連載583。小説『山を仰ぐ』第8章・発明家ー②開産社と第一回内国勧業博覧会ー17
(辰致とキヨの離縁を知った正彦の配慮で、正彦の父が開産社へ出向き、工場で一人暮らしている辰致を、波多の河澄家へ連れてきました)
開産社にも関わる筑摩県の役人が、明治九年の春に波多へ行って辰致さまの機械を見、感心したことに始まった開産社での展示は、慌ただしくことが進みました。辰致さまが五月に松本へ行った意味は、当初、まだ誰にも良く分かっていなかったのです。
糸は、五月半ばに辰致さまが松本に行ったのは、開産社に機械を置きに行くだけ、と思っていたので、早く帰ってきてほしい、と願っていました。
武居美佐雄さんに連れられて帰って来た辰致さまは、げっそりと痩せ、髪も髭も伸び、力なく見えました。正彦さんが心配した通り、キヨさんとのことで打撃を受けているのでしょう。
風呂に入ってもらい、髭も身なりも整えた辰致さまが、夕餉の食卓に現れると、武居さんも父もねぎらいの言葉をかけてお酒を勧めました。
母や私も一緒でしたが、妹たちや小さな弟は、辰致さまが風呂に入っている間に食事をすませ、そこにはいません。
何故か武居さんが、母にも私にもお酒を勧めてくれて、母も糸も盃に口をつけ、二人で顔を見合わせて合図をし、同時にその盃を空けてしまったのです。なんだか可笑しくて、皆で大笑いになったのでございました。
大人たちで、酒を交わしつつ食事をし、辰致さまから、連綿社の仕事の進展具合を聞いていた武居さんと父ですが、少し間が空いた後、武居さんが辰致さまの盃にお酒を注ぎながら言いました。
「松本では、ご苦労なことでした。連綿社の始動を担ってもらってな。キヨさんのことは残念だったが、仕方のないこともあるべ。俊量さまからの手紙で事情を知った正彦は、
『キヨさんの気持ちもわかるから、これは仕方のないことだが、臥雲さんが心配だ』と言っておったさ。気落ちしてあたり前だども、なんとか切り抜けてほしいと思っているのせ、正彦は。おらたちも同じ気もしさ」
(次回、連載584に続く。
2月22日は「夫婦の日」だそうです。写真は、何故か私のスマホにでてくる小川正弘さんという方の「幸せなシニアカップル」シリーズです。すてきねぇ~~)