今も鮮明に残る20年前のテレビの1場面。臨界事故での正直な対応の、野中広務を讃える。

 1999年、私は京都にいました。
 長男は新婚ほやほやで兵庫に暮らし、長女はニューヨーク市立大学ハンターカレッジの3年生、次男は大工修行を中断してインド放浪の旅へ。
 同居の三男は嵯峨野高校の1年生、私も仕事をしながら、佛教大学通信課程で、社会福祉の勉強を始めていました。
 その1999年の秋、9月の30日(あるいは次の日)のニュースの画面を、私は今も鮮明に覚えています。
 それは舞台の上のような、記者会見のような会場で、幾人かの男たちが横に並んでいて、その男たちに質問の矢が飛んでいました。
 茨城県東海村のJCOで、原子力関係の事故が発生し、その状況報告の場面でした。
 「で、一体、何が起こっているんですか?」と言う質問の矢が飛び交う中、原子力関係の科学者も、施設の責任者も、モゴモゴするばかりで、はっきりしたことを言いません。隠蔽姿勢がプンプンでした。
 その時、専門家を差し置いて、端にいた野中ひろむという人が「それは、臨界点に達したということですね? そういうことですね?」、と、禁句ともいえる言葉を、言ってのけたのでした。
 居間のTVの画面から、彼の「国民に今の事態を知らせなければ」との強い心が伝わり、その勇気に感銘を受けました。
 野中ひろむが官房長官の時代です。
 今日、ウェブのWikipediaで、野中ひろむの項を読みました。Wikiの記述は長~~かったですが、内容がすごくて、ついに最後まで。なかなかの人だったんですねぇ。
 2009年、彼は、「政治の最大の役割は、戦争をしない事だ」と言っています。今も鮮明に残る20年前のテレビの1場面。臨界事故での正直な対応の、野中広務を讃える。

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石上 扶佐子
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