2018/04/30
ジャ~ン! 西本智実指揮のフルオーケストラで、チャイコフスキーを3曲聞いてきました。市民芸術館の大ホール。
交響曲第5番と、ピアノ協奏曲第一番と、「ロミオとジュリエット」です。
クラシックの生演奏をS席で、ってどんな風なのか興味津々でしたが、音は馥郁(ふくいく)と香り、深々と千層のも厚みがあって柔らかく、ピアノもすごかったし、、。
疲れ(?)が、ざざざざざーと音を立て引いていくようで、温泉に浸かるより100倍もスッキリして、生まれ替ったみたい。
テレビの時は、オーケストラの映像がきつく感じ、いつも音だけ聞いているのですが、今日の舞台の光景は、柔らかな一つの発光体のような塊りで、動きは風のよう。
なんといっても、西本智実さんの、切れのある指揮姿が素敵でした。チケットを下さった方に感謝です。
交響曲第5番と、ピアノ協奏曲第一番と、「ロミオとジュリエット」です。
クラシックの生演奏をS席で、ってどんな風なのか興味津々でしたが、音は馥郁(ふくいく)と香り、深々と千層のも厚みがあって柔らかく、ピアノもすごかったし、、。
疲れ(?)が、ざざざざざーと音を立て引いていくようで、温泉に浸かるより100倍もスッキリして、生まれ替ったみたい。
テレビの時は、オーケストラの映像がきつく感じ、いつも音だけ聞いているのですが、今日の舞台の光景は、柔らかな一つの発光体のような塊りで、動きは風のよう。
なんといっても、西本智実さんの、切れのある指揮姿が素敵でした。チケットを下さった方に感謝です。
2018/04/29
ミサでは毎回、聖書が3箇所読まれますが、その第二朗読を、今日は私がさせてもらいました。(使徒ヨハネの手紙3・18-24)
神の掟は「互いに愛し合う」ことなのだから、行いを持って誠実に愛し合おう、というところ。このような人は、神の内に留まり、神もその人の内にあり、それは霊によって分るのだそうです。
次に神父さまが読まれたのは、ヨハネによる福音15・1-8で、有名なブドウの木のところ。
ブドウの枝は、木に繋がっていなければ実を結ないように、あなたも私に繋がっていなさい、とイエスは言われました。
繋がっている、というのは、思いを受けて歩むことだと。
実を結ぶとは、相手の幸せのためには自分の命をも差し出して、愛による共同体や社会を作ることだと。
午後は、新緑のキッセイ文化会館大ホールで、バレエ「シンデレラ」を見ました。
お友達のお嬢様が出演するので、ご招待を受けたのです。ちゃんとしたバレエの公演を見るのは初めて。
百瀬桃子さんが率いるバレエ団の発表会なのですが、皆さま、素晴らしく上手で、我が注目の小さなあかりちゃんも、美しく溌剌と踊っていました。素敵でしたよ。
神の掟は「互いに愛し合う」ことなのだから、行いを持って誠実に愛し合おう、というところ。このような人は、神の内に留まり、神もその人の内にあり、それは霊によって分るのだそうです。
次に神父さまが読まれたのは、ヨハネによる福音15・1-8で、有名なブドウの木のところ。
ブドウの枝は、木に繋がっていなければ実を結ないように、あなたも私に繋がっていなさい、とイエスは言われました。
繋がっている、というのは、思いを受けて歩むことだと。
実を結ぶとは、相手の幸せのためには自分の命をも差し出して、愛による共同体や社会を作ることだと。
午後は、新緑のキッセイ文化会館大ホールで、バレエ「シンデレラ」を見ました。
お友達のお嬢様が出演するので、ご招待を受けたのです。ちゃんとしたバレエの公演を見るのは初めて。
百瀬桃子さんが率いるバレエ団の発表会なのですが、皆さま、素晴らしく上手で、我が注目の小さなあかりちゃんも、美しく溌剌と踊っていました。素敵でしたよ。

2018/04/28
良い天気の連休初日。
「松本・工芸の五月」も始まったし、もしかしたら信毎新聞の松本支社のオープニングがあるかもしれない、と思いつつ、家にいました。
土・日は休み、っていう気分を味わいたかったし、こんな良い天気なのに、樺太の東には974hの低気圧が、昨日から居座っています。
長い間、連休とは無縁の仕事をしていた後、ここ数年突然、毎日が連休になったので、ゴールデンウイークへのトキメキを知らないままの人生です。
GWのへの憧れも、味わってみたいかなぁ~。
「松本・工芸の五月」も始まったし、もしかしたら信毎新聞の松本支社のオープニングがあるかもしれない、と思いつつ、家にいました。
土・日は休み、っていう気分を味わいたかったし、こんな良い天気なのに、樺太の東には974hの低気圧が、昨日から居座っています。
長い間、連休とは無縁の仕事をしていた後、ここ数年突然、毎日が連休になったので、ゴールデンウイークへのトキメキを知らないままの人生です。
GWのへの憧れも、味わってみたいかなぁ~。
2018/04/27
街中から女鳥羽川を遡り、深夜、無事帰宅しました。
昨日の大雨のせいか、川幅はいつになく広く、水音は高く、真夜中の街の灯を受けて、水面が美しく怪しく流れていました。
ジセダイトーク、と二次会。誠にズシリとした時間。
おやすみなさい。
昨日の大雨のせいか、川幅はいつになく広く、水音は高く、真夜中の街の灯を受けて、水面が美しく怪しく流れていました。
ジセダイトーク、と二次会。誠にズシリとした時間。
おやすみなさい。
2018/04/27
街中から女鳥羽川を遡り、無事帰宅しました。深夜ではありますが。
昨日の大雨のせいか、川幅はいつになく広く、水音は高く、真夜中の街の灯を受けて、水面が美しく怪しく流れていました。
ジセダイトーク、と二次会。誠にズシリとした時間。
おやすみなさい。
昨日の大雨のせいか、川幅はいつになく広く、水音は高く、真夜中の街の灯を受けて、水面が美しく怪しく流れていました。
ジセダイトーク、と二次会。誠にズシリとした時間。
おやすみなさい。
2018/04/26
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I made this for Mia.
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2018/04/26
信大・平木先生の授業の第3回目。今日までは試聴期間ですが、内容は、すでに「哲学」の核心です。
次元が違うので認識しづらいですが、
Aは、この世界に存在するもの(石とか犬とか人間)で、生じては滅してゆくもの。
Bは、すべてのものがそこから生じ、そこへ滅して行く所です。
BはAを包み、越えています。
Aは、特定の形・姿をもち、他から区別されます。
Bは、特定の形・姿をもたない無限定なもので、言葉では言い表せず、知ることもできない、存在そのもので、「無」とか、「空」(くう)とか言われ、また、人ではないにもかかわらず、超越者・絶対者、あるいは、神とか仏とかと言われます。
大切なことは、AとBとがあることを知り、Bとつがなっている私(自分・己)を知ることで、これが真の自己を知ることだそうです。
それは、自他が一つの世界で、良寛が残した漢詩の
「そんなところに、どうして是だの非だのがあろう。
だから自分は、どうこう言うことなく、なるがままに任せて、ゆったりとした気持ちで、この束の間の人生を生きよう」という境地。
最後に与謝野晶子の歌
「いずくかへ帰る日近きここちして、この世のもののなつかしきかな」の解説で、平木先生は、
与謝野晶子は、情熱的に生きた人ですが、「愛に生きた」ということは、自分の命を捨てつつ愛した、ということ。
彼女は日々、死を学んでいたから、ほんとの死の前に、こういう歌が読めた、と言われました。
次元が違うので認識しづらいですが、
Aは、この世界に存在するもの(石とか犬とか人間)で、生じては滅してゆくもの。
Bは、すべてのものがそこから生じ、そこへ滅して行く所です。
BはAを包み、越えています。
Aは、特定の形・姿をもち、他から区別されます。
Bは、特定の形・姿をもたない無限定なもので、言葉では言い表せず、知ることもできない、存在そのもので、「無」とか、「空」(くう)とか言われ、また、人ではないにもかかわらず、超越者・絶対者、あるいは、神とか仏とかと言われます。
大切なことは、AとBとがあることを知り、Bとつがなっている私(自分・己)を知ることで、これが真の自己を知ることだそうです。
それは、自他が一つの世界で、良寛が残した漢詩の
「そんなところに、どうして是だの非だのがあろう。
だから自分は、どうこう言うことなく、なるがままに任せて、ゆったりとした気持ちで、この束の間の人生を生きよう」という境地。
最後に与謝野晶子の歌
「いずくかへ帰る日近きここちして、この世のもののなつかしきかな」の解説で、平木先生は、
与謝野晶子は、情熱的に生きた人ですが、「愛に生きた」ということは、自分の命を捨てつつ愛した、ということ。
彼女は日々、死を学んでいたから、ほんとの死の前に、こういう歌が読めた、と言われました。

2018/04/20
雨が来る前に、と思い、午前中は菜園作りをし、トマトとレタスとビーマンの苗を植えました。
チンゲン菜と小松菜を収穫したあとの小さな空間に、菊菜とパクチ-の種を播き、花壇の手入れも少し。
午後は、地区ひろばで、社協拡大会議。総会の準備です。
夕方、北イタリアのお嬢さんが3度目の来訪。今夜11時のバスで松本を離れ、明日、イタリアへ向かうのだとか。
1年に渡る日本滞在の最後の夜を、私と過ごしてくれたのです。カティア、元気でね。神が彼女の人生を強く守られますように。
チンゲン菜と小松菜を収穫したあとの小さな空間に、菊菜とパクチ-の種を播き、花壇の手入れも少し。
午後は、地区ひろばで、社協拡大会議。総会の準備です。
夕方、北イタリアのお嬢さんが3度目の来訪。今夜11時のバスで松本を離れ、明日、イタリアへ向かうのだとか。
1年に渡る日本滞在の最後の夜を、私と過ごしてくれたのです。カティア、元気でね。神が彼女の人生を強く守られますように。
2018/04/20
大学は新学期です。
信州大学はキャンパスが、松本、長野、上田、伊那と散らばっていますが、1年生は全員が松本キャンパスで学びます。
その1年生が多い、一般教養棟(共通棟)の大きな部屋で、平木幸二郎先生の哲学の授業が、今日から始まりました。「生と死の哲学~哲学から宗教へ」。
大学の1年間は、前期・後期の2期制で、1講座はほぼ半年の講義。平木先生の講座を受けるのは、これで3回目です。
先生の講義が、この期で最終になると聞き及んでか、今回は、市民の皆さまの参加が断然多かったです。
学生たちも、今期は活発で、授業の終了後に、先生の周りに集まり、質問をする学生が10名くらいいました。私も。
今日はこれから半年の導入部で、ソクラテスの言葉、
「ただ生きるのではなく、善く生きよ」と
「汝自身を知れ」の背景や意味を、講義していただきました。
信州大学はキャンパスが、松本、長野、上田、伊那と散らばっていますが、1年生は全員が松本キャンパスで学びます。
その1年生が多い、一般教養棟(共通棟)の大きな部屋で、平木幸二郎先生の哲学の授業が、今日から始まりました。「生と死の哲学~哲学から宗教へ」。
大学の1年間は、前期・後期の2期制で、1講座はほぼ半年の講義。平木先生の講座を受けるのは、これで3回目です。
先生の講義が、この期で最終になると聞き及んでか、今回は、市民の皆さまの参加が断然多かったです。
学生たちも、今期は活発で、授業の終了後に、先生の周りに集まり、質問をする学生が10名くらいいました。私も。
今日はこれから半年の導入部で、ソクラテスの言葉、
「ただ生きるのではなく、善く生きよ」と
「汝自身を知れ」の背景や意味を、講義していただきました。
2018/04/18
