2015/11/29
「二重性を生きる」みたいな感じが年々強くなり、?多き日々でした。
解決への糸口の最初は、先週の集会(礼拝)での武富保先生のお言葉、
「聖霊は過去と未来を行ったり来たりする」(むむ、「四次元の立方体」みたいだぞ)で、これは
「真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせ、これから起こることをあなた方告げる」(ヨハネの福音書16章13節)に由来するものでした。現実の中に過去と未来が、ぽこぽこ顔を出す、ということ。
その週の哲学の授業で、平木幸二郎先生は
「知識には、経験によって手に入れるものと、生まれつき知っているものがあり、真理、善悪、美などが後者です」と言いました。
それは「本当の直線を我々は見たことがないが、しかし、それはどんなものかを知っているようなもの」で、
「ギリシア郊外の、アカデミアの森にプラトンが建てた学校の門には、幾何学を知らない者はこの門をくぐるべからず、と書いてあった」と。
見たことはないが、ほんとうは知っている事柄についてのお話です。
2日後、ある教室へ入って行くと、前時限の数学の授業の余韻がまだ残っていて、黒板は数式で埋められていました。
生徒が提出した解答用紙を集めていたのは、あの「四次元の立方体」の阿部孝順先生。
「四次元を時間軸と考えてよいですか?」とは前週の私の質問で、お答えは 「イエス」。
今週も私はお尋ねしました。
「アカデミアの門の言葉の幾何学と、この黒板の数式とは、同じ性質のものと考えていいですか?」。
お答えは「イエス」。
「数学や哲学や宗教、他にも多くのものが深い所で繋がっています」と。
休み時間(生徒の移動時間)が終わり、我が教室には黒田先生が登場し
「分野を横断する歴史学」が始まりました。
時間軸を行ったり来たりしながら、地球儀のあちこちがピカピカ光り出す超面白な講義の後の昼休み、先生は言いました。
「歴史学の外せない基本は、もんじょ(文書)をどう読むか、事実をどう見分けて関連付けてゆくか、ですが、時代により、人により、ひとつの文書から導き出すものも異なり、その変化もまた歴史の一部になります。文学、経済学、政治学、社会学、民俗学など、
皆それぞれに歴史を含んでいるから、多くの分野が共通しており、それらをどう見るかの観方が、未来を予測することにもなります。」
ここにも、現実の奥の何かをつかもうする努力があり、私はここ数年の疑問の答えを「そっか、二重性でいいのか」と思い初めました。
が、一週間がたち、今日の日曜日の武冨先生のお言葉は
「信仰は一元論です」でした。愛と信頼と希望の側だけでいいのだと。
そこで、何かが一致しました。
二重性は永遠の平行線ではなく、統合されつつ進んでゆくもので、それは、現実の中に、絶えず、真理、信仰、喜び、などを呼び込みながら、柔軟かつ堅固な基盤を作ってゆくこと、なのだと。
解決への糸口の最初は、先週の集会(礼拝)での武富保先生のお言葉、
「聖霊は過去と未来を行ったり来たりする」(むむ、「四次元の立方体」みたいだぞ)で、これは
「真理の霊が来ると、あなた方を導いて真理をことごとく悟らせ、これから起こることをあなた方告げる」(ヨハネの福音書16章13節)に由来するものでした。現実の中に過去と未来が、ぽこぽこ顔を出す、ということ。
その週の哲学の授業で、平木幸二郎先生は
「知識には、経験によって手に入れるものと、生まれつき知っているものがあり、真理、善悪、美などが後者です」と言いました。
それは「本当の直線を我々は見たことがないが、しかし、それはどんなものかを知っているようなもの」で、
「ギリシア郊外の、アカデミアの森にプラトンが建てた学校の門には、幾何学を知らない者はこの門をくぐるべからず、と書いてあった」と。
見たことはないが、ほんとうは知っている事柄についてのお話です。
2日後、ある教室へ入って行くと、前時限の数学の授業の余韻がまだ残っていて、黒板は数式で埋められていました。
生徒が提出した解答用紙を集めていたのは、あの「四次元の立方体」の阿部孝順先生。
「四次元を時間軸と考えてよいですか?」とは前週の私の質問で、お答えは 「イエス」。
今週も私はお尋ねしました。
「アカデミアの門の言葉の幾何学と、この黒板の数式とは、同じ性質のものと考えていいですか?」。
お答えは「イエス」。
「数学や哲学や宗教、他にも多くのものが深い所で繋がっています」と。
休み時間(生徒の移動時間)が終わり、我が教室には黒田先生が登場し
「分野を横断する歴史学」が始まりました。
時間軸を行ったり来たりしながら、地球儀のあちこちがピカピカ光り出す超面白な講義の後の昼休み、先生は言いました。
「歴史学の外せない基本は、もんじょ(文書)をどう読むか、事実をどう見分けて関連付けてゆくか、ですが、時代により、人により、ひとつの文書から導き出すものも異なり、その変化もまた歴史の一部になります。文学、経済学、政治学、社会学、民俗学など、
皆それぞれに歴史を含んでいるから、多くの分野が共通しており、それらをどう見るかの観方が、未来を予測することにもなります。」
ここにも、現実の奥の何かをつかもうする努力があり、私はここ数年の疑問の答えを「そっか、二重性でいいのか」と思い初めました。
が、一週間がたち、今日の日曜日の武冨先生のお言葉は
「信仰は一元論です」でした。愛と信頼と希望の側だけでいいのだと。
そこで、何かが一致しました。
二重性は永遠の平行線ではなく、統合されつつ進んでゆくもので、それは、現実の中に、絶えず、真理、信仰、喜び、などを呼び込みながら、柔軟かつ堅固な基盤を作ってゆくこと、なのだと。