連載225。小説『山を仰ぐ』第5章・栄弥―①俊量が語る少年栄弥―1
(今日から、第5章が始まります)

 信濃国安曇郡小田多井新田村で栄弥さんが生まれた天保十三年(1842年)の秋、父の横山儀十郎さんは数え三十五歳、母のなみさんは二十五歳でした。兄の九八郎さんが六歳、ちなみに、わたくし俊量は数え十七。
 なみさんは「賢くて器量よしで働きもの、おまけにきっぷがいい」と評判の嫁で、
 「父(と)っさまの十四郎さは、あんなみやましい(最高の・良くできた)娘をよく見つけてきたもんせ。なみさがいりゃ、儀十郎さんとこも安泰だじ」というのが、小田多井村の大方の見立てだったそうです。
 俊水さまは、嫁入り前のなみさんを知っていました。何故かというとね、栄弥さんが産まれたあと、俊水さまがわたくしに
 「良ちゃん、時々、横山家のお手伝いをしてあげてね。子守とかね。そして、様子を知らせてください」と言われた折、ついでに、こんなお話をしてくださったからです。
 「なみさんはね、川向うの千曲郡田沢村のお人でね、村田孫市さんの娘だったですよ。ここ堀金から東へ半里も行けば成相で、その道を真直ぐさらに半里行けば犀川です。田沢の渡しで犀川を越えればすぐに、なみさんの田沢村でした。
 小田多井の儀十郎さんも田沢のなみさんも、毎日常念を見て成長したのですね。山を仰いで大きくなったのです。
 村田家はそこそこの農家で、なみさんは二番目の娘でしたから、のびのび育っていました。ですから、嫁に行くのは気が進まなかったようです。
 「嫁住(よめずみ)三年」と言われて、嫁は、三年は耐えねばならんのですもの、つもい(きゅうくつな)ことでした。

 (写真は、最近おじゃましたこの小説の主要人物の子孫のお宅で。江戸末期に薩摩藩で出版された厚さ十数センチの英語の辞書、英書や世界事情の書など、松本藩三溝村の当時の青年の心が迫り圧倒されました)




< 2022年08>
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石上 扶佐子
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