連載507小説『山を仰ぐ』第7章・臥雲辰致の誕生―③結婚と別れー52
 (俊量の提案で、辰致が留守の間、キヨは俊量の尼寺に行くことになりました)

 キヨが乗った荷車をタッチさが引き、納次郎が押して、岩原から堀金に向かったのは、それから間もなくの、晴れた日だった。二月下旬の厳寒の雪道ではあったけれど、堀金までは一里もない下り道だったから、そんなに大変な道中ではなかったさ。
 俊量さまが、青柳先生の医院から借りてくれた陶器の湯たんぽが二つもあったから、キヨは寒くなかった。
 その日、タッチさは、堀金の尼寺にキヨを預けたあと、波多に向かった。雪道の日帰りは無理だから、河澄家に一泊し、翌日には戻るという。もどるのが遅くなれば、キヨはもう一泊尼寺に泊めてもらい、三日目にはまた、三人で岩原のおらほの家に戻るつもりだった。
 納次郎は、キヨを堀金の尼寺に届けたあと、寺の手伝いなどをし、キヨが無事に寺におさまるのを確かめてから、歩いて20分の小多田井の実家へ行き、そこで泊った。
 納次郎は次の日も、小多田井からやって来て、キヨの様子をみたり、尼寺の薪割なんぞをしていったさ。
 キヨは、タッチさが波多へ行くのは寂しかったが、以前ほどつらくはなかった。
 俊量さまを初め、尼寺の女たちは優しかったし、何より、寺で預かっている、身寄りのない子供たちの声が響いていた。子供の声はたとえそれが泣き声であっても、可愛くて、とろけそうな嬉しい気持ちになれた。
 岩原の山に張り付いた暗い森の中から出てみれば、平らの里の大きな寺は明るくて、くつろいだ気持ちになれた。男二人と暮らしているのと違って、女たちの中にいることも、なぜか心が休まった。毎日のお勤めの声や、俊量さまの法話も楽しみだった。
 二日目のタッチさの波多からの帰還は、案の定、夜の遅くになったが、キヨは岩原にいた時のような不安はなかった。俊量さまは
 「仏さまが一緒だから、安心があるのですよ」と言っていた。そうかもそれねぇな、とキヨは思ったさ。

 (次回、連載508に続く。
 二年前の今日の、お宝写真です。取り壊しが決まって立ち退きを迫れた以前の家の前で、私の自慢の二人のお嫁さまと。この日、お二人は、それぞれの御夫君と一緒に私の新しい家を見に来てくれ、これによって今の家を買うGOサインが出たのでした。いろいろありがとね)

< 2024年09>
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石上 扶佐子
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