庭の雪が消えたので、昨日、小さな菜園の土をおこしました。
 シャベルを入れると、昨年の春ならば、
ガリッ、ジャリッ、ギリッ、カチッ、カーン、などの音が騒がしく、大きな石をかき分け、やっとのシャベルひと掬いの土に、
大小10個程の石ころが採掘されたのですが、今年はすいす~いでした。
 一重に、昨年、開拓・開墾に精を出したおかげです。
 大きなシャベルを土に刺し、シャベルのヘラの両肩に右足と左足を載せ、体重を使ってシャベルごと土の中へ潜ってゆくのは、遊園地で遊んでいるようです。今年は、すいす~い、なので。
 主なる目的は、昨秋、信大の庭担当のおじさんから頂いた落ち葉を、庭にすき込むことでした。
 が、庭には、やることが無限にあるので、午前中から初めて、終わったのは夕暮れ。
 その長い午後、東の背後に迫る美ヶ原の山々を、私は幾度も振り返って、仰ぎ見ました。
 前日、晩ご飯を食べながら聞いた、ラヒルの言葉を反芻しながら。
「僕はお母さんが大好きで、いつもお母さんを見ていた。
 バスに乗って、僕が前の席、お母さんが後ろの席の時は、何度も何度も振り返って、お母さんを見た」。
 これは、私の魂を揺さぶるような言葉でした。
 私には、よく解るのです。
 父を(内戦で)失った幼い兄弟を育てる母の、その必死さと、それを丸ごと受け止める、男の子の、強い気持ち。
 背後の母と、前席の息子の間に流れる、いつくしみと愛と喜び。
 この言葉を聞いた時、私は同時に神を想いました。
 神は、このようなものです。
 だから、幾度も振り返って、み顔を見たいのです。

< 2016年02>
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石上 扶佐子
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