連載69.小説『山を仰ぐ』第3章の1-3
 (前回は、お舟祭りが楽しみな、二度目の岩原行きが実現した1867年のお盆。武居かくと正彦と河澄糸は、山麓線を北へ向かいました) 
 
 去年は真喜治さんが籠に乗っていたので、私が籠の少し後ろを歩きました。今年はかく様だけが籠の中ですし、二度目の道なので、気分も楽です。正彦さんに聞きたいことがあれば、籠の前を行く正彦さんに追いついて、話しかけることもできました。
 「あのせ、正彦さ、去年の洗馬のことだけど、急な知らせが山口家に届いて、かく様が、洗馬のご実家に呼び出されたでしょ。その後はどうなっただいね」
 私だって、大まかなことは、大人の話の端々で分っていました。
 かく様を急きょ呼び寄せた、洗馬のご実家の懸念が的中したこと。秋風の吹く葉月(八月)十七日(旧暦)、木曽、洗馬の衆が洗馬宿に集合し、松本平に押し出したこと。窮乏の衆のために力を尽くした、旅籠屋の主人とお仲間が捕らえられ、江戸で厳しい取り調べを受けていることなど。
 でも、私はもっと、きちんと知りたかったのです。正彦さんならこの事件をどう見るのか、正彦さんならどう説明するか、何よりもそれが知りたかったのでした。
 山麓線を北へ歩きながら、足の早さは変わらないまま、正彦さんは手の甲を額にあて、鼻をこすり、少し考えてから語り初めました。
 「三年前、元治元年(1864年)の長州征伐は、十五万もの幕府の勢力の前に、長州が恭順を示し、大きな戦さにはならなんだけど、遠征にかかる費用の工面には、各藩とも難渋しました。
 藩は当然、下々からの取り立てを強めて、遠征費用を賄(まかな)います。徴用のために、金や物資や人が不足し、物価は上がり、生産も滞る事態になりました」
 (次回、連載70に続く。
 写真は。ニューヨークの娘の家のキッチンから。二年前の11月17日)

< 2021年11>
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石上 扶佐子
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