連載413.小説『山を仰ぐ』第6章・幕末から明治維新へ-③廃仏毀釈と安達達淳ー5
 (前回は、大町の安達和尚が尼寺に来て「安楽寺の和尚が姿を消した」と言いました)

  俊量さん、びっくりしたずら。おらも、たまげたでね。一晩寝て、まず、ここへ来ただ。まだ、他は誰も知らねえだじ」
 安達和尚さまのこのお言葉を聞いた時ほど、唖然としたことはありません。仏門の者にとって、ただならぬ時代が襲いつつあるのは感じてはいましたが、わたくしどもの小さな尼寺は、いたって平穏な日々でございましたから。
 安達和尚さまはしみじみとした口調になり、お話しを続けました。
 「なあ、俊量、これは大変なことだじ。
 おらの大町霊松寺は、安楽寺よりも松本から遠いし、殿さまと仲は良くねえし、なにせ今は、寺も檀家も一丸となって善光寺地震で壊滅した寺の復興の最中だでね、戸田さまも今はまだ、何も言ってこねえけどね、これも時間の問題ずら。
 おらとこはどうするかやあ。
 安楽寺と山口家とは一心胴体のようなもんなのに、今回智順さんは山口家には相談しなかっただね。それには、訳があるのせ。
 山口家は洗馬から次期当主を迎えていて、三溝村の武居さんとも姻戚関係は濃いでね。武居さんは信州の平田派の中心、倉澤清也さんと親戚だで、神道で行きたい平田門人の考えもようく知っているだ。
 三溝武居家当主の奥さんと、岩原山口家の次期当主は姉弟だもの。このような場合、山口家は殿様と同じ神道尊重であることを、安楽寺の智順和尚さんは良ーく知っとらしただね。
 本当に偉い坊さんなら、仏教修行の原点に戻り、諸行無常のこの世を托鉢僧の姿で生きてゆこうか、と考えるかもしれんし、仏の意を悟って、人間には相談せずに身の処し方を決断したのかもしれんしね。
 
 (次回、連載414に続く。
写真は、遠州森中川の大工、松村寛生の木ごころ工房。伝統工法の大工なので、材木に穴を開けたり刻んだりして家を組み立てます。工房の写真は奥半分の撮影なので広さはこの倍ほどあり、同時進行の数軒分の木材を入れるのにも、こまらなそうでした)

< 2024年03>
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石上 扶佐子
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