連載15。『山を仰ぐ』第1章の2-4

 正彦さんは、この大きな出来事の意味を、近くにいる大人に聞きたい気持ちがいっぱいでした。尊王攘夷だって草莽の志士だって言葉は知っていましたが、何が正しいのかは見極めがつきません。
 再度、父さんに喰いついていきます。握り飯ではなく。
 「正月に、小野村の倉澤清也さまがうちにおいでになりまして、ほら、河澄さまも御存じの方てす。私の父の妹、礼津さんがお嫁に行った人です。倉澤さまは伊那や飯田の方々と親しいのです」
 私が倉澤という名前を聞いたのは、この時が初めです。ゴマ塩むすびは、まだ、正彦さんの手に持たれたままでした。
 「倉澤さまが言うには、京を目指し、下諏訪宿で一夜を過ごした天狗党の一行千人程は、翌朝飯田へ向けて出発したそうです。     
 飯田藩は小藩で、天狗党と戦っても勝ち目がないので、天狗党が来たら、飯田の町を焼き払い、住民と一緒に籠城をするつもりでした」
 父さんは、握り飯も沢庵も一緒に口いっぱい放り込んでいます。
 「だが、飯田が燃えたという話は聞かないずら」
 「そうなんです。それは、倉澤さまのお仲間たちが、飯田の町を救うために、天狗党と飯田藩の両方に、命がけで掛け合いに行ったからです。
 天狗党が飯田の街を避け、裏道を抜けて通過できるように、倉澤清也さまや北原稲生さまが道案内をしました。藩や商人や農民は三千両の軍資金を集めて手渡したのです」
 父さんと私が北原稲生という名前を聞いたのも、これが初めてでした。北原さまや倉澤さまはその後、開産社の社長を務められたので、いろいろお世話になりました。御一新の後のことでございますが。

 (次回、連載16に続く)

< 2021年09>
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石上 扶佐子
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