今日の午後は、地区ひろばの企画会議(定例会)でした。例の、笑ってしゃべろうという、むつかしい会議。
 ひろばをクールシェアスポットに、という話がでて、まとまりました。
 台所・トイレ・事務室の他には部屋が一つしかない我が地区ひろばですが、その一つの部屋を、何かのサークルが使っている時でも、部屋の片隅に、避暑の人が居ることができるようになりました。命の安全を最優先に、と考えて。
 まことにありがたいです。私も耐え難い日中があれば、裁縫道具を持って行くつもり。ひろばのコーディネーターさんの、仕事の邪魔にならにように、ひっそりと居るつもり。
 今日、帰宅した午後は、室内が36度でした。命が大事です。
 今夜遅く、娘が子どもを2人連れて松本に到着します。お兄ちゃんである我が長男(またはその妻)が松本駅に、車で迎えに行ってくれるそうです。
 これから深夜の来客を迎える準備。大人3人、子ども3人で寝ることになりそうですが、夏だから、へっちゃらね。
 

 朝8時半に松本健康推進員役員で向かった先は、岡谷の「長野県男女共同参画センター」という立派な建物でした。
 「市町村保健補導員等・正副会長研修会」というのに参加のためです。
 午前中のリハーサルが終わり、昼飯の弁当は、2階の小部屋で食べました。
 いただきます~~、と食べ始めたところで、テーブルの輪の反対側にいる、見知らぬ4,5名の方が気になりました。午後からの会なのに、午前中から来て昼飯を食べるのは、会主催者のスタッフさんに違いありません。
 黙って食べているのも何なので、お尋ねしました。「県の職員の方ですか?」。お答えはこうでした。
 「国保の職員で、健康保険の支払い事務を担当している係のものです」
 !!!???。国保の職員は、国の職員なのか?、県の職員なのか? なぜ今日の会(長野県全体の市区町村から参集した健康推進の正副会長・役員の研修会)のスタッフをしているのか???
 疑問は湧きましたが、それより、何より、国保の職員と聞いて、これは神の導きに違いない、と思ったことがありました。
 私はそれとなく、聞きました。
 あの~、国民健康保険と介護保険は、事務上は別ですか?」。
 お応えは「いいえ。私たちも介護保険を担当してます」。
 おお!! ますます、神の導きではないか?
 あのー、そのー、という多少の躊躇はあったものの、私はついに言いました。
 「実は、一昨日、介護保険料の通知が来たのですが、 
 1)年金+年収の合計が80万円強の人の介護保険料が、年間5万円弱で、
 2)年収800万円以上の人は、年間13万4千円強でした。
 収入が10分の1ならば、保険料も10分の1にならないのでしょうか?」
 通知を見て素朴に思った疑問です。通知を見て4時間くらいはモヤモヤしていましたが、でも、ま、いいか、深く考えんとこ。そうなってんだから、、、。と思って、その通知を引き出しにおさめたのでした。一昨日のこと。
 食事時の雑談には、ふさわしくなかった話題でした。そんなこと聞かれても、困るだけでしょうに。皆さま申し訳ありませんでした。
 が、しかし、私はつかえがとれて、ありがたかったです。うじうじしと、孤独にぶーぶー思ってたのを、明るみに出すことができて。
 これだけで十分です。介護保険制度は、私が社会福祉を勉強してたころから待望していた制度ですから。大切にします。
 
 
 

すごい雨です。
 京都の放火事件も痛ましい。現在、死者25名の発表です。凄まじい悲しみが渦巻いている事でしょう。突然の惨事とその悲しみを、乗り越える事が出来ますように。
 地区公民館の体育委員になったので、午後、マレットゴルフ大会の景品の用意をしました。5名で。大会(と言っても中会くらい)は20日の土曜日で、穂高へ行きます。晴れますように。
 写真は、いとこ作のステンドグラス。

 いつもは自家製の果実酒を、ほんの少し飲む程度ですが、友人が来るというので、今年初めてビールを買いました。本もののエビス生ビール・350cc缶を6本。
 当日飲まずに残ったのは2本。
 大事にとっておこうと思ったのに、今夜、つい、口をつけて、、、
 1本のつもりが、2本も。
 酔っぱらっいが、出来上がりました。おやすみなさい。

 月曜日はEテレで「百分で名著」のある日。今月は河合隼雄さんを取り上げています。あと少しで始まります。
 先週の「ユング心理学入門」では、次のような暗示が印象的でした。「喪失」と「開放」は同じことの「表」と「裏」であるらしい、と。
 「死」と「再生」はよく耳にし、私も口にしますが、「喪失と開放」のワンセットは新鮮でした。
 「孫が来ると嬉しく、孫が帰っても嬉しい」とは、よく言われる言葉。私もしみじみ、思いあたります。
 でもこれって、孫だけではないかも知れませんね。
 「行って嬉しく、帰って来て嬉しい」とか、「会って嬉しく、別れて嬉しい」とか、「着任で嬉しく、離任で嬉しい」とか、「生まれて嬉しく、死んで嬉しい」とか。
 さあ、今夜は何かな。あと1時間半後です。

 今朝(日曜日)6時15分からNHKで放映された「野中広務の遺言~追い求めた真実一路」は、素晴らしい番組でした。大鐘の深々とした音の余韻が、まだ続いています。
 このFBで、事前に案内ができなかったことを、強く悔やんでいます。多くの方に見て頂きたかったです。
 弱いものの立場に立つとはどういうことか、平和を求める、とはどういうことか。一人の人間の、芯と核を通じて、受け継がれてゆかねばならいことがある、と知りました。
 静かに、しかし、燃えるように。
 ちょっと検索したところでは、今のところ、再放送の予定はないみたいです。オンデマンドで見れる方は、是非、ごらんになって下さい。

 今日の予報の最高気温は37度C。遠来の友を送り出した頃には、すでに真夏の強烈な陽ざしが、高く輝いておりました。
 さあ、サバイバルの一日を、どうやって乗り切るか。
 まず、天気予報の注意書きどうり、炎天下の外出は控えることに。
 次に水分補給とビタミンC補給の緑茶を、どっさり作り、これを冷やして「こまめな水分補給を」。
 部屋の東側と南側の窓はピタリと閉め、カーテンを引いて断熱と遮光。
 次にシャワー。こまめなシャワーは大切です。
 首に小さな保冷材を巻き、扇風機を1段階強めに。
 洗濯桶に水を張り、足を冷やします。これの効果は絶大。
 あとは、冷たいものを食べること。
 紀州のお土産の黒糖寒天が大助かりでした。大きな弁当箱程の量を、結局1日で食べてしまったけれど、美味しくて美味しくて、しかも身体がしっかり冷えました。
 室内温度は、36度Cをしばらくキープ。。
 しかし、気合を入れて立ち向かったせいで、無事1日が過ぎました。おめでとう。ありがとう。
 皆さまも、お大事に。

 
 

 南紀から友人が来ています。ご夫妻+ご夫妻の友人1の3人。
 飲みつつ、食べつつ、句会をしました。
 旅の途中なので、皆さまいい句が出来てます。旅とは、そういうもの、のようです。奥の細道
 初心者の私も、教わりながら、作りました。
 手直しをして頂いたもの、3つ。
  茄子焼いて鮮やかな色友来る
  暮れそめてビールの席の句会かな
  なつかしさあふれビールの乾杯す
 俳句は、受け取った人の物なんだそうです。作者の意図や感動を離れて、読んだ人の想像や感動を味わうのだそうです。
 それって、この世のモノの、本来的なあり方ですよね。その事をルールとして明記している俳句って、すごい!
 その時の感動を、言葉に表して目の前に出す作業は、喜びでもあり、癒しでもあります。
 洗練された、一つながりの言葉を紡ぎだす作業、皆で批評し合いながら、さらにいいものを見つけあって行く過程が、超楽しいのだと。自宅で句会を頻繁に開いている、友人夫妻のお言葉でした。
  
   

 今日は、白馬五龍高山植物園へ行って来ました。
 地区ひろばと地区公民館が主催の日帰り旅行で、地区の皆さまとご一緒できたのが、嬉しかったです。
 五龍エスカルという店から、2台の小型バスがお迎えに来てくれてのバスの旅。大糸線で行くなら「神城駅」の近く、国道148号線なら白馬五龍の交差点近くから、西の山脈に入ってすぐエスカルプラザに着きました。
 ここから、眼下に絶景が広がるゴンドラに8分乗り、標高1515mからは、お花畑を歩きます。沢山の種類の花々!
 高山植物公園として整備された天空の路で、スキーのリフトと並行に歩き、急な登りも制覇して地蔵ケルンへ。
 空気は秋のようで、トンボの群れが、石の塔の回りを飛び交っていました。谷に雪が残る五龍岳が、眼前にそびえる空に、ケルンの鐘の音を響かせて。
 下りもリフトには乗らずに、可愛い「こまくさ」が群生するピンクのエリアを歩きます。
 「ヒマラヤの青いケシ」という名の、青い花の群生エリアは、もう、うっとりと夢の世界。それはそれは素敵な青でした。
 名物の「そば粉のガレット」のランチは、パリパリのそばパンケーキで、サラダ・サーモン・焼き豚・鶏のトマト煮、ラタトウユetcを巻いて食べる一品。バイキングを堪能しました。
 カメラを携帯する、という習慣を持たなければ、と痛感した一日。

 先週もその前の週も、木曜日は用事があり、来週も用事があるので、信大の平木幸二郎先生の「哲学」の授業は、私にとって今日が最終講義でした。
 哲学から宗教へ、という大きなテーマを、まことに分かりやすく、血肉となるようにかみ砕き、半年を費やして講義して頂きました。
 今期が先生の最後の授業で、平木哲学のエッセンスともいうべき、渾身の講義を聴くことができたのです。
 善く生きるとは何か。本来の自己を生きるとはどういうことか。万物の根源と呼応しつつ生きるとは。
 今日は、夏目漱石の「則天去私」について。
 それは「小我の私を去って、もっと大きな、いわば、普遍的な大我の命ずるままに、自分をまかせる」境地で、等しく愛を持って、差別なく諸々を見れる、扱える心境だそうです。
 信じる=悟る=あるものをあるがままに見る=則天去私。
 最晩年に、文芸作品を創作する、あるべき態度として獲得したのだと。
 授業のたびに配布して頂いた、34ページに及ぶプリントは、書き込みがビッシリ。折に触れ、読み直して見るつもりです。先生、ありがとうございました。
 

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