連載535.小説『山を仰ぐ』第7章ー③結婚と別れー80
2024/11/16
連載535小説『山を仰ぐ』第7章・臥雲辰致の誕生―③結婚と別れー80
(今回で、第7章・臥雲辰致の誕生ー③結婚と別れ、が終了します)
おや、まあ、びっくり仰天ではないか。
お気持ちはありがたいが、キヨはこう返事を書いたのせ。
「お元気でなによりです。新聞でタッチさの活躍を読んで、とても喜んでいます。
町暮らしのお誘いもありがたいですが、キヨは田舎の尼寺暮らしのほうがずっといいです。
タッチさのことは今でも大好きですが、キヨは立派な尼になって、この寺の仕事をばりばりやって行ける人になります」
キヨが岩原の臥雲辰致の戸籍から籍を抜いたのは、それからひと月後の、明治九年六月二十三日のことだった。
お試し期間が無事終わったからせ。タッチさは三十五歳、キヨは二十二歳、納次郎は十八歳だった。
キヨは一念を貫いてタッチさの嫁になり、一念を貫いて離縁した、ということかもしれない。それはあまり良いことではなかったかもしれが、キヨにはそうしかできなったのせ。
タッチさと一緒に暮らしたのはおよそ二年、期間としてずれてはいるが、籍を同じくしていたのも二年だった。夫婦としては誠に未熟な歳月だったと思う。
しかし、結婚と別れは、それぞれ、成長の一段階だもの、未熟でも仕方なかったさ。それは、飛び切りの宝石のような価値ある段階だった。仏さまからの贈り物だったのさ。
これからは、一念を通して、仏さまと生きてゆくべ。タッチさとも一緒に生きるさ。いつも思い浮かべて、祈っているもの。
これからのタッチさが幸せだとしたら、それはキヨのお祈りのおかげだじ。いやいや、キヨの祈りを聞いてくれた仏さまのおかげだな。
山を仰いで生きるのは誠に幸いなことだ。キヨは俊量さまという山と、臥雲辰致という二つの山を見つけた果報者さ。
山を仰ぎ、思ってもらった日々に感謝しているのせ。そして、それを下さった仏さまにも感謝だな。
(次回、連載536に続く。次回からは、第8章・発明家ー①糸が語る波多の辰致、です。
ここでクイズ。写真の好青年は、誰でしょう? ヒントは、およそ30年前の北海道)
(今回で、第7章・臥雲辰致の誕生ー③結婚と別れ、が終了します)
おや、まあ、びっくり仰天ではないか。
お気持ちはありがたいが、キヨはこう返事を書いたのせ。
「お元気でなによりです。新聞でタッチさの活躍を読んで、とても喜んでいます。
町暮らしのお誘いもありがたいですが、キヨは田舎の尼寺暮らしのほうがずっといいです。
タッチさのことは今でも大好きですが、キヨは立派な尼になって、この寺の仕事をばりばりやって行ける人になります」
キヨが岩原の臥雲辰致の戸籍から籍を抜いたのは、それからひと月後の、明治九年六月二十三日のことだった。
お試し期間が無事終わったからせ。タッチさは三十五歳、キヨは二十二歳、納次郎は十八歳だった。
キヨは一念を貫いてタッチさの嫁になり、一念を貫いて離縁した、ということかもしれない。それはあまり良いことではなかったかもしれが、キヨにはそうしかできなったのせ。
タッチさと一緒に暮らしたのはおよそ二年、期間としてずれてはいるが、籍を同じくしていたのも二年だった。夫婦としては誠に未熟な歳月だったと思う。
しかし、結婚と別れは、それぞれ、成長の一段階だもの、未熟でも仕方なかったさ。それは、飛び切りの宝石のような価値ある段階だった。仏さまからの贈り物だったのさ。
これからは、一念を通して、仏さまと生きてゆくべ。タッチさとも一緒に生きるさ。いつも思い浮かべて、祈っているもの。
これからのタッチさが幸せだとしたら、それはキヨのお祈りのおかげだじ。いやいや、キヨの祈りを聞いてくれた仏さまのおかげだな。
山を仰いで生きるのは誠に幸いなことだ。キヨは俊量さまという山と、臥雲辰致という二つの山を見つけた果報者さ。
山を仰ぎ、思ってもらった日々に感謝しているのせ。そして、それを下さった仏さまにも感謝だな。
(次回、連載536に続く。次回からは、第8章・発明家ー①糸が語る波多の辰致、です。
ここでクイズ。写真の好青年は、誰でしょう? ヒントは、およそ30年前の北海道)