連載339。第5章ー②俊量が語る青年栄弥ー1 (写真は二人の息子と)
2022/09/22
連載339。小説『山を仰ぐ』第5章・栄弥―②俊量が語る青年栄弥―1
(今日から、新しい区切りの青年栄弥です。少年と青年はダブっているので、内容も少々重なりますがお付き合い下さい)
栄弥さんが父儀十郎さんに付いて、初めて大妻の松沢家を訪れたのは、雪の降る寒い日で、若奥さんの志野さんと、家の戸口で偶然に出会い、晩ご飯をご馳走になりました。栄弥さんにとっては、白い思い出ともいうべき、大切な夕暮れでした。
嘉永六年(1853年)の春、手習所を終えて外回りの仕事を始めた栄弥さんは、まず、兄の九八郎さんの後に付いて、訪問先の順路を教えてもらいました。
松沢家への再訪を果たしたのはその時のことで、やっと志野さんに会えたのに、兄やの背中の陰に隠れて、ろくに挨拶もできなかったのが悔やまれました。初めは父の陰で、二度目は兄の陰での訪問でした。
そして、若葉の頃、栄弥さんは兄から離れ一人で各家を廻り初めました。満月から新月への半月をかけて順路を巡り、その最後十四日目の夕暮れに、ついに、大妻の松沢家を訪(たず)ねることが出来たのです。
慣れない大八車は栄弥さんには大き過ぎ、水たまりに車輪をはめては往生し、初めて一人で通る道は見知らぬ道のようで、幾度も迷子になりました。そうして行きついた最後の家が松沢家です。
志野さんは、いつもの、飾り気のない優しさで、言いました。
「おやまあ、今日は一人かいね。ご苦労さまだいね。まだ、小ちぇえのに、たいしたむんせ。
ひとりだったら時間もかかるずら。ほれ、もう、こんなにとっぷり陽が暮れたじ。腹がへったでしょ、一緒に晩餉にしましょ。さあ、食べて行きましょ」
栄弥さんはね、また、涙が滲んだそうです。初めての十四日間を無事に終えた、安堵の思いもありました。
(次回、連載340に続きます。
写真の右左の男は兄弟です。こうして見ると似ていますね。腕のいい大工と農夫。母は幸せ!)
(今日から、新しい区切りの青年栄弥です。少年と青年はダブっているので、内容も少々重なりますがお付き合い下さい)
栄弥さんが父儀十郎さんに付いて、初めて大妻の松沢家を訪れたのは、雪の降る寒い日で、若奥さんの志野さんと、家の戸口で偶然に出会い、晩ご飯をご馳走になりました。栄弥さんにとっては、白い思い出ともいうべき、大切な夕暮れでした。
嘉永六年(1853年)の春、手習所を終えて外回りの仕事を始めた栄弥さんは、まず、兄の九八郎さんの後に付いて、訪問先の順路を教えてもらいました。
松沢家への再訪を果たしたのはその時のことで、やっと志野さんに会えたのに、兄やの背中の陰に隠れて、ろくに挨拶もできなかったのが悔やまれました。初めは父の陰で、二度目は兄の陰での訪問でした。
そして、若葉の頃、栄弥さんは兄から離れ一人で各家を廻り初めました。満月から新月への半月をかけて順路を巡り、その最後十四日目の夕暮れに、ついに、大妻の松沢家を訪(たず)ねることが出来たのです。
慣れない大八車は栄弥さんには大き過ぎ、水たまりに車輪をはめては往生し、初めて一人で通る道は見知らぬ道のようで、幾度も迷子になりました。そうして行きついた最後の家が松沢家です。
志野さんは、いつもの、飾り気のない優しさで、言いました。
「おやまあ、今日は一人かいね。ご苦労さまだいね。まだ、小ちぇえのに、たいしたむんせ。
ひとりだったら時間もかかるずら。ほれ、もう、こんなにとっぷり陽が暮れたじ。腹がへったでしょ、一緒に晩餉にしましょ。さあ、食べて行きましょ」
栄弥さんはね、また、涙が滲んだそうです。初めての十四日間を無事に終えた、安堵の思いもありました。
(次回、連載340に続きます。
写真の右左の男は兄弟です。こうして見ると似ていますね。腕のいい大工と農夫。母は幸せ!)
