連載595。小説『山を仰ぐ』第8章・発明家ー②開産社と博覧会ー29
(飴市の日に手作りの半てんを持ち、松本の辰致を訪ねた糸は、開産社で偶然武居正彦に会いました)
糸が十三の時、初めて岩原へ行き、盆の法要の後、山口家の客間で智恵さまと同席した時も、正彦さんが一緒でしたし、次の年、弧峰院に智恵さまをお訪ねした時も、正彦さんが一緒でした。糸は二人の話を、だた聞いていただけですが、それはとても楽しい時間でした。
展覧場で、機械の実演と説明をした後、辰致さまは言いました。
「工場へ行きましょうか」
工場でゆっくり話しましょう、ということですね。正彦さんがいるので。
三人で開産社の植物試験場を通り抜け、女工場の前を過ぎて、工場へ行くと、中は半年前とはすっかり変わり、雑然としています。
「もうすぐ、工場が始まるので、準備中です。作りかけの機械もありますし」と言いながら、辰致さまは奥の自室へ正彦さんと糸を案内し、火鉢に炭をいれました。正彦さんが言います。
「ここで、糸さんに会えて、嬉しいです。九年前の岩原を思い出します。何か、ゆっくり話をしたくなりますね」
糸は波多から持ってきた笹寿司を開け、正彦さんは飴市で買ったという飴と饅頭を広げました。正彦さんが続けます。
「まず、お二人が一番気になっていることを、報告しましょうね。
私は、正月、例年のように岩原の山口家へ挨拶に行き、帰りに堀金の尼寺へ寄ってきました。
俊量さまにもキヨさんにも会え、お二人がお元気だったので安心しました。
キヨさんは、去年の六月に臥雲さんの戸籍から離れると、元の松沢姓には戻らず、俊量さまの養子になったそうです。キヨさんは言ってましたよ。
「俊量さまは岩原という苗字だから、キヨは岩原キヨになっただが、今は、尼の見習いとして玄量と名乗っているから、通称は岩原玄量、だ。どうだ、よい名前ずら。
タッチさも名は自分で作っただもの、キヨも真似したのせ。
玄は黒だけど、奥深い、意味深い黒だじ。キヨは、そういう尼さんになりたいのせ。
そしてできれば、キヨも養子をもらい、その子が岩原なに量という尼になってくれたらいいな、と思っている。この寺の尼の岩原三代になりたいだ」と。
(次回、連載596に続く。
写真は、昨日の城東地区ひろばカフェのメニューです。さくらどら焼きもフワフワ、抹茶もフワフワで極上でした。100円なのもすごい。藤本さまほかボランティアの皆さま、ごちそうさまでした)