連載619。小説『山を仰ぐ』第9章・栄光と事業の困難-①再婚と天皇天覧ー6
半年ぶりに松本に戻った辰致さまを、開産社に一番に訪ねたのは、連綿社頭取の波多腰六左さんです。
六左さんは、東京にいた辰致さまに、糸との縁談を勧める手紙を送っていたので、その返事をもらいに行ったのです。
しかし、辰致さまはそれどころではなく、開産社は、最高賞をもらった祝いに駆けつける人や、商売や事業の話を持ち掛ける人でごった返していました。
六左さんや連綿社の役員と相談しながら、停滞していた連綿社本社の綿紡糸と綿製布の仕事を立て直すのは容易ではありません。
辰致さまは、博覧会や東京支社設立の疲れや、東京から松本へ急いだ旅の疲れを癒す暇もなく、年の瀬を迎えたのでございます。糸が気になっている、縁談のご返事はないままに。
その辰致さまが、正月、波多へお越しになりました。博覧会への出品のため、多大な資金を援助してくれた波多の波多腰家や武居家や倭の青木家にお礼を言うため、正月の挨拶も兼ねて、お越しになったのでした。
辰致さまは、まずはじめに波多腰さんの家に行き、頂いた手紙の返事をしたそうです。波多腰さんは、こう言いました。
「臥雲さんの気持ちは複雑だで、わしが返事を伝えるということではなく、本人が直接話したほうがよかろう。今は、それが一番の大事だもの、他の挨拶は後回しにして、まず、これから二人で河澄家へ行くだ」と。
そのような訳で、正月元旦の昼前に、辰致さまと波多腰さまが連れ立って、上波多の糸の家にお見えになったのでした。
(次回、連載620に続く。
写真は今年の連休の思い出。妹夫妻と長男夫妻が来てくれました。感謝です)