「月曜病」と、「春先ダル~病」と、「雨近し落ち込み病」とが重なる日なので、前もって対策を練り、「夕方寂し病」が襲ってきそうなここまで(現在夕方5時)、順調です。
 その対策とは、10年分のメモ一覧の作成に没頭したことです。
 (夜は眠くて)日記が書けない人なので、子がいつ結婚したとか、孫がいつ生まれたとかを記す、重要事項ファイルがあります。
 ここ10年その作成をさぼっていたので、10年分の手帳とカレンダーメモが、押し入れの奥で眠っていました。
 それを、整理、選択、記入したのです。
 大学ノートの1ページに2年分を書くので、時系列の日付入りメモで、1年分を15行ほどにまとめます。
 しかし、しかし、こういう作業は、アルバムの整理みたいで、過去の深みに引きずられる妖しさがあり、きつい作業ですね。
子供たちの様子が出てくると、もう、切なくて、切なくて。
 最近、昔の手帳がひょっこり出て来た、一番苦しかった頃の1年は(そこだけ、記入もれでした)、手帳を見ないで、簡単な記憶だけで済ませることに。
 ま、それでも、片付いたのです。
 これで、私の過去はさっぱり片付いて、エンディングノートの大まかも出来上がりました。
 なんだか、めでたい、なぁ。

 愛を失っても、多くの人は死なないで、生きています。私もそうです。
 喪失の苦しみから立ち直れないまま、何とか生きている人。
 あるいは、喪失の苦しみを紛らわすべく、他に打ち込むことを見出し、懸命に生きる人。
 けれど、ある愛の対象を失っても、愛はまだそこにある、ということもあるでしょうね。
 愛はそこらへんにあるのに、気がついていないだけ、かも。
 ある一枚の写真があり、それはただの人の顔のようでもあり、しかし、その瞳の中に、強い愛を見出すこともできる、というようなこと。
 あるいは、行き会う人が、後ろを向き、ただ、佇んでいただけ、だったとしても、そこに、強い愛を感じることがある、というようなこと。
 私は「人」を通して愛を感じることが多いですが、
 「自然」や「物」によって感じる人もいるようですね。
それは、いったいどんな世界なのでしょう? 興味津々です。

 ある朝、犬の散歩中のご近所さんと行き合い、ちょっとした立ち話。
「寒いですね。でも、ワンちゃん、元気でお散歩、えらい!」
「いえ、いえ、この子、暮れに死にかけたんですよ。身体は硬直し、目はひっくり返って、白目むいて、、、。
 もう老いているから、臨終と思い、子供たちに連絡して家に戻ってもらい、この子(犬のこと)を囲んで、一緒に過ごしました。
 この子を一番愛していた息子が、一晩中、ずっとさすり続けていたら、朝をむかえる頃、この子は生き返ったのです。」
 凄い話で、ぐらぐらしました。
 ほんとうに、そういうことが、あったのです。
 その反対の場合もあります。
 生別、死別を問わず、愛を失い、体調を崩し、病気を発症し、あっという間に亡くなった人たちを知っています。
 ほんとうは、愛なんて、そんなに簡単には無くならないのに、
 しかし、撫でてもらえる優しさが、生きる力を与え、
 無関心や冷たい言葉が、生きる力を消耗させるのを、私は知っています。
 ただ、人はいろいろですから、なにをもって愛とするか、もいろいろで、私には想像がつかないことが多いです。

 ある会のお仲間のご主人から、お電話をいただいたのは、昨秋のことです。
「妻が突然倒れ、半身が麻痺し、言葉を全く失いました。しばらく病院の集中治療室におります」との声は、落胆と憔悴を感じさせ、痛々しいほどでした。
 4か月が経ち「だいぶ回復して家に戻っている」とお聞きしたので、会の者3人で、お見舞いに行ってきました。
 初めてお尋ねするお宅の前で、ご夫婦で迎えて下さった姿を見た時は、びっくりでした。
 わっ、彼女、もう、立って、笑って、外に出て、歩いている!!
 その時の安堵、湧き上がってくる嬉しさ、ああよかったという喜びは、最初に一目見た時から、ず~と持続しました。
 ご主人が、客の2台の車を丁寧に誘導下さった折も、
 中に入ってご挨拶をした折も、
 回復途上の奥様が、たどたどし気に煎れて下さったお茶、に感激した時も、
 ご主人が、奥様の経過をお話し下さっていた間も、ずっと。
 ご主人は長年会社を支え、忙しく仕事に打ち込んでいましたが、意を決し、ついに引退して、2か月目、
「家の2階で、二人で写真の整理をしていたら、目の前で、突然妻が倒れた」そうです。
 倒れたまさにその時、ご主人がそこにいらしたことは、奇跡的なことでした。思わずつぶやきましたよ。神様ありがとう、、、。
 ご主人が適切かつ最善の対応をし、お二人は力を合わせて回復への道を歩いてこられました。
 身体機能はほぼ回復、言語もあと一歩のところまでという、奇跡。愛の奇跡です。
 夫の語る、妻の介護や見守りや初めての家事の苦心談。
 妻が見せる、夫への全幅の信頼。♡、♡、!!。
 おいとまの時、少し西に傾いた午後の日差しが、玄関前にあふれるように降り注ぎ、
 その光の中に、笑顔のお二人が、並んで立っておりました。
 妻が西の空を指さして、私たちの視線を促し、
 夫が「きれいでしょ、ここからは北アルプスが一望です」と言い、
 真冬の青の空に下、息をのむ程の雪の連山を5人で眺めました。
 嬉しさとまぶしさ。ご夫妻の晩年に幸あれ。

これ、おかしーわねー。


 小2の夏か秋に、一人の男の子が「小説」を書きました。
 それは、昨年の暮れ、孫たちにことづけられた、てるちゃん(長男の妻)からのプレゼントに中に入っていました。
(そのサンタの赤い袋に入っていたのは、「小説」の他に、
 底が雑巾になっている温かスリッパ、カスカラティー、タイシルクのスカーフ、布製リュック、カレンダー、小2男子の「押し花作品」)
 この小2男子は、ひょうきんなやんちゃさんですが、独創性がバツグンです。(エヘン、生まれてから5歳まで、多くの時間、ばあちゃんの側にいたからねぇ~~~)
 原稿用紙5枚の「小説」は、綴じられ方が猛烈ユニークです。
普通なら、原稿用紙は中央を山にして外表に折り、折重なった端を重ね、その部分を綴じてゆくのですが、彼の場合は、違います。
原稿用紙は中央を谷にして内表に折られ、裏の白紙が出ている5枚の原稿用紙を重ねて、谷側を綴じているのです。
 2つの裏白面を、セロテープでくっつけて。
こんな綴じ方、見た事もありません。
 まだ、原稿用紙の綴じ方を知らず、自分で懸命に考え、工夫して、5枚をくっつけ、本の風情を出したのでしょう。
 でも、とても合理的です。5枚の原稿用紙は、書いたままの1枚が、見開きで見る事ができます。
 表紙も、裏表紙も、原稿用紙の裏の白紙が出ているので、題や作者の名前を、普通の本のように、書くことができます。
 裏が書き出しのページになっている表紙は特に、もう、ボロボロです。
きっと、沢山の人に「ねぇ、この小説、読んでみて、、、、」
と言ったのでしょう。
 ほんとは超シャイなヤツなので、たぶん、とても恥ずかしそうに。
 そして、最後におばあちゃんのところに、プレゼントされたのでした!
 それは、小2の頃の宮沢賢治が書いたか、と思わせるような、透明なお話しです。
「あるところに、小さな少年がいました。
 その少年は、山へ行って、クマに食べられました。
 何日も帰ってこないので、お母さんとお父さんが、山へ探しに行きました。
 でも、いないので、しかたなく家に帰ろうとしたとき、空から神さまがおりてきました。そして
「けんとくんは、クマにたべられてしまったよ」と教えてくれました。
 そして、お母さんとお父さんは、家のにわに、おはかをたてました。
 そのタマシ―が空へ行くと思っていたら、家の中に入りました。
 そうして、自分のへや、自分のちらかしたものをかたづけて、空にかえりました。
 朝になると、また、タマシーが家にきました。
 一日中、学校や、公園や、川や、森や、林に行ってあそんだり、
 川で魚をとり、森では虫とりで遊んで、ようやく、暗くなるころに空にかえって行きました。
 それが、毎日続きました。、、、、
(ここで、一枚目の原稿用紙が終わります。あと4枚は、またの機会のお楽しみ!)」。


 こんな感じ、学齢以後、初めてかもしれない。
 いままでだって、「多忙」というわけではなかったし、今だって、やることがない、わけではないけれど。
 ともかくも、昨日までは、やり終えるべきことを懸命にやり終えていたのです。
 そして、それが、ほぼ終わりました。
 この感じ、ぽっかり空いた感じ、急ぎの用事は全て終わった、という、この何もない感じ。この区切りの感じ。
 コタツで背を丸め、友人から借りていた本を読みはじめました。
図書館で借りた本を読むのは、急ぎの用事の部類ですが、
「返却はいつでもいいよ」と言われていた本を読み出したのは、今日突入の、別世界の出来事です。
 別に本でなくていいのです。
 新雪を踏むような道。雪中に花を愛でるような道。
 
突如降ってきた、今までと違う時間です。

日曜日朝9時、Eテレで「日曜美術館」が始まる頃は、たいてい、ミサへ行くために、和服を着ている最中です。
9時10分には着装完了、15分頃に家を出ます。
ところが今日は、15分を過ぎても、テレビの画面にくぎ付けで、リモコンをTVに向けたまま、OFFのスイッチに指を掛けたまま、
「さあ、押して! 消して! 出かけなければ」との思いと、
「もっと見たい!」との思いが、せめぎ合っていたのです。
番組は、私にとっては初耳の画家「戸嶋靖昌」の絵の紹介と解説で、その絵は、不思議な魅力がありました。
人物の目が深く、魂の奥底まで到達しているようで、その眼を見ていると、
「私は、あなたの魂の奥を知っている。その魂を深く愛している」と叫びたくなるような、感動があるのです。
なんという絵であろう。もっと、見ていたい。
(午後帰宅して、ネットで「戸嶋靖昌」を検索し、ほんの一部ですが、その絵を安易に見てみたら、TVの画面の感動はありませんでした。だから、ネットで検索しないでね)。
激しい葛藤は十数分続き、ついに、9時32分、私はリモコンのスイッチを押して、家を出ました。
家から教会まで、28分で到着するとは思えなかったけれど、望みも捨てず、できるだけ走って善処し、
ついに、教会の玄関の階段に1歩目を掛けた時、ミサの始まりを告げる鐘が、高らかに、広やかに、鳴り響き始めました。
なんか、ドラマの中の1シーンみたい、と思いながら、玄関を開けると、
玄関ホールには神父さまの後ろ姿があり、その一団が会堂に進み入る最後にくっついて、私も入場できたのでした。
今日のミサは、とりわけ、魂に届くように思われました。
再放送があることが分かったので、「日曜美術館・戸嶋靖昌」の続きも見なくては。
1月29日(日曜)午後8時・Eテレです。

朝目がさめたら、5・6センチの積雪です。
6時半すぎ、温泉に行こうと、リュックを背負い、山靴を履いて、玄関を出ました。
玄関から道路までは8メートルくらい。足跡のない真新しい雪をサクサク踏んで、いざ、温泉へ。
しかし、しかし、家の前の南北の道路へでると、上方で、4つの人影が、雪かきをしていました。
あら、あらら、そうだわね。このまま、すたすた、いなくなる訳にはいかない、、、。
雪スコップを取りに戻り、私は南北の道路の中ほど、すなわち我が家の前道の、雪かきを始めました。
今日の雪は軽く、積雪も薄いので、スイスイ、です。
隣家の老婦人も、門の外にお出ましになり、二人で並んでセッセと雪かきです。
日ごろはなかなか行き会わないので、とても貴重で、楽しい時間でした。
北・上の人影にも、南・下の人影にも、朝と雪の挨拶を交わしながら、ちょっとハイな時間。
何故なら、ああ、なんと恥ずかしいことに、私、
「ご近所と一緒に、朝の雪かき」は、初めてなのです。
「雪が降れば、雪かきをする」ということが、頭にありませんでした。
そういえば、「雪の朝は、外を見るのが怖い」とUPされていたFB友達がおられましたっけ。
私は、今日まで、少しも怖くありませんでした。
松本での3度目の冬。過去2年の雪の日は、いったいどうしていたのでしょう。
そうだったわ。朝は、いつも、ぐっすり眠っておりました。
ご近所のみなさま、誠に申し訳ございませんでした。

 「肩もみ、いかがですか? 1回3分です」
と書かれたプラカードを持って、今日は、町会のカフェの、テーブルの間を回りました。
 先月のカフェでデビューし、今回が2度目です。
 午前中に、数人で、白玉ぜんざいと、野沢菜・沢庵の漬物と、冬菜のおひたしを準備し、午後、カフェでそれらを振る舞い、お客さんがほぼ落ち着いた頃に、そっと登場しました。
 声掛けをしないで、プラカードを掲げて静かに歩くのは、お客様同志の、おしゃべりの邪魔をしないためです。
 手を上げて下さる方の背後に回って、肩もみを3分間します。
スキンシップと、何気ない会話のできる、いい時間。
「疲れませんか」と言って下さる方もいますが、ぜんぜん疲れません。
 指圧をした指の先から、私自身の身体がほぐれて行くような、ほどけ感があります。
 お祈りのような、瞑想のような時間です。
 いつか、機会があれば、やらせてください。

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