連載552.小説『山を仰ぐ』第8章発明家ー糸が語る波多臥雲辰致ー17
2024/12/20
連載552。小説『山を仰ぐ』第8章・発明家ー①糸が語る波多の臥雲辰致ー17
正彦さんが、待ってましたとばかりに言いました。
「この度、私が急ぎ波多へ戻ったのは、もし、臥雲さんに私の志(こころざし)の意図を理解していただけるなら、私が専売特許願いの草稿を書きましょう、と思ってのことです。今日、請願文の概要を打ち合わせできたら、一両日のうちに漢文の草稿を書いてお持ちできます」
正彦さんの言葉を聞いて、辰致さまのお顔が輝いたように見えました。同席の一同からも、ほ~、という感嘆の声がもれています。
辰致さまが
「よろしくお願いします」と頭を下げ、正彦さんが
「では、食事が終わりしだい、打ち合わせをしましょう」と言うと、お二人は、そそくさと食事を済ませ、私らに食事のお礼と席立ちの詫びをいうと、あっと言う間に土蔵へと立ち去ってしまいました。
夜半に正彦さんが三溝の実家に帰り、「専売特許願い」の下書きを持って再度お見えになったのは、二日後のことです。
あいにく、辰致さまは松本にお出かけで、お留守でした。開産社の開所式が翌三月十五日にあるので、松本まで新発明の機械を運んでいったのです。
開所式には、筑摩県の永山盛輝権令はじめ、県下の大区長三十名がお揃いになるということです。開産社の前身の勧業社の頃から、社長は筑摩県の三十の大区長が全員就任し、出資もすることになっていたからです。
そのほかに開産方と呼ばれる関係者が六十七人もいて、民間の市川量造さんや、県の官吏の北原稲雄さんのお名前もありました。
その開所式の前に、辰致さまはお越しの方々に見てもらうために、実演をしながら機械の説明をするというのです。波多村からの推薦と開産社からの要請があって実現したことでした。
(次回、連載に続く。
写真は塩入久さんのフェイスブックより。ブエナビスタは、たぶん?、松本で一番高級なホテルです。ちなみに、うちは、たぶん?、松本で一番安い宿です)
正彦さんが、待ってましたとばかりに言いました。
「この度、私が急ぎ波多へ戻ったのは、もし、臥雲さんに私の志(こころざし)の意図を理解していただけるなら、私が専売特許願いの草稿を書きましょう、と思ってのことです。今日、請願文の概要を打ち合わせできたら、一両日のうちに漢文の草稿を書いてお持ちできます」
正彦さんの言葉を聞いて、辰致さまのお顔が輝いたように見えました。同席の一同からも、ほ~、という感嘆の声がもれています。
辰致さまが
「よろしくお願いします」と頭を下げ、正彦さんが
「では、食事が終わりしだい、打ち合わせをしましょう」と言うと、お二人は、そそくさと食事を済ませ、私らに食事のお礼と席立ちの詫びをいうと、あっと言う間に土蔵へと立ち去ってしまいました。
夜半に正彦さんが三溝の実家に帰り、「専売特許願い」の下書きを持って再度お見えになったのは、二日後のことです。
あいにく、辰致さまは松本にお出かけで、お留守でした。開産社の開所式が翌三月十五日にあるので、松本まで新発明の機械を運んでいったのです。
開所式には、筑摩県の永山盛輝権令はじめ、県下の大区長三十名がお揃いになるということです。開産社の前身の勧業社の頃から、社長は筑摩県の三十の大区長が全員就任し、出資もすることになっていたからです。
そのほかに開産方と呼ばれる関係者が六十七人もいて、民間の市川量造さんや、県の官吏の北原稲雄さんのお名前もありました。
その開所式の前に、辰致さまはお越しの方々に見てもらうために、実演をしながら機械の説明をするというのです。波多村からの推薦と開産社からの要請があって実現したことでした。
(次回、連載に続く。
写真は塩入久さんのフェイスブックより。ブエナビスタは、たぶん?、松本で一番高級なホテルです。ちなみに、うちは、たぶん?、松本で一番安い宿です)