連載615。第9章・栄光と事業の困難ー①再婚と天皇の天覧ー2
(前回から新しい章です。明治10年、波多の糸の元に、正彦から「臥雲辰致が第一回内国勧業博覧会で最高賞を取った」との知らせが届き、さらに「辰致さんと糸さんの縁談を勧めたい」と書いてきました)
そうこうしているうちに、連綿社頭取の波多腰六座さんが我が家にお越しになり、父河澄東左と私糸を前にして、こう言ったのです。
「この度、ガラ紡が博覧会で日本一の賞をとっただいね。まことに目出度いことで、私も多額の出費をした甲斐があったというものだが、ちいと心配なこともあるだいね。
臥雲さんは根っからの発明家だから、こんなに有名になったら、信州を飛び出してしまうのではねぇかとせ。今だって、新しく作った連綿社の東京支社には、機械の注文が山のように押し寄せているだもの。今の松本の連綿社本社の事業は、綿糸綿布の製造だで、発明家向きではないだいね。
でもせ、我々としても資金をつぎ込んでいるし、なんとしても、元が取れるまでは、連綿社で頑張って欲しいのせ。それでな、糸さんが臥雲さんの嫁さんになってくれたら、臥雲さんの信州での重しになるんでないか、と思うだじ。
武居美佐雄さんから、一度は無しになった話とは聞いているだが、も一度、私から、臥雲さんに持っていこうと思うだよ。どうかやぁ」ということでした。
波多腰六左さんは、波多堰開削に尽力し、最近、ついに開通までを成し遂げた事業家なので、考えることが少々荒っぽいように思いますが、糸にとってはいやな話ではありません。六左さんは続けました。
「まぁ、こう言っちゃ何だけどせ、ご本人たちは知らないだろうけど、この辺りじゃ、糸さんと臥雲さんはお似合いじゃないか、ともっぱらの噂だいね。
臥雲さんが測量に来た頃から、あの二人は怪しいとか、出来ているとか、みな、面白半文に噂していたものさ。田舎じゃ、楽しい話が少ないでね。世間はそんなことで、浮き浮きしたいのせ。臥雲さんに嫁さんがいるとわかりゃ、それはまたそれで、面白可笑しく噂話が花開くだ。本人たちには迷惑だったろうがね。
ま、わしが言いたいのは、糸さんと臥雲さんが一緒になるのは、当然の成り行きってもんじゃねえかということせ。だで、本人たちにもその気になってもらいたいだいね」
(次回、連載616に続く。
写真は駐車場などでお世話になっている隣人。夏姿とヘルメット姿が共に若々しい95歳です)