多くの方の導きと助けにより、無事洗礼式を終えることができました。
 体験、とりわけ宗教的体験は、自分で味わってみてこそです。
 文字で書けば、たかが、洗礼、ですが、
受けてみれば、感謝と喜びが、ぎっしりでした。

 少し前から、神が常に右肩にいて下さるので、寂しいということはなくなりました。
 が、食事の時など、一人で黙って食べるのもつまらないので、肩の神に話しかけたりしていると、テレビドラマの場面ーー夫を戦地に送った妻が、影膳を据えたり、あるいは、夫が、先立たれた妻に話しかけながら余生を送る場面ーーと重なりました。
 そうか、愛する人がいつも、肩の上にいるなら、別に寂しいということはないのだ、、、、と。
 亡き人が、共にいて守ってくれる、と思って生きてきた歴代の人々の気持ちが、とても身近に分かりました。
 昨日の洗礼式で、初めて聖体なるもの(パンを模した薄い食べ物)を口にし、聖別された葡萄酒をいただき、白いベールをかぶりました。
 式の後、代母の方が
「これからは、やるべきことを、心に住むキリストが教えてくれるようになるの。
 矢継ぎ早に指示が飛んでくるわよ。
 マザーテレサも、その指示を実行していた、という訳」とおっしゃいました。
 なんと!!! 
 神は心の中いて、指示とゲキを飛ばす人だったのです!


< 2016年07>
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石上 扶佐子
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