連続574.小説『山を仰ぐ』第8章発明家ー②開産社と博覧会ー8

石上 扶佐子

2025年02月04日 20:00

連載574。小説『山を仰ぐ』第8章・発明家ー②開産社と博覧会ー8

 波多での工場建設はとりあえず延期し、細糸紡機と布織機を、まずは開産社の水車に連結して取材に応じ、次に開産社内の展示場に移動して、展示することになりまりした。
 松本開産社内の払い下げ建物が工場として整ったら、糸紡績と布織がはじまることになります。 
 開産社の工場が始動すれば、波多においてある太糸紡機を移動して機械の数を増やし、綿糸と綿布を量産をする予定で、動力は水車と手回しとの両方を考えていました。
 さて、今まではボンヤリとしてた事業の実態が、だんだんにはっきりしてきて、波多の衆で資金を用意し、松本で工場の内装を整え、水車を覆う小屋を建てる算段が必要です。
 開産社からも資金を借りて事業を進める訳ですが、まずはその母体となる会社を作らねばなりません。
 「名前はどうしずら?」とういう段で、
「連綿社はどうかや。連綿として、綿糸と綿布を生産するという意味だじ」ということで、名前は『連綿社』になりました。
 連綿社は初め、武居美佐雄さんが主導していましたが、事業が開始され、ある程度の目途がたったところで、波多腰六左さんが頭取になりました。
 武居美佐雄さんの東筑摩郡書記の仕事が忙しくなったために、連綿社の業務は息子の正彦さんに引き継ぎ、美佐雄さんは連綿社の仕事を退いたのです。
 ゆえに、連綿社の役員は、頭取が波多腰六左さん、副頭取に武居正彦さん、会計掛りに神田弥五造さん、機械製作係に臥雲辰致さん、製糸係に石田周造さんが就き、資金繰りは、堰(せき)の工事で忙しい中、波多腰六左さんが引き受けました。

 (次回、連載575に続く。
 写真は、2年前、数え年100歳で亡くなった父の葬儀の日。

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