社会人になってから、5回ほど大き目の試験を受け、「金輪際、試験はヤダ」と思っていました。
 しかし、冷静に考えれば、試験が嫌なのではなく、試験の準備のために、多大な時間とエネルギーを注ぎ込み、我慢することが沢山あったのが、嫌だったのです。
 もし、なんの準備もしないで、全くの手ぶらで、交通費くらいなら出るよ、という試験なら、その日暇があれば、行って受けてみてもいいのです。いつもと違う場所に行けて、パズル気分の試験も楽しいかも。
 当時は、合格すれば未来が開けるような気がして、懸命に準備したけれど、今となれば、そんなことしなくても良かったのです。そこで手にした資格だって、あんまり役に立ってないし。落ちれば落ちたで、別の人生があったでしょうし。
 暇つぶしの慰めになるなら準備をしてもいいし、自分の勉強のためにやりたいなら、してもいいですけれど。
 しかし、手ぶらで、というのは大切だと思います。イエスも弟子たちに、手ぶらで出て行くように、と言っています。60歳を過ぎたら、もう、それができるのではないか、というのが、個人的感想です。
 誰かに、「何か話して下さい」と言われたとしたら、60をすぎたら、「手ぶらでいいですか?」と聞き、OKなら出向くというのはどうですか。
 話すべきテーマが何かあれば、まず、中学か高校の教科書に書いてあるような基本のことを述べ、自分の考えも簡単に述べ、あとは聴衆からの質問に答えたり、聴衆に聞いてみたり、混り合い、呼応し合ってゆけば、その場固有の、独特な価値が生まれるのではないか、と。
 ひどい会になったら、もう声はかからないから、気楽なもんです。 
 

< 2018年09>
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石上 扶佐子
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