連載578.小説『山を仰ぐ』第8章発明家ー②開産社と博覧会ー12

石上 扶佐子

2025年02月13日 20:00

連載578。小説『山を仰ぐ』第8章・発明家ー②開産社と第一回内国勧業博覧会ー12

 開産社のある北深志六九(ろっく)は、女鳥羽川の北の大名町にあり、大名町は明治になるまで、武士以外のものは入れませんでした。開産社は、町の中心にかかる千歳橋(大手橋)のすぐ近くです。
 明治六年に、六九の元大名屋敷を借りて設置された勧業社は、金融業が主な仕事で、本部は旧藩士屋敷の母屋に置かれ、別棟の土蔵には「展覧場」が設けられました。
 勧業社が社名を変えた開産社も、窮民救済や殖産興業の志が高く、地元の農業や良品製造の振興のために、物品の展示場を持っていたのです。 
 土蔵の奥には女鳥羽川沿いに「開産社植物試験場」があり、政府から全国に配られた、リンゴの苗が植わっていました。信州は、他の地方より、リンゴが良く育っているということです。
 その奥に、二月に修繕された女工場と、連綿社の工場になる予定の建物があり、さらに奥の工場の西隣りが水車で、そこは女鳥羽川のほとりでした。 
 辰致さまが、開産社に機械を運んだのは明治九年の五月半ばでしたが、その年の二月に、開産社は、女工場用と展覧場の家屋敷修繕をしています。
 土蔵の中の開産社の展覧場は、書記や小使いさんによって管理され、なぜか、辰致さまの機械の展示にちょうど良い台が、二つ備わっていました。
 五月半ばに搬入した細糸紡機と布織機は、新聞記者や見学に来た県の役人の要望により、まず、一番奥の水車に交互に接続させ、機械を動かしました。
 その後、母屋の隣の土蔵に運び込み、展覧場に設置され、開産社の物産展覧会が始まったのは、六月の二十五日でした。

  (次回、連載579に続く。
 写真は、最近の次男の家の食堂。家の達人なので良いセンスです)

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