連載546.小説『山を仰ぐ』第8章発明家ー①糸が語る波多の臥雲辰致ー11ー

連載546。小説『山を仰ぐ』第8章・発明家ー①糸が語る波多の臥雲辰致ー11 
 (明治七年の春から夏、辰致は河澄家の測量の為に岩原から波多へ通いました。測量の前後の片道4里の往復はなかなかに大変でした)

 その年明治七年三月は、筑摩権令の永山盛輝さまの肝いりで、金融と産業振興の勧業社が発足し、波多方面では、辰致さまの機械が話題に上ることも多くなりました。
 波多では、辰致さまの発明した機械で、綿糸を効率よく紡ぐ産業を起こしたい、という希望が高まっていたので、測量の他に、水車や機械の打ち合わせも増えていったのです。
 その寄り合いで、西洋の飛び杼のことが話題になり、辰致さまが非常に興味をもたれともお聞きしました。飛び杼は日本ではバッタンなどと呼ばれ、西洋へ行った西陣織の留学生が持ち帰り、この年(明治7年)四月の第二回京都博覧会で紹介された、すぐれた道具だそうです。
 寄り合いが夜ならば、辰致さまは、川澄の家で一泊することもありました。そんな時は翌日も測量をしたので、きっとお疲れだったでしょうね。岩原でお待ちのキヨさんも、さぞやはらはらしていたことでしょう。
 河澄家の農地や山林は思ったよりも広く、九月末日の実測書類提出期限に間に合わすために、九月にはいったら、糸もうちの男衆と一緒に駆り出されて、なかなかに大変でした。
 もっとも、糸は、辰致さまの元で仕事ができて嬉しかったですよ。辰致さまは全く気付いてはいませんでしたが、私は、たびたび、辰致さまの美しい仕事っぷりから、目が離せなくなっていたのです。外仕事は暑かったですが、誠に幸せな時間でした。

 (次回、連載547に続く。
  写真は、野菜のプレゼントに恵まれた後の、八宝菜と大根ステーキ。ストーブ料理の大根ステーキは、ネギ味噌で食べるので、途中からネギを投入。この後味噌を絡めました。鍋は直径26センチと24㎝です)

同じカテゴリー(連載小説『山を仰ぐ』)の記事画像
連載403『山を仰ぐ』第6章ー②明治二年ー5  (写真は、ゲストハウスから徒歩一分の「てくてく」さん。)
連載402。小説『山を仰ぐ』第6章ー②ー4 (写真は松本フォークダンスの会)
連載401。小説『山を仰ぐ』第6章ー②ー3 (写真は、ゲストハウスの看板とサブサブ看板)
連載399。小説『山を仰ぐ』第6章ー②ー1 写真はゲストハウスの四畳半の客間(冬仕様)窓から見える山は、美ヶ原です。
連載398。小説『山を仰ぐ』第6章ー①−15 写真は、楽しいフォークダンス。
連載397。小説『山を仰ぐ』第6章ー①−14。 写真は、ゲストハウスの居間。おこたのある冬仕様の記念に。
同じカテゴリー(連載小説『山を仰ぐ』)の記事
 連載554.小説『山を仰ぐ』第8章・発明家ー①糸が語る波多の臥雲辰致ー19 (2024-12-24 20:00)
 連載553.小説『山を仰ぐ』第8章発明家ー①糸が語る波多臥雲辰致ー18 (2024-12-22 20:00)
 連載552.小説『山を仰ぐ』第8章発明家ー糸が語る波多臥雲辰致ー17 (2024-12-20 20:00)
 連載551.小説『山を仰ぐ』第8章発明家ー①糸が語る波多臥雲辰致ー16 (2024-12-18 20:00)
 連載550.小説『山を仰ぐ』第8章発明家ー①糸が語る波多臥雲辰致ー15 (2024-12-16 20:00)
 連載549.小説『山を仰ぐ』第8章発明家ー①糸が語る波多臥雲辰致ー14 (2024-12-14 20:00)
< 2024年12月 >
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
過去記事
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 1人
プロフィール
石上 扶佐子
石上 扶佐子