連載412.小説『山を仰ぐ』第6章・幕末から明治へー⓷廃仏毀釈と安達達淳ー4
 (前回は、安楽寺よりももっと格上の寺、大町の霊松時の和尚が、堀金の尼寺に顔を出しました。語りは俊量尼です)

 その安達和尚さまが、「おう、俊量、元気にしとるかい」と見せてくれた顔は、その日、少しこわばっておりました。
 「よう、俊量、知っとるだかや。えらい(大変な)ことずら。安楽寺の智順和尚様が安楽寺からいなくなられただ」
 「えっ、和尚さま、いま、なんと、、、」
 和尚さまは続けられました。
 「知らないずらな。俺だけに言って、いなくなられただもの。
 安楽寺はだいだい松本藩の殿さまと仲が良くてせ、ずっと、殿さまの松茸山みたいな所だったせ。大庄屋の山口さんの客間も、殿さまのお気に入りの宿所だったでね、戸田の殿さまと安楽寺の智順和尚さんと山口家は懇意だったのせ。
 それで、智順和尚さんに戸田の殿さまから、内々にお話しがあったそうだ。
 時の勢いというか、強引にというか、戸田さまは自分の全久院だけでなく藩領内一円の寺を壊したいと思っているでね。
 そこでまず、
『折り入って』と言って、このあたりでは最も大きなお寺の安楽寺の智順和尚を呼びつけて、
『廃寺にしろ、寺と仏像仏具を打ち壊せ、僧侶は帰農しろ』との難題をふっかけたのせ。
 智順さんは、これまでのいきさつがあるから、反抗する訳にもいかず、かといって、安楽寺の首座として、廃寺、帰農の決断をすることも嫌だったのせ。
 苦肉の策で、後は僧や檀家の一人一人に判断を任せるという決断をし、こっそりといなくなるという道をえらんだのせ。安楽寺からこっそりと抜け出し、大町のわしの所へ寄って、北へと消えていったのは昨日のことだったじ。

 (次回、連載413に続く。
写真は、大工の息子の家。薪ストーブが燃えて暖かでした。家の前庭のしゃれた小さなレストランでは、息子の妻の母堂が、お弁当とランチを提供しています。その日はお休みでしたが)

< 2024年03>
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石上 扶佐子
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