連載566。小説『山を仰ぐ』第8章・発明家ー①糸が語る波多の臥雲辰致ー31
(今回で、第8章の①が終了します)
キヨさんからは時折手紙が来ていましたが、師走が過ぎ、明治九年の正月になっても、辰致さまは元気がありません。波多での仕事はいろいろあるようでしたが、それでも糸は辰致さまに言いましたよ。
「正月はキヨさんに会いにいかなくていいのですか」と。
ゆっくりと間が空いて、辰致さまは低い声で言いました。
「キヨが手紙で言うには、『盆と暮れは寺が一番忙しい時だで、正月は会えね』ということでした。
それに、うちらは、今、別れ話が出ているのです。キヨは
『元気になってきたで、尼になって、寺でバリバリ働きたい』というのです」
糸にとっては寝耳に水の話で、驚きましたね。そうですか、そうですか、とただ、心の中でつぶやくばかりでした。
明治八年が暮れ、年が明けて明治九年、辰致さまは三十五歳、キヨさんと糸は二十二歳になりました。
辰致さまは、落胆の日々にあっても、年の瀬までには、飛び杼式布織機をほぼ完成し、年が明けてからは、今まで太糸しか製造できなかった紡糸機を、細糸も紡績できるようにと、新しい試みに挑戦していました。
気持ちが辛ければ辛い程、本当にやりたいことに没頭するしかなかったのかもしれません。
辰致さまにとっても糸にとっても、寒さの厳しい重い冬が過ぎていったのでございます。
(次回、連載567に続く。第8章・発明家①糸が語る波多の臥雲辰致、はこれで終了。次回からは、第8章・発明家ー②開産社と第一回国内勧業博覧会、が始まります。
写真は昔シリーズ。16年前、おぐらやま農場で飼っていたリオと生まれたての三匹の子犬(増田望三郎さんのフェイスブックより)。子犬は、望さんと、洞合(どあい)冒険クラブ隊長の浜ちゃんと、安曇野の大工の大ちゃんに引き取られました。
写真2は、その頃編んだ毛糸の靴下。農場の冬の仕事は、雪のフィールドでの剪定作業なので、少しでも足元の冷たさを減らすように編んだもの。その後幾度も穴を繕い、たぶん、まだ使ってくれていると思います)