をバターを買うために、また「3人でお買い物」ということになりました。
 昼の過ごし方のお二人のリクエストは、「100円ショップ」です。 
 信大の構内を散歩しながら、芽吹きや花々を楽しみながら、川の流れや空の色に目を細めながら、鼻歌を歌いながら、今日は春の一日を過ごしましょう。
 ちなみに、昨日からの、孫たちそれぞれの鼻歌は、古いばぁには判別不明ですが、
私のは、ず~~~と、シューベルトの5重奏曲「ます」。
 で、今も私は「ます」のメロディーの中です。 [写真は5年後の2人です]

 良い未来を作るためには、アイデンティティーが確立している必要があり、アイデンティティーは記憶から作られるそうです。(昨夜のEテレ「「私」は何者なのか」)。
 だから、記憶が失われると、未来も失われると。
 アイデンティティーとは、自己同一性のことで、時間や場所が変化しても、自分を保っていられること、自分は、他のひとではない自分である、と認識できること。
 分裂や混乱を避けるため、また、正しい判断をするために必要なものです。
 「IDカード」は「アイデンティティー・カード」のことで、識別札。
 「企業のアイデンティティー」と言う場合は、「企業理念」と訳すそうです。
 岐路に立った時、夢中でアルバムづくりをした経験があります。
 記憶を呼びおこすためだったのか、と思いますが、同時に必死に、子供たちのために、と思って作っていました。
 未来への思いが、過去へ行かせるのです。
 博物館や資料館に保存されている過去の記憶は、未来のために、なくてはならないものですね。
 アイデンティティーは、地方、民俗、国、の単位でも求められるものですから。
 大きな手術が終わり、やっと歩けるようになった時、病院の廊下の端の窓から、満開の桜が見えました。
 点滴の袋をぶら下げたまま、その窓に通った経験があります。
 生還の思いは、アイデンティティーと深く関わり、その時、桜が目に必要だったのです。
 今満開の桜は、過去の記憶を浮かべ、アイデンティティーの象徴のように咲いています。
 桜は、たしかに人格を感じさせますね。
桜のようなその人は、未来を照らして咲いているのでしょう。[photo:2]

 良い未来を作るためには、アイデンティティーが確立している必要があり、アイデンティティーは記憶から作られるそうです。(昨夜のEテレ「「私」は何者なのか」)。
 だから、記憶が失われると、未来も失われると。
 アイデンティティーとは、自己同一性のことで、時間や場所が変化しても、自分を保っていられること、自分は、他のひとではない自分である、と認識できること。
 分裂や混乱を避けるため、また、正しい判断をするために必要なものです。
 「IDカード」は「アイデンティティー・カード」のことで、識別札。
 「企業のアイデンティティー」と言う場合は、「企業理念」と訳すそうです。
 岐路に立った時、夢中でアルバムづくりをした経験があります。
 記憶を呼びおこすためだったのか、と思いますが、同時に必死に、子供たちのために、と思って作っていました。
 未来への思いが、過去へ行かせるのです。
 博物館や資料館に保存されている過去の記憶は、未来のために、なくてはならないものですね。
 アイデンティティーは、地方、民俗、国、の単位でも求められるものですから。
 大きな手術が終わり、やっと歩けるようになった時、病院の廊下の端の窓から、満開の桜が見えました。
 点滴の袋をぶら下げたまま、その窓に通った経験があります。
 生還の思いは、アイデンティティーと深く関わり、その時、桜が目に必要だったのです。
 今満開の桜は、過去の記憶を浮かべ、アイデンティティーの象徴のように咲いています。
 桜は、たしかに人格を感じさせますね。
桜のようなその人は、未来を照らして咲いているのでしょう。

 遠藤周作の「沈黙」は、消息の途絶えた師を探すために、ポルトガルから、禁制下の日本にやってきた神父の物語で、全編に流れているのは、師を慕う思いです。
 中世の、遥かな国の、古い都市で、彼はどれ程の愛を受けたのか、とうらやましくなる程の愛があり、彼の思いは最後まで裏切られることなく、最大の転換である「転向」でさえ、師の導きの中で、師が共にいて、行われたのでした。
 師がいる、という事は、まことにありがたいことです。
 神父さま方は、妻や子を持たないので、その愛を、師弟の愛に凝縮させていて、傍目(はため)から見ても、それはうらやましい程の、素敵な感じです。
 翻(ひるがえ)って、神父ではない我が身を顧みると、神父さまたち程ではないにしても、やはり、ありますね。
「師弟の愛」と呼べるものが。
 クリスチャンが師と仰ぐ、イエスさま程ではないにしても、「先生」と呼ぶ時には、慕う気持ちが溢れるれているし、逆に、愛のある所には、師と仰ぐ気持ちがくっついています。
 妻や夫や子供への愛の中にも、しっかり師弟愛はありますね。
 私、子供を愛しているつもりですが、彼らを思う気持ちは、師、という感じ。導いてもらっています。

< 2017年04>
S M T W T F S
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