連載536.小説『山を仰ぐ』第8章発明家ー①糸が語る波多の臥雲辰致ー1

連載536。小説『山を仰ぐ』第8章・発明家ー①糸が語る波多の臥雲辰致ー1
 (今回から、第8章・発明家がはじまります)

 安政二年(1855年)の兎の年に、信濃国筑摩郡波多村で生まれた私、川澄糸が、臥雲辰致さんにお会いしたのは、辰致さんがまだ安楽寺の僧侶だった頃でございます。その頃は名を智恵という人気の若いお坊様で、安楽寺の庫裡の典座(料理番)をしていました。
 慶応二年、十三歳の糸は、おさななじみの武居正彦さんと、岩原の山口家へ行き、山口家の盆の法要で、智恵さまを初めてお見掛けしたのです。
 その若木のようなお姿と、木魚を叩くすがすがしい横顔に目を奪われたことを思い出します。山の夏空へと吸い込まれていった、読経の美しい声を、陶然と聞きほれていましたっけ。
 その日の午後は、山口家の客間で庭を見ながら、智恵さま、正彦さん、真喜次さん、糸の四人で不思議な時間を過ごし、翌日は、智恵さまが安楽寺を案内してくださったのです。心弾む時間でした。
 糸があの時、岩原の山口家へ行ったのは、正彦さんの末の弟の真喜次さんを、山口家に届けるためでした。山口家の次期当主山口芳人さんの養子になる真喜次さんと、母上のかく様を籠にのせ、そのお供をしたのです。
 山麓線を正彦さんと一緒に歩く、という籠のお供役を、かく様が糸に振ってくださったのは、正彦さんの嫁になるかもしれないから、という言う意味があったと思います。
 でもそれは、その後数年のうちに、川澄家に跡継ぎの男の子が生まれた場合で、生まれなければ、長女の私、糸が婿を取ることになるので、まだどうなるかわからないことでした。
 でも、正彦さんと糸は、仲良しだったし、一緒に松本ご城下の飴市にも行ったし、お互いに、もしかしたら夫婦になるかも、とは思っていました。暗黙の了解ですけれども。
 糸の家に男の子が生まれなければ、そうはならない、ということも、暗黙の了解事項でした。
 あいまいと言えばあいまいな了解ですが、でも、どちらにころんでも、まあ、なんとかなるのだから、あまりこだわらない、という心持なのでした。

 (次回、連載537に続く。
 前回のクイズの答えは、おぐらやま農場の松村暁生さん。今日の写真は、そのご令嬢とご子息です。来訪の折、あんまり可愛いのでスマホカメラを向けた瞬間、二人そろってこのポーズ。なんとも息の合った仲良し姉弟なのでした)

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