連載534小説『山を仰ぐ』第7章・臥雲辰致の誕生―③結婚と別れー79 
 
 タッチさは、ますます忙しくなったずら。手紙も頻繁にはこなくなったさ。そんな春の終わりの五月十九日、また、青柳先生が信飛新聞を持ってやって来た。
 タッチさのことが知れて嬉しかったじ。新聞はこう報じていた。
 『弊社第百二十三号で報じました四大区波多村にて製木綿糸器機並びに製布器機とも、新発明の工夫が、いよいよ成功いたし、四十五日前に北深志町の開産社へ運搬して、該社の水車場女鳥羽川の流れに右の機械を据え、県官これをご覧なされて、お誉めがありました。
 いや、工夫というものは恐ろしいものであります。東京王子の器機などとは違い、いたって手軽で、操綿をキリキリ糸に引き出す所は、さながら婦女子が、糸操車を数十人並んで、木綿の糸を引き出すようで、また製布(ハタ)の器機が杼(ひ)を遣い(ヤリ)、梳紐(オサ)を打つ仕掛け、まあ能(よ)く出来ました。(信飛新聞第143号)』
 タッチさの二つの機械を絶賛しているではないか。
 キヨは心底嬉しくて泣いたじ。これでタッチさが波多へ出た甲斐があったというもんだ。キヨの祈りでもあっただもの。
 五月の終わりに、久しぶりにタッチさから手紙が届いた。びっくりするようなことが書いてあったさ。
 「キヨ、元気に暮らしているか。私は忙しさにかまけて手紙もかけなんだが、お前のことはしげく思い出し案じている。
 この度、私は、波多を去り、松本の開産社内に引っ越しをしたので、知らせします。
 住まいは、松本では一番賑やかな千歳橋の近くの六九町にあります。女鳥羽川のたもとです。
 キヨにも一度来てもらいたいし、できるなら、キヨとここで暮らしたいとも願っています。ご城下で暮らすのはどうですか」

 (次回、連載535に続く。
 写真は、久ぶりに会った記念に。ガン復帰のベリーショートが可愛いわね。これからも元気でね)

< 2024年11>
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石上 扶佐子
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