2025/04/25
連載613。小説『山を仰ぐ』第8章・発明家―②開産社と博覧会ー47
(臥雲辰致のガラ紡は、第一回内国勧業博覧会に出品された8万点の中で、最高賞の鳳紋(ほうもん)賞を受賞しました)
明治十年十一月三十日、明治天皇が臨席し、閉会の典がありました。
第一回内国勧業博覧会は会期二百二日、九月から爆発的に流行したこレラによって、観客は減少しましたが、十一月には回復し、入場者は延べ四十五万四千人でした。
維新までは、物産や人物の行き来は、幕府が統制していたので、有能な人材や有益な資源は地方に埋没しており、第一回内国勧業博覧会はその壁をやぶり、人々の視野を広げ、人と物の自由な往来を可能にしたのです。
期間中、ガラ紡は22台、合計千八十円の注文がありました。
会場で、三河の鈴木よねさんが、機械の販売を一手に請け負いたいと言った時、辰致さまは、それを断ったそうです。機械は改良を重ねているし、扱いに愛着を感じていたからでしょうか。
また、外国の技術者が「ガラ紡の歯車を西洋式にする製造方法を教えよう」と持ち掛けた時も、それを断り「私は日本式でよい」と言ったそうです。あれだけの発明をした方は、頑固な一面もあったのでした。
博覧会の終わり頃に提出した特許申請の『新発明紡績機専売願い』に対しては、その後、何の沙汰もありません。
私、糸が今にして思うのは、時の政府が、特許制度を取り下げたり、ガラ紡の専売特許願いを無視し続けたのは、政府の戦略ではなかったか、ということです。
開国をしたアジアの国々が植民地になったのは、外国産の綿製品の流入を許したことに始まったのですから、貿易赤字がうなぎ上りだった日本で、政府は一刻も早く、何が何でも、どんな手段を使っても、ガラ紡を全国に普及させ、日本に近代綿工業が成立するまでのつなぎにしたかったのではないか、と。
そのためには、「とりあえず、発明者の尊厳や権利は無視すべし」と。明治政府の方針は、「今は特許でもたもたしている場合ではない。権利は与えず、褒賞を与えよ」だったのではなかったかと。
(これで第8章・《発明家》を終わり、次回連載614から、第9章・《栄光と事業の困難》が始まります。
写真は、昨日の北アルプス。美ヶ原温泉白糸の湯の前からの撮影です)
(臥雲辰致のガラ紡は、第一回内国勧業博覧会に出品された8万点の中で、最高賞の鳳紋(ほうもん)賞を受賞しました)
明治十年十一月三十日、明治天皇が臨席し、閉会の典がありました。
第一回内国勧業博覧会は会期二百二日、九月から爆発的に流行したこレラによって、観客は減少しましたが、十一月には回復し、入場者は延べ四十五万四千人でした。
維新までは、物産や人物の行き来は、幕府が統制していたので、有能な人材や有益な資源は地方に埋没しており、第一回内国勧業博覧会はその壁をやぶり、人々の視野を広げ、人と物の自由な往来を可能にしたのです。
期間中、ガラ紡は22台、合計千八十円の注文がありました。
会場で、三河の鈴木よねさんが、機械の販売を一手に請け負いたいと言った時、辰致さまは、それを断ったそうです。機械は改良を重ねているし、扱いに愛着を感じていたからでしょうか。
また、外国の技術者が「ガラ紡の歯車を西洋式にする製造方法を教えよう」と持ち掛けた時も、それを断り「私は日本式でよい」と言ったそうです。あれだけの発明をした方は、頑固な一面もあったのでした。
博覧会の終わり頃に提出した特許申請の『新発明紡績機専売願い』に対しては、その後、何の沙汰もありません。
私、糸が今にして思うのは、時の政府が、特許制度を取り下げたり、ガラ紡の専売特許願いを無視し続けたのは、政府の戦略ではなかったか、ということです。
開国をしたアジアの国々が植民地になったのは、外国産の綿製品の流入を許したことに始まったのですから、貿易赤字がうなぎ上りだった日本で、政府は一刻も早く、何が何でも、どんな手段を使っても、ガラ紡を全国に普及させ、日本に近代綿工業が成立するまでのつなぎにしたかったのではないか、と。
そのためには、「とりあえず、発明者の尊厳や権利は無視すべし」と。明治政府の方針は、「今は特許でもたもたしている場合ではない。権利は与えず、褒賞を与えよ」だったのではなかったかと。
(これで第8章・《発明家》を終わり、次回連載614から、第9章・《栄光と事業の困難》が始まります。
写真は、昨日の北アルプス。美ヶ原温泉白糸の湯の前からの撮影です)