連載409。小説『山を仰ぐ』第6章・幕末から明治維新へ(文久元年・1861年~明治4年・1871年)―③廃仏毀釈と安達達淳ー1
 (今回から、第6章ー③が始まります。俊量尼の、明治二年の語りです)
 
 山国の小さな寺の尼にとって、幕末から明治への移り変わりは、訳がわからないことだらけでございました。
 とりわけ気にかかり心を騒がせているのが、御一新を契機として、世間では仏教や神道をめぐる意見が噴出していることです。平田門下や尊皇攘夷の草莽の志士の方々が神道を推し、葬式も神道でするべきという運動も高まっておりました。
 そうした折、明治元年と同じ年の慶応四年の三月のこと、まだ明治と改元されていない時期に、新政府から「神仏判然令」というのが出されたのでございます。
 神道と仏教を区別せよ、とのことですが、こういうお触れがでるくらいですから、これまでは神道と仏教は区別がないも同然でした。神仏習合は普通のことで、寺と神社が隣りどうしで立っている場合もあり、同居している場合もありました。
 「神仏判然令」が出た年、信州では国の神社になる予定の戸隠神社や諏訪神社内の寺の破壊が行われ、僧は帰農させられたと聞いて、腰が抜けるほど驚いたのでございます。
 「神社内の寺は打ちこわし、仏像も仏具も破棄し、僧は神社に入ってはいけない」というようなお触れがでたということは、びっくりするような出来事で、仏教への風当りが強くなっていきました。
 明治二年六月、知藩事となった元藩主戸田光則さまは、戸田家自ら神道帰依を宣言し、ご自分の菩提寺の全久院を廃し、女鳥羽川に仏像を投げ捨てるなど、率先して廃仏稀釈を断行されたのでございます。

 (次回連載410へ続く。
写真は、今年の元旦の朝焼け。穂高キリスト教会の毛見昇牧師撮影(週報付きのお手紙より)です。この風景は、小説に登場する飛騨山脈(北アルプス)で、俊量や智恵が毎日見ていた景色です)

< 2024年02>
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