「二重性を生きる」みたいな感じが年々強くなり、?多き日々でした。
 解決への糸口の最初は、先週の集会(礼拝)での武富保先生のお言葉、
「聖霊は過去と未来を行ったり来たりする」(むむ、「四次元の立方体」みたいだぞ)で、これは
 「真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせ、これから起こることをあなた方告げる」(ヨハネの福音書16章13節)に由来するものでした。現実の中に過去と未来が、ぽこぽこ顔を出す、ということ。
 その週の哲学の授業で、平木幸二郎先生は
「知識には、経験によって手に入れるものと、生まれつき知っているものがあり、真理、善悪、美などが後者です」と言いました。
それは「本当の直線を我々は見たことがないが、しかし、それはどんなものかを知っているようなもの」で、
「ギリシア郊外の、アカデミアの森にプラトンが建てた学校の門には、幾何学を知らない者はこの門をくぐるべからず、と書いてあった」と。
見たことはないが、ほんとうは知っている事柄についてのお話です。
 2日後、ある教室へ入って行くと、前時限の数学の授業の余韻がまだ残っていて、黒板は数式で埋められていました。
 生徒が提出した解答用紙を集めていたのは、あの「四次元の立方体」の阿部孝順先生。
 「四次元を時間軸と考えてよいですか?」とは前週の私の質問で、お答えは 「イエス」。
 今週も私はお尋ねしました。
「アカデミアの門の言葉の幾何学と、この黒板の数式とは、同じ性質のものと考えていいですか?」。
お答えは「イエス」。
 「数学や哲学や宗教、他にも多くのものが深い所で繋がっています」と。
 休み時間(生徒の移動時間)が終わり、我が教室には黒田先生が登場し
 「分野を横断する歴史学」が始まりました。
 時間軸を行ったり来たりしながら、地球儀のあちこちがピカピカ光り出す超面白な講義の後の昼休み、先生は言いました。
 「歴史学の外せない基本は、もんじょ(文書)をどう読むか、事実をどう見分けて関連付けてゆくか、ですが、時代により、人により、ひとつの文書から導き出すものも異なり、その変化もまた歴史の一部になります。文学、経済学、政治学、社会学、民俗学など、
 皆それぞれに歴史を含んでいるから、多くの分野が共通しており、それらをどう見るかの観方が、未来を予測することにもなります。」
 ここにも、現実の奥の何かをつかもうする努力があり、私はここ数年の疑問の答えを「そっか、二重性でいいのか」と思い初めました。
が、一週間がたち、今日の日曜日の武冨先生のお言葉は
 「信仰は一元論です」でした。愛と信頼と希望の側だけでいいのだと。
 そこで、何かが一致しました。
 二重性は永遠の平行線ではなく、統合されつつ進んでゆくもので、それは、現実の中に、絶えず、真理、信仰、喜び、などを呼び込みながら、柔軟かつ堅固な基盤を作ってゆくこと、なのだと。

 急に寒くなりました。
 我が家の小さな庭には、50株の白菜が青々と生い茂っています。
 ポットに種をまき、庭に苗を移植したものがほぼ全部育ち、ひしめき合いながらも、中心部分が巻き始め、冬の備えは上々。
 ミニトマトが一本、いまだ健在で、50粒程の実をつけています。
 ほとんどが緑色ですが、毎日3粒づつくらい赤くなっています。
 春菊、水菜、ほうれん草、人参のエリアも、グランドカバー風に、それぞれ緑がきれいです。毎日つま引いて、食用に。
 春に植えたヤマボウシの苗木は、小さいながらも鮮やかに紅葉しました。
 夏、鉢に埋めたビワの種が芽を出し、元気よく7センチ程になったので、秋に購入したイチジクの鉢と一緒に、明日あたり、縁側に入れます。
 干し柿が60個くらい、庭にさしかかる軒につるしてありますが、もう食べられるので、日々減っています。
 ひさしの下の干竿には、敷布団の綿が干してあります。
 冬に備えて、ふかふかの敷布団にしたいと思ってのことですが、う~~~ん、いまいち。
 火鉢に火をいれました。
 陶器の火鉢は、炭の熱が陶器全体をあたため、周囲をつるつる撫でても、暖かく心地よいです。
 ごくごく身近な熱球体陶器と、炭火手あぶり、の暖房効果は予想以上でした。

 若い皆さま、大丈夫ですか?
 松本方面「同時多発落ち込み」が発生の気配ですが、、、。
 気分や、人生や、歴史は、様々な要因が絡むものですが、天候も見落とせません。
 寒さへ向かうこの時期の、このどんよりした天気は、大きなストレスではないかしら。
 私は雪ばかり降り続く秋田に一か月滞在したことがありますが、気分の落ち込ち込みは苦しい程で、秋田県が自殺者最多というのもうなずけました。
 落ち込んだ時は、だら~としてたり、楽しいことは何かと、あがいたり、して、
なんとかやり過ごしましょう。
 その経験(訓練)が、生きる力になりますよ。
 「我々は大地にしっかりと根を張って、
どんな災害が来ようとも、
どんなに頭上を政治的な風が吹こうとも、
びくともしない雑草のように
生きて行きたいと思います」

Vandaag kimono's gedragen met de meiden ♡
今日、皆と着物を着ました。♡
Fusako Ishigamiさん、本当にありがとうございました \(^o^)/

Vandaag kimono's gedragen met de meiden ♡
今日、皆と着物を着ました。♡
Fusako Ishigamiさん、本当にありがとうございました \(^o^)/

今日の朝10時に、オランダからの留学生4人が、我が家に和服を着に来る、はず、なので、
長じゅばん4枚に、それぞれ半襟を縫い付け、
着物は、色、柄、大きさ、質感、が選べるようにダダダーと並べ、
帯も並べ、羽織も、たびも、ショールも、下駄も並べて、待っているのですが、だれも来ません。電話もありません。
こちらからはFB経由のメールしか通じないので、困っています。
もう11時25分なのに。

 日曜日の午前中に持つ集まりを、プロテスタントでは礼拝と言い、カトリックではミサと言うようです。
 今私が行っている無教会派では集会といい言いますが、この違いは方言のようなもの。
 地方により、多少の違いはありますが、内容はほぼ同じです。郷に入れば郷に従え、ですが、従う必要のない時は、ついついお国言葉が出、私は、礼拝と言っています。
 牧師、司祭、先生、の違いも、同じようなことみたいです。
 各家庭で、父の呼び名が、お父さん、おやじ、パパと違うのと同じです。
 ちなみに、各家庭には、父親はたいてい一人で(遺伝子的には確実に一人)、父が子を愛している場合、
「お前の父は私一人だぞ、私がお前を養うから、お前もそのつもりでいてくれ」という言うのは、ごく普通のことでしょう。
 一神教の精神というのは、そういうものではないかと思います。

 で、本題。
 例えば、一昨日の礼拝にて。
 冒頭の讃美歌は527番で、ページを開けて歌ってみたら、こんな歌詞です。
「・・・シオンの娘語れかし、わが命の主に、野辺にてか幕屋にてか、会いまつらざりし・・・・」
 この歌の聖書の引用は詩編で「主によって喜びをなせ、主はあなたの心の願いをかなえられる」
 最後の歌は、賛美歌298番で、曲はシベリウスのフィンランディアです。
「やすかれ、わが心よ、主イエスはともにいます。
 み国はやがて来たらん。
 憂いは永久に消えて輝くみ顔仰ぐ、命の幸をぞ受けん」。
 信仰とは、不思議なものです。
 日曜の朝に、こんな言葉に触れることによって支えられるのです。
 この言葉の杖にすがるように、この一週間を過ごします。

 3泊4日の東京行き。山の紅葉も街路樹の黄葉も輝きを増していました。
 父の家に泊まりつつも、中2日は外出です。
 まずは末息子家族と品川駅で待ち合わせて、ランチ。
 超快活な娘の育児にやつれていたママが、以前の輝くような美しさを取り戻していて、ほんとに嬉しかったです。
 お嫁さんが元気なってくれて、こんなに嬉しいなんて、、、、。
 こんなにすてきな孫に育ててくれて、ありがとね!

 その午後は、長い旅になりました。
 目指すは霊園で、場所はおぼろ。根岸線てどこから出てるの?
 港南台と洋光台とどちらで降りたらいいの?
 下りた駅でバスに乗り、乗り換えで長らく待ってもう一つ乗り、
 終点から山道を登ること700メートル。
 和服で草履だから大変です。
 竹藪の中の寂しい道を抜けて着いたのは、丘の上に幾段にも広がる膨大な数のお墓の列。え~~~?
 探しているのは、長男のお嫁さんの父上のお墓なので、お嫁さんに電話をすると、
 「明日の法事のために、今家族でそちらに向かっているから、そのまま待ってて」とのこと。
 あら、まあ、長男家族全員と一度に会えるなんて!
 陽は傾き、竹林が風に鳴っています。
 眼下にはどこかの街が広がり、目をあげれば、広大な空。
 晴天ならば山か海が見える空間ですが、今日は雲に埋まった白い空です。
 時間はたっぷりありそうなので、一つ一つのお墓を巡り、目当ての「和」と彫られたローズ色の墓石を探すこと30分。
 ついにありました!
 それは、ひときわ見晴らし良くすがすがしい、静かな高台にありました。
 墓石を洗い清めると、真新しい石肌の水滴に西日が反射し、墓石が明るく輝きました。後方の青い芝生に、お墓の形の長い影を落としながら。
 2年前に亡くなり、今ここに眠る人は、ほんとに素敵な方でした。
 その方を記念するこのようなお墓を建てて下さった方にも感謝です。
 そのお墓の前で、私は到着した5人の長男家族に会いました。
孫たちはぐんぐん大きくなり、ここもまた輝くような家族です。

 翌日の高校時代のクラス会。
 雄々しく働いた団塊の世代は、今、料理に励む美しき初老を生きておりました。
 我が父は、超優秀な反面教師として、いまだ健在。
学ぶところ多く、その存在に感謝しています。

< 2015年11>
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石上 扶佐子
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